患者が求める医療・病院とは


医療とは何か

 患者が今何をして欲しいのか、何を求めているか正しく知ることが、医療側には大切です。それには、患者さんと対等な関係、心のつながりを持たなければ話してもらえません。あまりにも医師や看護婦が忙しすぎれば、何か言いたいと思っても、患者は言い出すことはできません。医療側に時間的余裕がなければ、いい医療サービスは望めないのです。医療サービスで大切なことは、提供者と受益者は対等・平等の関係にあるのです。これには、患者側の医師への上手なかかり方も必要ですが・・・。

大阪大学元学長山村雄一氏談「医学、医療技術の発展は、社会に多大な恩恵をもたらした。日本人の平均寿命も延びた。しかしこれで人間が幸せになったとは言い切れない。人工呼吸器と点滴で生かし続けることは、人間の尊厳を損ねることになりはしないか。われわれ医師は、病気を見つけ、時には苦痛を与えつつ、患者を生かすことのみに力を注いできたのではないだろうか。……確かにわれわれは長寿を手にしたが、果たして心の豊かさを伴った長寿をえただろうか。医学は、人間とその心を大切にすることを忘れてはならない」・・・・医療側、患者側ともよく考えてみる必要がありそうです。

病院は心が安まる場所

 ホスピタル(病院)は「もてなす」という語源から生まれたのだそうです。病院に入院し病気を治すためには、医療(治療)はもちろん必要でしょうが、生きる希望と活力を高めるための心暖まる看護と、回復力を高めるための食事も大切だと思います。まだまだ、改善されないでいる時間の速すぎる夕食は何とかならないものでしょうか。
 病院は、悩める人が集まるところですから、その施設は心暖まり安らぐ空間でなくてはなりません。これまで病院といえば、白っぽく尊厳ではあるが冷たい印象である事が多かったようです。欧米の病院ではここはホテルなのだろうかといった暖かみのある環境で、びっくりするほどですか、日本でも少しずつ改善されてきているように思います。
 ちょっとした心遣いですが、患者さんを診るときに、医療側にとってはカーテンやついたてはない方が便利に決まっていますが、患者さんにとっては着替えるときなど恥ずかしいのは当然です。また、病室は夜には特に音がひびきやすいものなのです。看護婦さんは重症患者の世話に忙しく走り回ります。足音、ドアの開閉の音、トイレの水洗、こちらが知らずにやっていたことが、患者さんには辛いこともあるのです。音をたてないようなちょっとした心遣いが必要です。早朝に検温(感染症全盛時代のなごり)や血圧測定をして、疲れて寝ている患者を無理やり起こす必要もないのです。

寝たきり老人の少ない欧米

老人 日本人は、老人は寝たきりで看護し、これが老人に対する情愛と考えています。しかし、欧米では、人間として生きていることの概念がはっきりしており、病院であっても朝起きたら、寝巻を普段着に着替え、椅子(ソファー)に腰掛けるのが当たり前だそうです。ヨーロッパの病院では、ベットは夜寝るためのものであって、昼間はベットの横の椅子に腰掛け、重症の人もベット横のリクライニングシートに横になって点滴を受けるそうです。私も、つい最近までは、患者は寝巻を着ているもの、ベットにいつもいるものと考えていたのに気づき、少し恥ずかしく感じました。食事は食堂に行き、トイレにも年齢をいとわず行くのが、当たり前であり、生きていると言うことは日常生活を続けることなのです。日本では看護の人手が足らないためできないのだとよく言いますが、余り変わらない人数でやっている国もあるようです。やればできることをやっていないのだなあと反省しております。

死の告知について

 欧米などのキリスト教社会では、死は「生まれ変わるもの」という概念がありますが、日本の仏教の社会では死は「無」を意味します。ここに「癌の告知」の日本での難しさがあるのではないでしょうか。なかなか日本人は死を受け入れられません。家族も大勢が言わないで欲しいと言います。後で自分たちも苦しくなるからです。告知は、簡単に、ただすればいいものではありません。時間をかけ、家族、医療スタッフ共に本人の苦しみを援助できなければならないのです。黙っていてあげたいという気持ちは、いかにも日本人のとても温かい国民性だとも思います。しかし、告知(特に癌の告知)は、たとえ治らない状況であっても、患者さん自身の残り少ない人生の最後を大切に過ごしていただくために、本人が受け入れれる場合は大切であると考えています。