新居浜太鼓まつりについて

1.概要
 新居浜太鼓まつりとは、緋縮緬の天幕、黒ビロードの括、金糸刺繍の布団締め、四面八本の大房、緋羅紗に金糸刺繍の飾り幕を持ち、高さ約5m、重さおよそ3tの”太鼓台”を幕内で打ち鳴らす太鼓に合わせて150人のかき夫とよばれる男衆が担ぐ、四国3大祭りのひとつにも数えられる勇壮な祭りで、男祭りの異名を持ちます。
 毎年10月16日の早朝、内宮神社(山根町)の石段かき上げ(宮出し)が行われます。角野地区4台の太鼓台が鳥居から社殿まで300mの石段を一気にかき上げて祭り気分を高揚させます。照明に浮かび上がって輝く太鼓台が差し上げられると大歓声がわき、のべ35万人の観衆を魅了してやまない3日間の祭りが開幕します。

2.太鼓台の起こり
 太鼓台の歴史を紐解いていくと、その起源は平安時代、或るいは鎌倉時代まで遡ると推定されますが、それを肯定する資料は現在のところ確認できていません。太鼓台が記録の上で登場するのは江戸時代後期、寛政元年(1769)伊予三島神社や文政六年(1823)新居浜の東町で古文書上には出てきます。また、文政九年(1826)八月の一宮神社記には「近年に至りみこし太鼓と申すもの出来の節は神前へ初めて引き参り清祓修候云々」とありますが、未だ明確になっていない部分が多いようです。
 太鼓台の全国的な分布をみると、瀬戸内海沿岸の港町、漁師町や大きな川の輸送拠点に多く見られます。これは瀬戸内海の海上交通が発展するにつれて物資の流通、文化の交流とともに太鼓台も各地で独自の発展をしながら西日本全域に広がっていったと考えられるでしょう。

3.太鼓台の内部構造

 太鼓台の内部構造は概ね下図の通りです。台場の内側に大太鼓が据えられています。