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新見錦<にいみ にしき>(1836-1864)新選組

水戸脱藩者で神道無念流の免許皆伝者
清河八郎が募った浪士組では、3番隊伍長を勤める
新選組となってからは近藤勇、芹沢鴨らと3局長の1人となる
しかし、日常の振る舞いが悪かった
「局中法度」は局長には適用されないとタカをくくっていたが
近藤らにはめられ、芹沢暗殺に先立って
祇園貸座敷山緒で切腹させられる
享年28歳




西周<にし あまね>(1829-1897)学者

津和野藩医の家に生まれ、藩校の養老館に入る
1853年、江戸で蘭学を学ぶ
蕃所調所に入り、西洋哲学を学ぶ
1852年、オランダに渡り、津田真道と共にライデン大学で
法学、カント哲学を学ぶ
帰国後、開成所の教授となる
維新後、明治政府に入り、軍人勅諭の起草文を書く
明六社にも参加し、西洋哲学の啓蒙に努める
享年68歳




錦小路頼徳<にしきこうじ のりより>(1835-1864)公家

8月18日の政変で追われた七卿の1人
1863年、国事奇人となり、攘夷運動を盛り上げる
しかし、政変によって失脚す、長州藩に逃れる
1864年、滞在中の下関において病により死亡する
享年29歳




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