≪せ≫




関鉄之介 <せき てつのすけ>(1824-1862)水戸藩士

徳川斉昭隠居の時、保守派を批判して処罰される
しかし、後に許され郡方勤となり、郷校設立や農兵の組織化に尽力した
安政の大獄が起こり、水戸藩に圧力が加わると井伊直弼暗殺を計画する
それを支援する農民達から軍資金の援助を受け、現場指揮官として井伊殺害に成功する
その後、豪農・桜岡源次衛門の支援を受けて袋田に潜伏するが
追手が迫ったため越後に逃れる
しかし、この越後で捕らえられ、江戸に送られて死罪となる
享年38歳




世良修蔵<せら しゅうぞう>(1835-1868)長州藩士・奇兵隊

周防大島郡椋野に生まれる
奇兵隊士となり、出世の糸口を見つけ
戊辰戦争では、奥羽総督参謀となる
奥羽討伐を主張し、会津を救おうとする仙台藩の使いを無視して攻撃を断行した
このことが仙台藩兵の怨みを買うことになり
1868年、福島の旅篭・金沢屋において、従者を1人しか連れていなかった彼は 12人の刺客に斬殺される
享年33歳




芹沢鴨<せりざわ かも>(1827-1863)新選組

水戸藩の3男として生まれ、本名を木村継次という
攘夷思想の中で育ち、神道無念流免許皆伝を修め、天狗党に入る
1862年、浪士組に参加するが、
尊王攘夷を唱える清河八郎に反発し新選組を結成。局長に就任する
しかし、その狼藉ぶりには目に余るものがあり
浪士取締役の山岡鉄舟が脅しに来るに至る
しかし、それでもなお乱交は収まらず、罪状には事欠かない惨状であった
そして、近藤勇ら試衛館一派と対立する
その後、会津藩の命令を受けた近藤達によって暗殺される
享年36歳




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