泉太鼓台の飾り幕

布団締め
上 幕 
上幕は南北朝時代の武将のエピソードを中心に描かれています。これらの飾り幕が採用された背景には現代人が忘れかけている「人間の生き方」としての忠孝を思い出し、地域の中での人との交流について祭を一つの媒体とし、代々大切に育みつなげていきたいという考えが込められています。
楠木正成と正行親子の「桜井の決別」
桜井(大阪府)での別れは正行が死を決意して「湊川の戦」に向かう時の話で、「太平記」に記されています。
児島高徳 「天莫空勾践、時非無范蠡」
後醍醐天皇が隠岐に流される途中、児島高徳が奪還を試みるが失敗し、桜の木に漢籍の言葉を書き付けた
楠木正成 「四条畷の戦」
正行は「四条畷の戦」で敗死したが、「返らじとかねて思えば梓弓なき数にいる名をぞとどむる」と吉野の如意輪堂の壁板に記し、戦場に向かった。
楠木正成が築いた「千早城」
1333年、楠木正行が築いた山城。鎌倉幕府の大軍に囲まれたがついに落ちず建武中興を成立させる因となった。
高覧幕

説明文:広報どい’99年6月より
画像提供:津乗一広さん