ホンコン・ドリーム
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作:星野ケイ
1996/10/18発行『香港超常現象捜査官』番外編 ホンコン・ドリーム』収録

 香港の夜景を見たことがありますか。
 まぶしいほどに明るく美しい世界が眼前に広がります。
 香港の空と海を、見たことがありますか。
 せつないほどに暗く惨めで、胸が押しつぶされそうになります。
 ホンコン・ドリーム----。ここは、どんな夢でもかなう、希望と背徳のパラダイス。

 蘭桂坊の裏通りは、さきほどまで降り続いていた雨で濡れそぼっていた。
 表通りは外国人が集う人気のディスコ・スポット。しかし一歩裏 手に回れば、そこは生ゴミと塵あくたの山積する、この街の他の路地裏となんの変わりもない薄汚い場所である。ぬ るぬると光る壁面が表通りから漏れてくるネオンに照らされ、七色に光る。
 そんな汚い裏道に、ラルフは這いつくばっていた。
 お洒落なジーンズが泥だらけになるのも構わず、ゴミの山をかきわけかきわけ探し物に余念がない。無造作にジャンパーの袖で頬をぬ ぐうと、一面に油汚れがこびりついた。それにも気づかず、彼は次のゴミ溜めに取りかかった。ビルの隙間をねぐらにしている乞兒ならともかく、彼のようなうら若き青年がゴミの山を掘り返している姿は異様の一言に尽きる。それでも、誰も見てないんだからいいや、とラルフは思っていたのだが。
「おい、あんた」
 いきなり背中から声をかけられ、ラルフは飛び上がった。慌てて 振り返ると、いつの間に現れたのか、反対側の壁にもたれかかって男が一人、ニヤニヤ笑いながらラルフを見下ろしていた。まだ若い男だ。二十歳過ぎくらい、ということはラルフとそう変わらない。真っ赤なジャンプスースに身を包んだ彼は、やけに印象的だった。特に、口許と裏腹にちっとも笑っていない三白眼が。
「あんただよ、刑事さん」
 その男はもう一度、ラルフに声をかけた。
「こんなとこで一人ぼっちで証拠集めなんかしても無駄なことさ。 見ろよ、そのゴミの山を。しかも明日の朝になりゃあ、根こそぎ政府が回収して埋め立て地のタシにしちまう。早く仲間たちを呼んできて、人海戦術で捜索した方がいい」
 なるほど、と感心しかけて、それからラルフはギョッとした。
「て、てめえっ! なんで俺が刑事だって……」
 クックック、と男は喉の奥で笑った。
「三日に一度はケンカ沙汰が起こる蘭桂坊の裏通りだぜ。刑事でな けりゃ、ただの坊やが一人ぼっちでウロウロできるはずがねえ。しかもそいつがゴミ山掘り返してるとしたら、そんな物好きが刑事だってこたあ考えなくてもわかるぜ」
 そう言われてしまっては、返す言葉もない。ラルフは頬を赤くし ながら、ムッと口をへの字にした。
「それがわかってんなら邪魔すんなよ。俺は忙しいんだ」
「YES、SIR!」
 男は、おどけて敬礼をしてみせた。それから、ふらりと踵を返し て背を向ける。おぼつかない足取りが気になった。麻薬中毒者だったら、このまま見過ごすわけにもいかない。
 そう思って立ち上がりかけたラルフの気配を敏感に感じたか。
「おせっかいは無用に願うぜ、阿SIR(刑事さん)」
 振り返りもせず、男はひらひらと手を振ってみせた。
「あんたはあんたで忙しいだろ。俺みてえなチンピラに構ってる場合じゃない。ま、凶器はこんなとこには隠されてねえと思うぜ。いくら小さなジャックナイフとはいえ、二人分の血を吸った獲物を平気でゴミの山に隠すほど犯人が素人じゃねえってことは、傷口を見たらわかるだろ。表通 りだよ表通り。排水口の中を探ってみな。……おっと、これじゃ俺の方がおせっかいか」
「お、おい!」
 たまげてラルフは撥ね起きた。
「なんでお前、そこまで知ってるんだ!?」
「おいおい、容疑者扱いはゴメンだぜ」
 曲がり角でそいつは、ニヤリとラルフに笑いを向けて軽くウィンクをしてみせた。
「俺は星。“灣仔の幸運星”といやあ、あの辺りのチンピラなら誰でも知ってる。……それでも見逃してくれねえんだったら、そうだなあ。耳寄りなネタを教えてやるよ。灣仔の大王道“DREAM” って酒場に行ってみな。そこが殺された奴らの行きつけだ」
 ラルフは確かに刑事としては若輩者であるが、だからといってそんな戯れ言を真に受けるほど新人ではない。吊り目をキッと鋭くきらめかせるなり、手錠を取り出しながらダッシュした。殺人事件のことだけでなく、傷の状態まで知っているのは只者ではない。しかも、死者のことを詳しく知っている。重要参考人として引っ張ってくるだけの価値はある獲物だ。
 だが、角を曲がると獲物はすでにいなかった。よほどこの辺りの小道を知り尽くしているのか、姿も形も見つからない。あまりにも鮮やかな退散ぶりに、ラルフは呆気にとられて目を見開いた。びっくりした子猫のような、情けない顔になった。
「どうした、なんて顔してんだよ!」
 だしぬけに背中を思いっきり叩かれて、ラルフはつんのめって転びそうになった。再びシンと名乗るあの男が現れたのかと驚いたが振り返ってみるとそこには見慣れた顔があった。花のような容貌を仏頂面 で歪めた親友---麗しの天使様と仲間から揶揄される美貌の持ち主、ローリィの到来だ。
「なんだよ、これが珍しい顔か? まじまじ見るな、穴があく」
 綺麗なのは顔だけで、ローリィの精神にはかなり辛辣な男一匹が内蔵されている。親友がいかにも刑事らしくなくぽかんと口を開けて立ち尽くしているのを見て、嫌そうに眉をひそめた。
「それで、凶器は見つかったのか? いつまでたっても帰ってこないって、ビーの奴が例によってブツブツ言ってたぜ」
 その言葉も、耳に入っているのかいないのか。ラルフはシンの立ち去った方角を見つめながら、ぼんやりと言った。
「凶器は、表通りの排水口の中だ」
「な、なにいっ!?」
 ローリィは素っ頓狂な声を上げて、ラルフの襟首をつかんだ。
「どうしてそんなことがわかったんだよ!?」
「うん……人が教えてくれた」
「バっ、バカ野郎! こんなときに冗談言ってる場合かっ!」
 ローリィはラルフを引きずって、表通りに通じる路地へ駆けだした。数台のパトカーが醸しだす赤と青の光が見えた。その光に照らしだされて、右往左往する捜査員たちの姿が影絵のように浮かび上がった。同僚たちが気配に気づき、いっせいにこちらを向いた。
「遅いぞ、ラルフ! 裏の方はどうなんだ! 見つかったか!?」
 サンダー・ロイ警部が吠えた。
 その足元では、二つの死体が未だ恐怖を死に顔に張りつかせたまま、脇腹の風穴から血を流し続けていた。


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