小咄
27/10/2002 作:星野ケイ
 

 タイの中国人街の影の実力者、ブラッキー・ホン氏(仮名)は折しも、ライバルを亡き者にするため、凄腕の殺し屋を雇ったところ だった。
 東南アジアで一番と噂のその殺し屋を前に、ホン氏はご機嫌で椅子にそっくりかえっていた。
「とにかく、わしはな。なんでも最高のものでないと気がすまんの だ。たとえそれが殺し屋であろうとな」
 殺し屋は気のない様子でホン氏の演説を聞いていた。
 ホン氏は少しムッとして眉を上げた。
 ジロジロと無遠慮に、目の前の殺し屋を頭のてっぺんから足の爪先まで見回す。
「しかし、なんだね。こんなことを言うのもなんだが、君はちっとも殺し屋らしくないね」
 そうですか、とやはり気のない調子で殺し屋が答えた。
 ホン氏はムムッと口をへの字に曲げた。
 殺し屋はぼんやりとした表情で、豪華なホン氏の部屋を見回している。古着のようなジャンパーにジーパン、それにスニーカーというラフな姿だ。平凡で地味な顔だちといい、どこを取っても殺し屋には見えない。
「わかっているとは思うが」
 ホン氏は怒りを押さえて言った。
「私は君に、目の玉が飛び出るようなカネを払っているんだぞ」
 ふと、殺し屋が目を上げてホン氏を見た。
 口の端が少し歪み、笑いの形を作る。
「ご不満なら、別の殺し屋を雇えばいい」
 急に部屋の温度が下がったような気がして、ホン氏はぶるるっと 背中を震わせた。慌てて姿勢を正し、元のように椅子にふんぞりかえってみせた。
 その目の前で、殺し屋が無造作に前髪をかき上げた。
 感情のない青い右目が、ホン氏をじろりと見やった。ホン氏はそのとたん、椅子から飛び上がりそうになった。
隻碧人形 隻碧人形。
 片目だけが青いのは、そちら側が失明しているという噂だった。 もちろん、真実は謎の彼方だ。それを確かめた者がいたとしても、その後長くは生きていられなかっただろう。
「報酬のぶんの仕事はしますよ。この右目にかけてね」
 アジア最強の殺し屋、隻碧人形はそう言って踵を返した。ホン氏があわあわ言っている間に、ドアを開いてその向こうへ姿を消して しまう。
 隻碧人形が去ってからしばらくの間、ホン氏はどきどきする自分の心臓を押さえていた。百戦錬磨のホン氏を目線だけでこれほどお びえさせた者は、彼が初めてだった。
 そう思うと、ホン氏はかえってなんだかウキウキしてきた。
 やはり最高の者を雇ってよかった。このわしにこれほどの威圧感を与えるほどの男だ。標的がどんなに狡猾であろうが、どんな防御を構えようが、隻碧人形に任せておけば安心だ。
「これであいつもおしまいだな。ざまあみろ」
 ホン氏はホクホクしながら腰を上げようとした。
 そのとき、ドアがまた開いた。
「ん? どうした、隻碧人形。何かまだ用事か?」
 ホン氏は最初、なんの気なしにその男に話しかけた。けれど、その途中であることに気づいて首をかしげた。
 隻碧人形は、メガネをかけていただろうか?
 しかも、あのわずかな間に、スーツに着替えているなんて。
 どうしてメガネにスーツなのか、とホン氏は隻碧人形に尋ねようとした。
 けれどその前に、その男が片手を上げた。
 手の中にナイフがきらめいた。
 あっ。
 と思ったときには、そのナイフはホン氏自身の心臓にぐさりと突き刺さっていた。
「な、な、な……」
 なんで?
 と言いかけて絶命したホン氏の前で、その男はちらりと肩をすくめてみせた。
「冥土とやらに着いたら、あんたの信じる神に訴えるんだな。“嘱託”ってえ名の死に神に裁かれたってな。…それはともかく 、昔からけっこういるんだよな。俺を見て不思議そうな顔をする悪人ってさ。いったい誰と間違えてるのかねえ」

 注:この小咄は「香港/皇家辺境警察」と「私設諜報ゼミナール 」を両方読んで、しかもそれぞれのイメージ・キャスティングを知 っている人でないと笑えません。

城之内ゼミナール
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