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天璋院篤姫<てんしょういんあつひめ>(1836-1883)将軍家定正室

名を敬子(すみこ)といい、薩摩藩島津忠剛の娘として生まれ、後、島津斉彬の養女となる
将軍継嗣問題が浮上していた頃、突然、左大臣近衛忠熈の養女となり、名を篤姫と変える
その2年後、1853年、13代将軍家定の3番目の正室となる
その2年後、将軍家定は病没し、23歳で未亡人となる
家定が病没すると、剃髪して天璋院と号するようになる
そして、家定亡き後も大奥にあって、徳川家のために尽くす
朝廷より、家茂に嫁いできた和宮とは、家風の違いや、気質の違い等から対立することもあったが
次第に互いの立場を理解し、思いやるようになる
維新後は徳川家の後継ぎとなった家達の養育に専念し、徳川宗家の為に一生を捧げる
1883年、病により死亡する
享年48歳




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