イラストレイター「真鍋 博」先生

真鍋 博

「真鍋 博」作品集から一部紹介

海を開く 大地のコミユニティー ピクニックサイクル ビーナス 四国文明圏 週末の風景 ハナ・トリ・ヒト ハナミズキ

真鍋 博さんへのメッセージ

小松左京
 かつて一群の画家が、社会のマジョリティの農漁村生活や、 その団らんや、その世界の「風景」を「田園画家」のタッチ で描いたように真鍋さんは現代都市のごくあたり前の生活 を、新しい環境もろとも、一つの「風景」として、それを表 現するにもっともふさわしい手法で描き出す。それは、われ われが現実にひたされている生活の確認であり、われわれの 住んでいる時代がそういう時代であるという彼のエッセイな のである。無条件、全面的に肯定するわけにはいくまいが、 それはそれで、たいへん多くの人々が現に体験しつつあるも のであり、見つつあるものであることは何人にも否定できま い。万人がそこで満足できるかどうかは別にしても、私たち の生きている時代と環境と、その時代の「幸福」に対する認 識を、ある仕方で表現しているわけである。 (作家)
『真鍋博0riginal1975』(講談社)「詩的イメージの中の未来世界」より抜粋

池田満寿夫
 真鍋博のデザインの原理を要約すれば、おそらく現実世界 に存在する総ての現象や物質を均等化しアラベスク模様に織 り直すことであろう。一種の人工楽園ともいえる。そうした 彼のアラベスク模様による人工楽園に現実の総ての現象をた たみ込むためには、厳密な計画と厳格な規律を用意しなけれ ば繊糸は回転しない。まず彼が最初にしたことは物体や人間 から固有の性格をはくだつしたことである。そして次に物と 物との現実的な関係を、あるいはそれらの空間関係を一度解 体させることであっただろう。つまり彼は芸術の側から言わ せれば最も危険な"類型化"をあえて採用したのである。真 鍋博がその"類型化"を採用した時、おそらくはっきりとい わゆる芸術というものからの告別を決意した時だったかもし れない。              (美術家・作家)
『真鍋博Original1975』(講談社)「真鍋博のコンパクトされた世界」より抜粋

植草甚一
 ぼくは本文を1ページずつめくりながら、またうれしくな ってしまった。たぶんこのへんに真鍋SFイラストレーショ ンのオリジンがあるんだろう。SF的イマジネーションのな かに童話的要素がはいり込んでいる。こうした特色は大阪の 世界万国博のための仕事へと発展したはずだ。そうしてペー ジをめくりながら100ページになってイラストレーションの 数も15をすぎたころ、あたらしい変化が目につくようになる。 細密画への傾向を帯びるようになった。  真鍋博は定規をかすかにずらしながら手がきでもって綱目 の線を根気よく書いている。レディメードの綱目を使うのが 流行しはじめたころであったが、その効果とはまるで違うも のを真鍋のイラストレーションから感じられたのは、その線 が彼自身のイマジネーションとなって、こっちに伝わってき たからである。またオブジェとしてのビルディングや汽船や 遊園地なども丹念な線の構成で仕上げられるようになり、そ の真似がしたくてもだれ一人としてできないくらいになった。 いまでもそうだ。外国にも真鍋式な凝りかたをしてみせた者 は一人もいない。そういう独自のイラストレーターになった のだ。                  (評論家)
『線の画集』(平凡社・1979年)「真鍋博が定規をかすかにずらしながら線をひ いている」より抜粋

草森紳一
 もう1つ、絵に変化がある。『Original1975』でもすでに 展開されかけていたものだが、これでいいのかと思えるほど の色彩の「綺麗」さである。白痴的なまでの「綺麗」に到達 している。絵組みが入り込んで、これまでになく鋭く切るよ うな曲線がはいっているので、沸きたち匂いたつような色模 様となっている。模様とは、パターンである。  なぜ、真鍋博にめざましい色彩の躍りがでてきたのか。に わかに彼が色彩に関心をもちだしたわけでない。バラ色の未 来を描くには、やはりカラーだと思ったわけでない。1つは、 色彩が印刷技術の発達とともに使いやすくなったことがある。 雑誌メディアでは、10年前までは使いたくても使えなか ったという事情もある。フリーハンドではなく印刷技術を筆 に製版技術をパレットがわりに用いるのは、彼の他に、横尾 忠則、杉浦康平がいる。彼の指定は、偶然の効果を逆用しな い。製版所との戦いである。ここ10年の作品群の緊張のダイ ナミズムは、製版技術との決闘からも生じていると見てよい だろう。                 (評論家)
『真鍋博オリジナル・85』(講談社)「霊媒師 真鍋博」より抜粋