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千坂高雅<ちさか たかまさ>(1841-1912)米沢藩家老

米沢藩家老・千坂伊豆高明の子として生まれる
18歳の時、馬術、槍術、剣術の免許を取得する
1864年、家督を継ぎ、1867年、奉行職に任ぜられる
藩政に参加するようになり、藩主に軍制改革を建議し、認められ家老に昇格する
軍制改革をやり遂げた頃には官軍が迫ってきていたが、会津に同情していた彼は
薩長と事を構える覚悟をする
越後への出兵の準備の最中、同盟を裏切った天童藩が官軍の先鋒として庄内に侵入し
それを制するため出撃し、これを制する
そして、逃げた官軍の副総督・沢為量を追うが、この遠征が長引き、
越後への兵の確保ができなくなってき、ついに米沢藩は降伏してしまう
戦後、一時謹慎をさせられるが、後に許されフランスやイタリアに留学する
その後、新政府に入り、地方県令などを歴任し、貴族院議員となる
享年72歳




千葉周作<ちば しゅうさく>(1794-1855)剣客

幼い頃、父から北辰夢想流の剣術を学び、江戸に出る
そこで旗本に仕えながら浅利又七郎に剣を学び、さらに中西派一刀流の道場にも通う
その後、江戸での武者修業で門徒を増やし、1822年に日本橋に玄武館を建てる
その3年後には神田お玉ヶ池にも道場ができる
後に水戸藩に招かれる
享年62歳




長連豪<ちょう つらひで>(1856-1878)加賀藩郷士

幼い頃、豊島洞斎に仕え、のちに藩校で学ぶ
維新後、薩摩を訪れ、中村半次郎や別府晋助らと親交を結ぶ
その後、島田一郎と出会い、大久保利通暗殺を計画する
1878年、紀尾井坂で大久保利通を暗殺し、自首する
そして、市ヶ谷監獄において斬首の刑に処せられた
享年23歳




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