| ホンコン・ドリーム |
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作:星野ケイ
(1996/10/18発行『香港超常現象捜査官』番外編 ホンコン・ドリーム』収録) |
| 「時間がない、乗れっ!」 ローリィは怒鳴った。 寄せては返す波の音。しぶきが弾けて、泡となる。 ラルフはハッと身を起こした。手ひどくやられた脾臓がズキズキと痛む。無理な姿勢で転がされていたので、動くと節々が悲鳴を上げた。構わず、強引に起き上がった。 上半身を起こして初めて、自分が縄で縛られていることに気づいた。必死でもがくが、固く巻きついていていささかも緩まない。もがいていると、背後に人の気配を感じた。振り向くと、階段からル ークが下りてくるところだった。壁には窓がひとつ。ガラスは割れている。そこから、静かな潮騒が流れ込んできた。 「気がついたかい。よかったね」 ルークは相変わらず、穏やかな口調だ。しかし、目に宿った一筋の狂気をラルフは見逃さなかった。狂っている、この男は。 事ここに至っては、ラルフにも大体の事情が読み取れた。 「あんたが……全ての黒幕だったんだな!? “ホンコン97”も、殺人も、なにもかも! どうして……どうしてあんなことを!」 夢を信じていた、この人が。 そうなじると、ルークはふっと哀しい微笑みをみせた。 「なにもかも……夢のためさ」 呆然とするラルフをどう思っているのか、ルークは堰を切ったように喋り始めた。 「ホンコン・ドリーム--それこそが私の夢であり、希望だった。 香港に行けばなんとかなる、幸せな暮らしができる。そう信じて海を渡った私は、その場で奇跡を手に入れた。這い上がった船の中にあった“ホンコン97”---私はそれを元手に店を開いた。ああ、もちろん麻薬がよくないものだということはわかっていた。だから最初に少し力を借りるだけのつもりだった。……だが、この街も私には優しくなかった。怪しげな大陸者の店は繁盛せず、いつの間にか世間のハミダシ者が集う怪しげな場所になってしまった。私は、このままではいけないと思った。私の夢はもっと輝いていたはず。----そうだ、移民しようと私は思った。しかし、密入国者である私はこの街より他、どこへも行けなかった。行くためには、莫大な金を積んで完璧な身分証を手にいれなくてはならない。そこで私はまた“ホンコン97”に頼ることにした」 彼は彼なりに、胸に鬱積したものをたくさん抱えて生きていたのだろう。元々は彼は、ひたむきに明日を夢見る男であったのだろうから。どこから間違ってしまったのか---それはラルフにも、本人にすらわからないことだ。 「それで……殺したんだな。あんたが苦労して稼いでいるときに、ちょっと手伝っただけで金を溜めて、移民の手続きをしちまった連中が憎らしくなったんだな」 「醜いだろう。私は」 ルークは顔を歪めた。泣きだしそうに見えた。だが、次に彼は両手をラルフに差し伸べた。身動きのとれないラルフを抱きすくめ、 すがりつくようにして頬を寄せた。 「だから---だから私は、君を連れていくことにした。君のその 瞳、その魂。君がそばにいるだけで、私は昔の自分を思い出す。夢を見ていた頃の私を----だから----」 「じょ、冗談じゃねえ!」 ラルフは身をよじって腕中から逃れようともがいた。ビショップの推測が正しいとすれば、シンは敵のスパイであり、ルークの行動も敵に筒抜けだったはずだ。その敵がラルフを抹殺しようとしたの は、彼らがこの船の位置を突き止めて、もうルークに対する牽制の 役割は終わりだと判断したということだ。ならばもう、この船は彼らによって包囲されている。 しかしルークは、そんな指摘には眉ひとつ動かさなかった。 「そうだね。外には人相の悪い連中がたくさん来ているよ。さっきから、おとなしく出てこなければ撃つだのなんだの言っている。……けれど、心配しなくていい。もうすぐ出航準備が整う。二人でどこかへ行こう。そして、新しい夢を探すんだ」 「いっ、嫌だっ!」 ラルフは、自分を押さえ込むルークの腕に噛みついた。ひるむルークの隙をついて、思い切り身体を横倒しにした。窓ガラスのかけらを後ろ手に拾う。ざくっと皮膚が切れたが、そんなことには構わない。思い切って力をこめて、縄を切断した。返す足でのしかかるルークを蹴りつけ、這うようにして甲板に上がった。 外はさびれた埠頭。屋根の低い倉庫が連なり、赤サビの浮いたクレーンがあちこちで巨体を横たえている。このクルーザーも、埠頭の風景にぴったりのみすぼらしさだった。いくら航海の準備を整えたところで、こんな船で落ち延びることなどできそうにない。やはりルークは狂っているのだ。夢に溺れて、狂ってしまった。 ルークの言ったとおり、かなりの人数がクルーザーを取り囲んでいた。半数の者が機銃を構えている。これでは前門の虎、後門の狼だ。船を飛び下りて逃げることもできない。 「いい加減にしろ! 殺されたいのか!」 チンピラたちの先頭に立った男がわめいた。 「どっちにしろ私たちを殺す気なんだろう?」 向けられた機関銃に立ちすくんだラルフの肩を、駆け上がってきたルークが掴んだ。ビクリとラルフは身体を震わせた。だが、ルークは上機嫌だ。ラルフの肩越しに、男たちに呼びかけた。 「やるならやってみろ。この船を沈めてもいいんならな。ほら、これを見るんだ」 その言葉に、ラルフもルークが指さしているものを見た。心臓が口から飛びだしそうになった。それはダイナマイトだった。しかも一本や二本ではない。前甲板を埋め尽くさんばかり---さらに、 火薬の樽が幾つも転がしてある。 その一本を取り上げ、ライターの火を近づけながら、ルークは陽気に声を張り上げた。 「撃ちたいなら撃つがいい! “ホンコン97”も道連れだ!」 男たちは顔色を変えた。 睨み合いが続いた。 このままだったら、どうなっていたかわからない。しかしそこにローリィと、彼の引き連れた警官隊が現れて、状況は一変することになった。彼らは鮮やかに登場し、鮮やかに布陣を敷いた。 「警察だ、動くな!」 ローリィのよくとおる声を耳にした瞬間、安堵のあまりラルフは腰を抜かしそうになった。 ルークが、不思議そうに首をかしげたのが印象的だった。彼にはもう、正常な判断力などなくなってしまったのかもしれない。 ルークに気を取られていた和誠興の連中は、ひとたまりもなかった。背後から警官隊に銃を突きつけられてホールド・アップ。文句ひとつ言う余裕すらない。 「ラルフ、ラルーフ! 大丈夫か!」 ローリィの後ろで、元気に手を振っているのはシンだ。現金な奴だな、とラルフは笑いだしそうになった。ほっと息をつき、ぼんやりと立っているルークの手からライターを取り上げようとした。 そのとたん。 何が起こったか、一瞬、ラルフにはわからなかった。ただ、自分の差し出した腕がねじ上げられたこと。そのままぐいと前に突き出されたこと。それを見たローリィとシンが顔色を変えたこと。 「き、貴様、ルーク! 往生際が悪いぞ!」 ローリィが銃を構えた。背後に立つ警官隊も一斉にルークへ銃を向けた。しかし、ルークはダイナマイトを握っている。下手に狙えば、ラルフが巻き添えになる。 ルークの表情は、楯にされたラルフには見えなかった。だが、彼の声を聞けば、彼がいつものような哀しい微笑を浮かべていることは、想像することができた。 「----夢は、終わったみたいだ」 ラルフの耳元で、彼は言った。 「いや……もっとずっと昔から、終わっていたのかもしれない」 「----だったら!」 知らず、ラルフは怒鳴っていた。 「だったらもう一度、夢を見ればいいじゃないか! 悪い夢は捨てて、もう一度、ステキな夢を!」 ルークは喉の奥で、笑ったようだった。 「いい子だね----本当に、いい子だ」 だしぬけに、ラルフの身体は宙に浮いた。ルークに抱え上げられたのだと気がついて、ラルフは暴れた。暴れて、逃れようとした。 だが、もう手遅れだった。 「行きなさい。君は……君だけは、夢を無くさないように」 すさまじい浮遊感。自分が渾身の力で放り投げられたのだと、頬切りそうな風の音が教えてくれた。続いて、その身体がふわっと浮いた。音のない衝撃。それから、耳をつんざく轟音が彼の身体を吹き飛ばした。爆発。ルークが、火薬に火をつけたのだ。 ラルフは遠くの海上に投げ出された。水面に叩きつけられ、ぐうっと底に引きずり込まれる。必死でもがいて水面 に出ようとしたが そこへ大きなうねりがやってきて、波にもまれた。水を吐き、両手を振り回してその衝撃波に対抗する。 波間から顔を出すと、海は真っ赤に染まっていた。 ごうごうと、海が燃えている。小さなクルーザーは、すでに炎の中で姿を消していた。 陸ではローリィとシンが、呆然と海で燃え上がる火柱を見つめていた。パトカーが数台やってきた。中から転がり出たサンダー・ロイが、爆風でなぎ倒された警官隊を叱咤して現場を収拾している。 遠く、消防車のサイレンが聞こえてきた。 その間も、一人の男の夢を包んで、炎は燃え続けていた。 「ホンコン・ドリーム……」 波間を漂いながら、ラルフは呟いた。 その頬に一筋、透明な雫が流れて落ちた。 「人が死んだとき---その夢はどこへ行くんだろう」 夢やぶれてなお、人は夢を追い続ける。 |
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