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野村帯刀 <のむら たてわき>(1814-1876)芸州藩士

芸州藩政改革の時、政治の刷新と人材登用に尽力する
1862年、藩命を待たずに関白の近衛と会見し、勤王の誠意を伝え、藩主に上洛を促した
禁門の変では、兵を出して、皇居周辺を警護する
第一次長州征伐では、幕府軍の斡旋に努めたが、
第二次長州征伐では、長州藩との内通の疑いをかけられ、謹慎を命じられる
その後、戊辰戦争の時に許され、江戸で軍務に従事する
享年62歳




野村望東尼<のむら もとに>(1806-1867)歌人

1806年、福岡藩士、浦野勝幸の三女として生まれる
幼少から学問が好きで、和歌もよく詠み、大隈言道に師事する
24歳の時、福岡藩士・野村貞貫の後妻となる
42歳の時、夫と共に平尾山荘に移り、54歳の時に死別する。
その後、剃髪して望東尼と号する
平尾山荘に移った頃から、望東尼の元に勤王の志士が集うようになっていく
その後、勤王志士達を匿ったとして捕らえられ幽閉され、姫島に流される
その翌年、高杉晋作により脱出に成功し、そのまま下関の白石正一郎の元に身を隠す
そして、さらに三田尻へ逃れたが、その地で病に犯され死亡する
また、高杉晋作の辞世の句「おもしろきこともなき世をおもしろく」という句に
「すみなすものは心なりけり」という下の句をつけた人でもある。
享年62歳




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