東京お台場のパレットタウンは、埠頭の近くにある。
その埠頭で行われている密貿易を阻止して、彼らの取引の品物を回収することが、今回の“嘱託”の仕事だった。
その品物の正体は彪馬しか知らないのだが、分量はダンボール箱六個という話だったので、富城がバンを回すことになった。
ミッション・リーダーは彪馬。取引が行われている倉庫の割り出しが修野、品物の回収は深雪。深雪のガードと、品物をバンに運ぶ手伝いとして呉林。そして、敵組織が勘づいて攻撃してきたときのため、彪馬は飛鷹をメンバーに加えた。
飛鷹はいつものごとく、イヤだイヤだと駄々をこねた。
「もー最近そーいう暗殺仕事ばっかりで、ヤだよ俺。いっつもじっと見張っててコッソリ殺して一目散に逃げるばっかでよ。ストレス溜まるんだよな」
「まず訂正するが、お前の殺し方を暗殺とは言わない」
彪馬は堅苦しく反論した。
「暗殺とは計画をたてて特定の人物の不意を襲い、殺すことを言う。これがそういう種類の仕事なら、俺とてお前ではなく上杉先生をメンバーにする。だが今回は、相手に気づかれたと判明した段階で、無計画に相手を皆殺しにするだけだ。お前には似合いの仕事だろう?」
「悪かったな。俺にはどうせ無計画の皆殺しが似合いだよ」
「わかってるならそれでいい」
「よくねえよ! 俺が嫌なのは、そういう仕事のときはいつも、物陰にずっと隠れてなりゆきをうかがってなきゃならねえってとこなんだ。そこんとこ、なんとかしてくれよ!」
「なんとかと言われても……」
「あ。それじゃ、こんなのどうかな」
ボーヤとあだ名の富城が、のんびりと口を出した。
「要するに、埠頭の動きを見張ることができて、敵に気づかれない場所があればいいんだろ? だったら、パレットタウンの観覧車に乗ればいいじゃん」
「か……観覧車!?」
「そうだよ。彪馬だって見たことあるだろ、あの大観覧車。あれに乗れば埠頭も見張れるし、敵だってまさかそんなところから監視されてるとは思わないよ」
という富城の提案が通ってしまったのは、飛鷹にそれ以上の文句を言わさないための、彪馬の苦肉の選択であった。
しかし。
「うへえ。なんだこの人込み!?」
まずは観覧車の入口で、飛鷹が悲鳴を上げた。
黙ってはいるが、彪馬も腹の中では悲鳴を上げている。目の前の行列は、それほどにすさまじいものであった。話に聞くディズニー・ランドの乗り物待ちとはこういうものであろうかと思わされるような、右に左にくねくねと折れ曲がった長蛇の列である。
頭上の電光掲示板に二十分待ちと出ているのを見て、彪馬はさらにたじろいだ。
しかも彪馬の後ろのカップルは、たった二十分だよラッキーだねえ、などと、信じられないことを言って喜んでいる。
「どうすんだよ、おい!」
だが、隣で飛鷹がすごんでいる以上、今さら引き下がれない彪馬であった。ここで引いたら、あと三十年はこのことを引き合いに出され、ワガママをごり押しされてしまうだろう。
幸いにしてミッションの開始までには、優に二十分はあった。何事も余裕をもって行動する彪馬ならではの幸運だ。
「行くぞ」
彪馬は飛鷹の腕を掴み、悲壮な決意で行列の最後尾についた。
だが、それから一分もしないうちに、彪馬はさらに後悔することになった。
パレットタウンは遊園地であり、観光地でもある。その最大の目玉である観覧車に乗ろうとしているのも、カップルや子供連れ、観光客や外国人ばかり。彪馬たちのようなスーツ姿の客などいるはず
もなく、ましてや男の二人連れ。しかも、二人ともちっとも仲良さそうには見えないし、楽しんでいる様子もないし、どうしたのこの人という目で見られてしまう。
しかも連れは、人の目とか思惑なんざ毛ほども気にしない飛鷹仁なのだ。
「あー、もう飽きた! まだ並んでなくちゃいけないのかよ」
「あと五分ほどに違いない。我慢しろ」
「腹減った喉渇いた! なんか買おうぜ」
「あそこに、中へは飲食物を持ち込んではいけませんと書いてあるだろうが。あと五分だというのにそんなもの買って、残ってしまったらどうするんだ。また最初から並び直しだぞ」
「なんで並び直すんだよ。残ったら捨てちまえばいいことじゃねえか」
「食べ物をそんなに粗末に扱ってはいかん!」
小学校の先生のようなことを言って怒るのが絶世の美男子だから、ますます注目を集めてしまう。とはいっても彪馬自身に自分が美男子だという自覚はないので、それが飛鷹のせいだと思い込んだりして。
「見ろ、お前がなんだかんだ文句を言うから、みんながこっちをチラチラ見てるじゃないか。少しの間なんだから、じっと黙って待っていろ!」
そんなこんなで、ようやく彼らは乗車にこぎつけた。
お互い仏頂面のままでゴンドラに乗り込む。やたら元気な介添えのアルバイト学生も、仲の悪そうなスーツ姿の男二人に度肝を抜かれ、いってらっしゃいませとも言わなかった。
ごうんごうんと、なにやらすまなさそうな音を立てながら、ゴンドラが進んでいく。
「はっ!」
進行方向へ目をやった彪馬は驚いた。
そこに、ゴンドラの中の客を写すためのカメラが据えつけられていたのだ。
彪馬は知らなかったが、それは遊園地ではよくあるサービスだった。下りたときにはその写
真が仕上がっていて、記念に買うことができるというものだ。前のゴンドラに乗っている客も、きゃーきゃー騒ぎながら集まり、カメラにピースサインを出したりしている。
そのことを知らなくとも、そのカメラが乗客を写すためのものであることは彪馬にもわかった。ゆえに彪馬は顔色を変えた。秘密組織である“嘱託”のメンバーが、しかもミッション中に写
真を撮られるのは、どうあっても避けなくては。
そう判断するや否や、彪馬の手から指弾が飛んだ。
指弾にこめられた威力のあまりのすさまじさに、ゴンドラのガラスには穴しか開かなかった。ピシッと軽い音だけを残し、指弾はカメラのレンズに命中した。レンズにも穴が開き、彪馬たちのゴンドラが通
りすぎるまでに、内部の機構は完全に破壊された。
彪馬はホッと息をついた。
「こらァ! 彪馬!!」
飛鷹が目をつりあげて怒鳴った。
「何やってんだよ、風が入ってくるじゃねえか!」
「な、なんだと!?」
「ガラスに穴なんか開けやがって、てめえここがどこかわかってんのか? 上がれば上がるほど、海風びゅうびゅう入ってくるじゃねえかよ!」
たじろぐ彪馬に、飛鷹はなおもガンガン怒鳴りまくる。
「その穴をふさげ! たった今だ! でなきゃ俺はこっから飛び下りて家に帰っちまうぞ!」
「ふ、ふさげと言われても、方法が……」
「てめえのその指があるだろうがよ!」
というわけで彪馬は、憮然として指で穴を押さえた。それならいっそ穴の開いているガラスの側に座れば楽なのだが、席替えしてくれと言ったら飛鷹にまたぞろ何か言われそうだったので、中腰で腕を伸ばした苦しい姿勢を取るしかなかった。
突然、ちゃらりらーんとのんきな音楽がゴンドラ内に流れた。
「な、なんだ!?」
「こら、指を離すな!」
飛鷹に叱られて慌てて指を戻しながら、彪馬は音楽の源を求めて視線を巡らした。音楽は天井のスピーカーから流れてきていた。切ってしまいたいのだが、残念ながら、そういうスイッチはついていない。
音楽だけならともかく、続いて甘ったるい声までが流れだしてきた。しかも、幼稚園の先生のような喋り方だ。
声はこう言って自己紹介した。
「みなさぁん、こんにちは。私、ムーミンママです。今日はみなさんに、ムーミンとその仲間たちについていろいろお話しようと思います」
飛鷹が黙ってムッとした。
彪馬も眉をひそめて沈黙した。
そう言われてみれば、ゴンドラの中にはムーミンのシールがたくさん貼ってあった。どうやらパレットタウンでは季節ごとに、テレビアニメのスポンサーと提携してイベントを行っているらしい。
ゴンドラの中ではムーミンママが甘ったるい声で延々と喋りつづけていた。彪馬も飛鷹も努めてそれを無視して、眼下に見える埠頭の見張りに精神を集中させようとした。
彪馬のポケットで携帯電話が鳴った。
「寒い!」
反射的に窓から指を離して電話を取ると、すかさず飛鷹が怒鳴った。やむなく彪馬は反対の手に電話を持ち替え、窓の穴を指でふさぎながら顎でパネルを開いた。
電話は深雪からだった。
「ねえ、彪馬! あんた今回は、依頼人から報酬を二倍はふんだくってちょうだいよ」
「どういうことだ?」
「それがさあ。ブツを運んだ後はサッサと立ち去るはずの敵サンが、いつまでたっても倉庫に居すわってんのよ。しかたないんでこっちは呉林氏と修野のダンナに協力してもらって、敵サンを次々におびきだしては時間稼ぎに引きずり回してるとこ。もー、面
倒くさいのなんのって」
彪馬がそれに返事をしようとしたとき、ムーミンママの声がうふふふふと笑った。
その声がばっちり携帯に入ってしまったらしい。
「ちょいと! その女は誰よ!?」
「……ムーミンママだ」
「はああ!?」
深雪の怒りの声が危険レベルまで跳ね上がった。
「こんなときに、そういうイカした冗談はやめてくれる!? まったく、ヒトが大汗かいて走り回ってるときに、そちらは女と一緒にノンビリ休憩とはね。いくらカモフラージュでも、それってあんまりじゃない!? 後で覚えてらっしゃいよ!」
弁解する暇もなく、深雪は電話を切ってしまった。
彪馬はため息をついて電話をしまった。
ゴンドラはゆるゆると上昇し、ゆるゆると下降していった。ムーミンママによって、この空の旅に十六分もかかるという事実が判明したので、飛鷹はますますヘソを曲げていた。だいいち、敵が動いたときにまだ空の旅が続いていたら、駆けつけたくても駆けつけられないではないか。
二人の険悪な雰囲気を知らぬ気に、ムーミンママは陽気に喋り続 けていた。
「……それでね、みなさん。スナフキンとミーのことは、もちろん知っていますよね?」
知っている、と彪馬は心の中で頷いた。
スナフキンというのは三角の目をして三角の帽子をかぶったニヒルな男だ。いつもギターを弾いては、主人公のムーミンの無軌道に忠告を加えている。友人に忠告できるとはなかなかすごいやつじゃないかと、幼い日の彪馬は感心したものだ。彪馬はどうやら子供の頃からこういう性格だったらしい。
ミーだって覚えている。こいつは髪の毛を頭のてっぺんでしばったキツい女だ。とんがった声でトゲトゲしいことばかりを言うキャラクターだという印象がある。幼い頃から正しく厳しかった彪馬は、わがままなミーが大嫌いだった。彼女の一挙一動を見るたび、いくら子供でも許せんと思ったものだ。
そんなことを思い出していたとき、ふとムーミンママの声が耳に飛び込んできた。
「みなさん、ご存じでしたか? なんとミーとスナフキンは兄弟なのです」
えっ、と彪馬は息を飲んだ。
「しかも、ミーのほうがお姉さんなんですよ」
「何っ!?」
彪馬はつい立ち上がって大声を上げてしまった。
「なんなんだよ!?」 すかさず飛鷹が噛みついてきた。
「何でそんなに驚いてんだよ!? ワケわかんねえヤツ!」
彪馬は最初は説明しようとしたが、言葉を口に出す前にあきらめてしまった。少なくとも子供時代は一般
的に育った彪馬と違って、飛鷹は生まれたときから現在まで、ムーミンなどとは縁のない暮らしをしている。ミーとスナフキンが兄弟で、ミーのほうが姉だという事実が一般
人にとってどれほどの驚きかということは、どう説明しても理解できないだろう。
「……なんでもない」
彪馬は心持ち肩を落として、自席に座り直した。
ゴンドラがようやく地上に近づいてきた。
幸いにして彪馬が空中から指示を出すまでもなく、ミッションは無事に終わっていた。品物はきちんとバンに積み込まれ、こちらの正体も敵にばれることなく撤収できた。
しかし、帰りのバンの中の雰囲気は最悪だった。
飛鷹は暴れる機会がなくて不機嫌が爆発の頂点だったし、修野は予定外の労働についてブツブツ文句を言うし、深雪はジト目で彪馬を睨んでいる。呉林がおとなしいのは車酔いでうずくまっているせいであって、彼も元気ならこの険悪ムードにひと役買っていただろう。
「もー、信じられない!」
しかも、彪馬が口を開こうとするたびに深雪が言うのだ。
「こっちが死に物狂いで走り回って、やっと隙を見つけて電話したと思ったら、うふふふふよ、うふふふ! まったく、どこの女を引っかけて連れ歩いてたんだか!」
有無を言わさぬその調子からして、そのうふふふの正体が録音された音声であることは、深雪も理解しているらしい。けれども彼女だって、八つ当たりの対象が欲しいのだ。さらに、彪馬がここまでやりこめられるって状況は滅多にないので、その機会を逃したくないのだろう。
彪馬のために弁解できる唯一の立場にある飛鷹は、もちろん彪馬の弁解などするはずもない。
「こともあろうに、今から空へ上がろうっていう乗り物に穴開けるんだぜ、穴!」
それどころか、深雪に加勢して彪馬をなじったりして。
彪馬は言い訳することも許されず、ただバンの後部座席で小さくなっていることしかできないのであった。
というわけでこのミッションは後々、彪馬がもっとも精彩を欠いた一幕として、長く語り継がれることになるのである。
彪馬が二度とパレットタウンに寄りつかなかったことは、言うまでもない。
|