≪え≫




江藤新平<えとう しんぺい>(1834-1874)肥前藩士

肥前国佐賀郡八戸村に生まれる
16歳の時、藩校弘道館に入学する
1850年、枝吉神陽の主宰する義祭同盟に参加し、開国論を唱えるようになる
1862年、脱藩上京し、桂小五郎の仲介で姉小路公知と面会し、
彼を通じて密書を上奏する
これらの行為に怒った藩主・鍋島直正に帰藩を命じられ金福寺で永蟄居となる
1867年、蟄居を解かれ郡目付となる
戊辰戦争が始まると、東征大総督府の軍監となって江戸へ行き
彰義隊討伐や東京遷都に尽力する
新政府では、江戸鎮台民政兼会計営繕判事、会計官出張所判事、佐賀藩参政等を歴任する
1872年、司法卿となってからは司法制度の充実と司法権の独立に尽力する
征韓論争に敗れて下野してからは、板垣退助らとともに「民選議員設立建白書」に署名
自由民権運動をはじめる
しかし、佐賀藩に帰郷した後、不平士族に祭り上げられて佐賀の乱が勃発
政府軍と戦うが鎮圧される
逃亡中、土佐で捕縛され佐賀で刑死する
享年41歳
辞世の句:「ますらをの涙を袖にしぼりつつまよふ心はただ君のため」




榎本武揚<えのもと たけあき>(1836-1908)幕臣

江戸下谷に生まれる。通称・釜次郎
1853年、蘭学伝習生として長崎で学ぶ
1862年、オランダに留学し、軍制・法律を研究し、1866年に帰国する
帰国してすぐ、幕府海軍軍艦開陽丸の艦長になる
江戸を占領した新政府軍に軍艦の引き渡しを迫られたが、それを拒み江戸湾から脱走する
途中で陸軍脱走部隊を乗せ、箱館に入港。この地に共和国を作りその総裁となる
五稜郭を本営とする箱館政府は英仏両公使を通じ明治政府に嘆願するが無視される
明治政府に五稜郭を包囲され、敗色が濃くなると自殺しようとしたが止められ降伏する
1869年、東京の軍務官牢に投獄される
入獄中、黒田清隆が助命に奔走したおかげで、2年半後出所する
出獄後は北海道開発に尽力する
その後、海軍中将、枢密顧問官、外相、農商務相等を歴任し、子爵となる
また、特命全権公使としてロシアに駐在し、千島・樺太条約を締結する
享年71歳




遠藤允信<えんどう さねのぶ>(1836-1899)仙台藩士

19歳の時、父に代わり奉行となる
藩内の尊王攘夷派の領袖となる
1862年、独断で攘夷決行の上書をし、藩論を尊王にしようとする
しかし、翌年の政争で敗れ閉門を命じられる
維新後、奉行に復帰し、戊辰戦争の戦後処理に尽力する
晩年は各地の宮司を務める
享年64歳




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