≪き≫




来島又兵衛<きじま またべい>(1816-1864)長州藩士

長州高千帆村の藩士の子として生まれる
大力巨漢で剣と馬術に優れていた
28歳の時、駕籠奉行となり、1855年に大検視、1859年に所帯方頭人となる
国を治める事務能力が高かったためもあり、長州急進派の旗頭となる
奇兵隊結成を期に長州諸隊が結成された時、遊撃隊の隊長になる
そして、8月18日の政変や池田屋事件に激怒する長州世論の先頭に立つようになる
1864年、禁門の変で馬上で指揮中に銃弾を浴び動けなくなり自決して果てる
享年49歳




木俣土佐<きまた とさ>(生没年不詳)彦根藩家老

彦根藩家老・木俣土佐守守易の子として生まれ、清左衛門と称する
1845年、家老となる
1850年、井伊直弼が藩主となると、仕置家老に任ぜられる
彦根藩の相模警護では、大将として赴任する
また井伊直弼が暗殺された時は、復讐に燃える藩士を抑える
その後、藩主・井伊直憲を立てるが、1862年、引退する
直憲が尊攘派によって処分を受けた後、復帰し、藩勢回復に尽力する





木村芥舟<きむら かいしゅう>(1830-1901)幕臣

江戸浜御殿奉行の子として生まれる
1856年、目付に就任し、長崎海軍伝習所の監督となる
1859年、軍艦奉行に任じられる
翌年、アメリカへの使節派遣で、提督として咸臨丸に乗り込む
帰国後、海軍の発展に努力するも、幕府解体とともに引退する
享年72歳




木村銃太郎<きむら じゅうたろう>(1847-1868)二本松藩・二本松少年隊

二本松城下に生まれる
藩の砲術師範であった父について砲術を学ぶ
1864年、西洋砲術を修めるため江戸へ遊学する
帰藩後は師範となり、少年塾生に砲術を教える
そして、この時の門下生が中心となって二本松少年隊が組織され、その隊長となる
1868年、大壇口での攻防戦の際、銃弾を受け戦死
享年22歳




清河八郎<きよかわ はちろう>(1830-1863)庄内藩郷士・浪士隊

出羽出身の郷士で、本名は斎藤元司
18歳の時、江戸へ遊学し、北辰一刀流を修める
1854年、神田三河町に私塾を開き、清河八郎と名を変える
尊攘派のリーダー格となるが、ヒュースケン殺害などの辻斬りを働いたため
幕府から追われる身となる
その追及の手を逃れるために幕府に将軍警護部隊(浪士隊)の結成を持ちかける
そして、幹部として浪士隊に参加する
京都に入ると、朝廷に建白書を提出し、攘夷の勅上を受ける
そして、隊士全員に浪士隊が幕府の部隊ではなく
尊王攘夷の尖兵として結成された部隊として結成された部隊であると発表する
これに驚いた幕府は、彼を江戸に呼び戻す
そして、佐幕派に睨まれるようになり、1863年、見廻組の佐々木只三郎に暗殺される
享年34歳




戻る