日蝕・月蝕の礼拝
 日蝕・月蝕の礼拝は、日蝕が生じたとき、または、月蝕が生じたときにささげる礼拝で、男性も女性も問わず、法はスンナ・ムアッカドである。さらに、集団で行うことが奨励されている。
日蝕月蝕の礼拝のささげ方
1、通常のファルド(義務)の礼拝と同様の5つの礼拝に立つための条件を満たしていなければならない。つまり、1、その時間であること、2、清浄な状態であること、3、衣服、場所が清潔であること。4、アウラを覆っていること。5、キブラに向かうこと、の5つである。
2、礼拝の呼びかけ
   イードの礼拝と同じように(アッサラートゥ ジャーミア)と大声で呼びかける。
3、ニーヤ(意思表明)の例
(ウサッリー サラートゥル・クスーフィ ラクアタイニ スンナタン リッラーヒ タアーラー)
Usalliy sala:ta-kusu:fi rak'ataini sunnatan lilla:hi ta'a:la:
(私は日蝕の礼拝を、2ラカアート、スンナとしてアッラーの為に行います。)
 これは日蝕の礼拝のニーヤの一例であるが、月蝕の場合は上の太字『クスーフィ/Kusu:fi』の部分を、『フスーフィ/Khusu:fi』に換えればよい。
4、礼拝のささげ方。
タクビール(アッラーフアクバル)
キヤームでは、開端章とクルアーンから任意のアーヤを声を出して読む。
通常の礼拝よりは、長い時間、少し声を大きめで読誦する。
ロコーウ(立礼)は通常よりも長く行い、(スブハーナ ラッビヤル アズィーム)を唱える。
通常の礼拝ならば、次にイアティダール(直立姿勢)そしてスジュード(座礼)と行うところだが、日蝕の礼拝では、体を起こし、キヤームに戻る。
2回目のキヤームで、開端章とクルアーンから任意のアーヤを声を出して読むのだが、1回目のイアティダールよりは短めに読誦する。
2回目のロコーウ(立礼)。やはり通常の礼拝よりは長く行う。

(サミアッラーフ リマンハミダ、ラッバナー ラカルハムド)と唱えながら上体を起こし、イアティダール(直立姿勢)をとる。
スジュード(座礼)を行い、(スブハーナ ラッビヤル・アァラー)を通常より長く唱える。
ジャルサ(正座)を行い、(ラッビ・グフィル リー ワ・ルハムニー)唱える。
2回目のスジューソ(座礼)も上述のスジュードと同じ。
 これで1ラカアが終了して、2ラカア目のキヤームに移り、1ラカア目と同じように行う。日蝕・月蝕の礼拝は2ラカアである。
2ラカア終われば、タシャッフドを行い。(タシャッフドの詳細はここ
最後にサラーム(アッサラームアライクム ワラフマトゥッラー)を行い礼拝は終わる。

5、礼拝が終われば、フトバ(説教)を行う。
クスーフの礼拝について
 この礼拝は、1ラカアの中に、2回のキヤームと2回のロコーウ(立礼)があり、それぞれ通常の礼拝よりも長いのが特徴である。もしも、通常のスンナの礼拝と同じように1ラカアの中にキヤームとロコーウを1回ずつ行ったとしても礼拝が無効になることはない。
 このように行うのは預言者のスンナに従ったものである。実は預言者ムハンマドの生前、マディーナで1度だけ、日蝕に遭遇したことがあった。その時、行った礼拝がこのやり方であったのである。そして、礼拝直後にフトバ(説教)を行った。ちょうど、預言者の息子が死去してすぐに、この日蝕が発生した。人々は、息子の死と日蝕を結びつけて考える者がいたが、この礼拝後のフトバで、預言者ムハンマドは、人の生死と日蝕は全く無関係であり、日蝕は単なる自然現象であることを述べ、人々の不安や迷信を一掃した。
 私たちが生きている間に日蝕に遭遇するのは明日(2009年7月22日午前)のただ1回かもしれないし、運がよければ、さらに1回くらいは遭遇するのかもしれない。こうした滅多にない日蝕の瞬間に、マスジドに集り、集団礼拝を行い、イマームの説教を聴くことは、貴重な経験であろう。

参考文献:
1、jenis sembahyang sunnah, Haji Yusuf Yakub, Pustaka Melayu Baru, Kuala Lumpur,1976 (ジャウィ)
2, Pedoman dan tuntunan Shalat, Abdul Kadir Nuhuyanan, Gema Insan, Jakarta 2002(インドネシア語)
3、Fiqh as-sunnah, Sayyid Sabiq, Dar al-Kita:bi al-Arabiy, Lebanon,(アラビア語)