性同一性障害
2009/1/30 うんむらふま
 はじめに
 性同一性障害(gender identity disorder)は、身体的には問題なく自分自身が身体的・社会的にどちらの性別であるかを認識していながらも、精神的には反対の性別に属して身体的・社会的な性別に強い不快感や違和感を持ち、その結果、精神の意識する性別のほうに、身体的・社会的な性別や性別役割を合わせようとすることによって起こる。すなわち、精神の性別と、身体的・社会的役割との間に生じる適応障害である。ここにおいて、同性愛と見比べながら、性同一性障害に関する考察をすすめていきたいと考える。
考察1:アイデンティティ(identity)と性同一性障害
 人間は、いつ、どこで、どんなときでも、どんなことをしていても「私は私である」という自己同一性、すなわちアイデンティティを保っている。アイデンティティは、個人の中にひとりでに作られるものではなく、自分と社会とのかかわりの中で形成される。健常の人であれば、身体・社会的性別と、自分がどちらの性別に属しているかというジェンダー・アイデンティティ(gender identity;性別の自己認識、性自認)は一致しており、自分の性別が間違っているという意識や、自分の性別を不快に思うことなどはない。ジェンダー・アイデンティティには、自分の性別がどちらに属しているかと感じる中核的な部分があり、これをコア・ジェンダー・アイデンティティ(core gender identity)、もしくはベイシック・ジェンダー・アイデンティティ(basic gender identity)という。コア・ジェンダー・アイデンティティは、胎児期、もしくは幼児期の早期までに形成され、ある臨界期を過ぎた後は矯正不可能だと考えられている。それに対し、ジェンダー・アイデンティティは、コア・ジェンダー・アイデンティティを土台にして、身体的・社会的性別や性別役割、性的指向性、そのほかのさまざまなことから影響を受け、発達・形成されていく。
性同一性障害では、なんらかの原因でコア・ジェンダー・アイデンティティでの性別が、身体的・社会的性別と食い違ってしまったため、ジェンダー・アイデンティティの発達形成がうまくいかなくなっていると考えられている。よく混同されるが、性同一性障害と同性愛は、それぞれ、ジェンダー・アイデンティティと性的指向性(sexual orientation)といった異なる点で生じている。そのため、性同一性障害でありながら同性愛である、すなわち、「男(女)性から女(男)性への性同一性障害であるが、性愛の対象は女(男)性である」という人もしばしばみられる。この傾向は男性から女性へ向かう性同一性障害の人々に多い。

考察2:性分化と性同一性障害
性同一性障害の原因はまだ解明されていない。心理・社会学説でも、生物学説においても、本人の意志が介在する前(生後18か月〜2年まで)にコア・ジェンダー・アイデンティティの逆転が起こり、その後の治療では変えられないとされているが、現在、脳の性分化や脳の性差はめざましい早さで解明されつつある。その結果、いまでは性同一性障害や同性愛は、胎児期の脳の性分化が、母胎への過度のストレスや薬物投与など、なんらかの影響を受けたために起こるのではないかという生物学的原因がもてはやされている。生物学的には、哺乳類の脳は、胎児期から出産直後のある時期に、雄胎児自身の睾丸から分泌される多量の男性ホルモン(アンドロゲンシャワー)により、雄型へ付加逆的に分化することが確かめられている。また、特定の時期にホルモン投与をすることで、性行動が逆転した動物をつくることは容易である。しかし、性行動が逆転した動物たちが、同性愛、性同一性障害のどちらを表しているのか、ジェンダー・アイデンティティをもたない動物たちからは判断することはできない。
過去には、性同一性障害の治療として、身体的・社会的性別に精神の性別を合わせようとするさまざまな方法が試された。しかし、それらの治療はすべて失敗に終わっている。そのため現在では、精神の性別に身体的・社会的の性別を合わせるのが、当事者救済の唯一の手段として行われている。現在、性同一性障害の治療は、精神療法・ホルモン療法・SRS(sex reassignment surgery;性別再割り当て手術)の三段階に分けて行われている。1996年、埼玉医科大学倫理委員会は、性同一性障害の治療としてSRSを正当な医療行為と判断し、1997年、日本精神神経学会は性同一性障害の治療のガイドラインともいえる答申と提言を発表している。そして、1998年10月には、正式な医療行為としては国内で最初となる女性から男性への性同一性障害の患者へのSRSが行われた。さらに、今後の問題として、性同一性障害の人々の社会での受け入れや認知、戸籍や住民票などの法的解決が問われることになるだろう。

考察3:DSMと同性愛
1980年3月末、APA(American Psychiatric Association)から、DSM‐V(Diagnostic and Statistical Manual of Mental Disoders;精神障害の診断と統計の手引き)が出版された。その中で、同性愛(Homosexuality)の実質的な部分が精神疾患からはずされている。これは、APAの1973年の決定を更に進めたものであり、同性愛は自我異和的(Ego dystonic)なものに限って、精神疾患とみなすように明確に限定している。つまり、同性愛であることに自足している者、また異性との関係に障害を持たない同性愛者(つまり自我親和的:Ego syntonicな同性愛者)はこのカテゴリーから除かれる。DSM‐Vは自我異和的同性愛に関する要因として、同性愛に対する社会の否定的な態度が内在化したものだと指摘している。フロイトは、1935年(死の4年前)アーネストジョーンズに宛てた手紙の中で、「同性愛は、(心理学的に捉えて)精神疾患ではない」と語っているが、今から70年前のフロイトの言葉通りのことがまさに起こっていることは、驚きである。これらが、アメリカにおける近年の同性愛者の公民権運動に関係していると考えるならば、カトリック・プロテスタントを含め多くのキリスト教徒が住むアメリカにおいて、犯罪から精神疾患、そして公民権へと移行するその価値観のあり様はどのように説明され得るのだろうか。
考察4:宗教と同性愛
われわれの精神的支柱である宗教の中に、それらに関する神の教えを多く見出すことができる。旧約聖書・レビ記には、「あなたは女と寝るように、男と寝てはならない。これは忌み嫌うべきことである。」(18:22)「男がもし、女と寝るように男と寝るなら、ふたりは忌み嫌うべきことをしたのである。彼らは必ず殺されなければならない。その血の責任は彼らにある。」(20:13)新約聖書にはパウロの言葉として、コリント人への手紙・第1「あなたがたは、正しくない者は神の国を相続できないことを知らないのですか。だまされてはいけません。不品行な者、偶像を礼拝する者、姦淫をする者、男娼となる者、男色をする者。」(6:9)ローマ人への手紙「こういうわけで、神は彼らを恥ずべき情欲に引き渡されました。すなわち、女は自然の用を不自然なものに代え」(1:26)「同じように、男も、女の自然な用を捨てて男どうしで情欲に燃え、男が男と恥ずべきことを行うようになり、こうしてその誤りに対する当然の報いを自分の身に受けているのです。」(1:27)などがみられる。イスラームの聖典クルアーンの中にも、おなじような言及がみられる。
 Q27蟻章:54・55―(われはまた)ルート(を遣わした)、かれがその民にこう言った時を思い起こしなさい。「あなたがたは(不義だと)認めていながら、破廉恥な行為をするのですか。あなたがたは、情欲をもって女たちを差し置いて男のもとに行くのですか。いや、あなたがたは、本当に無知の民です。」
Q11フード章:77・78―われの使徒たちがルートの許に来た時、かれは(ルートの客人としての)使徒のためにとても心を悩まし、かれ自身(人びとの男色の風習から)かれらを守れないことを悲しんで、「これは苦難の日である。」と言った。人びと(ルートの民)は急いでかれの許に来た。これまでかれらは、汚らわしい行い(男色行為)をしていたので、かれは言った。「わたしの人びとよ、ここにわたしの娘たちがいる。あなたがたにとっては(娘たちと結婚することが)最も清浄である。アッラーを畏れなさい。」
Q7高壁章:80・81―また(われは)ルートを(遣わした)、かれはその民に言った。「あなたがたは、あなたがた以前のどの世でも、誰も行わなかった淫らなことをするのか。
あなたがたは、情欲のため女でなくて男に赴く。いやあなたがたは、途方もない人びとである。」ここに記されているルート(Lut)は、クルアーンに登場する預言者の一人であり、旧約聖書のロト(Lot)にあたる。イブラーヒーム(アブラハム)の甥である。クルアーンにおいて、ルートはアッラーの使徒としてその民に遣わされたと述べられている。彼は人びとに、神を畏れ、不義(同性愛や強盗)をやめるように警告したが、彼らは聞き入れず、懲罰として彼らの町は滅ぼされた。(Q29:28−35など)。聖書におけるソドムの町の物語にあたるが、クルアーンには町の固有名詞は登場せず、描写は簡潔なものとなっている。それは、寓意として、ムハンマドの呼びかけを聞かず、悪しき行いを続けるマッカのクライシュ族への警告が示されている。アラビア語で、男性の同性愛をルーティー(ルートの民のような)という。以上列挙したように、信仰を持つ者の立場からは、このように神によって明らかに禁止された異常な性的行為は、してはならない、と判断する以外にない。

 おわりに
 病因としての性同一性障害と指向性をもつ同性愛との違いを認めるための作業は必要であり、この点に関しての明確な証明がなされることが急務であろう。性同一性障害の患者に対する治療は、先に紹介した治療法SRSによって終わるわけではない。これらの人びとは、家族関係や、戸籍、就職といった社会的問題を抱え続けることになる。それに伴って求められる精神的救済は、フロイトが書いた“同性愛の息子を持つ母親への返信”にあるように、悪であるか善であるかの判断より、まず、精神の安定のための精神療法が求められている、という結論に至るものなのかもしれない。


<参考文献>
 沼野元義著『DSM−Vのこと』、聖トマス大学院・臨床心理学演習資料、2008
 新井康允著『性を司る脳とホルモン』、コロナ社、2001
 大塚和夫他編『イスラーム辞典』、岩波書店、2002
 三田了一他編『聖クルアーン』、日本ムスリム協会、1982
 新改訳聖書刊行会編『聖書』、いのちのことば社、1982


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