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羽倉簡堂<はくら かんどう>(1790-1862)幕臣

代官の子として大阪に生まれる
日田に移り、広瀬淡窓の咸宜園に学ぶ
父の後を継いで代官となり、関東・伊豆を治める
職を退いて隠居していた時、外国船が来航するようになり
老中をしていた安倍正弘に海防秘策を建白する
享年73歳




橋本左内<はしもと さない>(1834-1859)福井藩士

福井城下常盤町の医者の家に生まれる
緒方洪庵の適塾で蘭学を学ぶ
そして、その才覚を松平春嶽に重用される
将軍継嗣問題では一橋慶喜の擁立に尽力するが
井伊直弼に目を付けられ、安政の大獄で処刑される
享年26歳




林玖十郎<はやし くじゅうろう>(1837-1896)宇和島藩士

安政年間の初めに江戸に遊学し、大村益次郎に兵学を学ぶ
帰国後、藩主・伊達宗城の近侍に登用される
1867年まで薩長への密使等を務め、後に京都留守居役に就任する
京都では大久保利通らと王政復古を画策する
新政府となってからは参与となる
大総督府参謀に任じられ、前将軍慶喜の恭順について協議する
その後、東海道先鋒総督・柳原前光の軍監として甲州の鎮撫に赴く
また、会津若松の総攻撃にもあたっている
明治以降は政府に出仕するも1871年には病気で帰国している
享年60歳




林忠崇<はやし ただたか>(1846-1940)請西藩主・幕府遊撃隊

1867年、人見勝太郎や伊庭八郎らに呼応して藩兵を率いて出陣する
箱根付近で戦うが敗れる
続いて東北で磐城藩とともに戦うが孤立し仙台で降伏する
領地を没収されて江戸へ護送され、唐津藩邸で謹慎する
1872年に許され、故郷に帰る 享年94歳




原田左之助<はらだ さのすけ>(1840-1868)新選組

伊予松山藩の足軽の長男として生まれる
江戸に行った時、近藤勇ら試衛館の人々と知り合い、以後、行動を共にするようになる
宝蔵院流の槍使い手で、新選組では副長助勤、十番隊組長を務める
甲陽鎮撫隊の敗戦まで近藤に同行するが、永倉新八と共に離脱する
そして、永倉新八の靖兵隊に参加するが
その隊が会津へ向かう途中、ひとり江戸へ引き返し、彰義隊に加わる
上野の戦いで重傷を負い、その傷がもとで2日後死亡する
享年29歳




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