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頼山陽 <らい さんよう>(1780-1832)学者

広島藩の儒者の子として大坂に生まれる
1809年、備後の管茶山の塾頭になるが、不満を持ち、翌年京都で私塾を開く
その後、よく旅行をしていた
1827年、「日本外史」を著す
享年52歳




頼三樹三郎<らい みきさぶろう>(1825-1859)学者

頼山陽の3男として京都三本木に生まれる
尊王攘夷を唱えて国事に奔走し、梅田雲浜、梁川星厳らと交わる
将軍継嗣問題では、一橋慶喜擁立に尽力するが、井伊直弼就任により失敗する
朝廷より水戸藩に攘夷の命令が下された戌午の密勅事件に関係し
幕府から、梅田雲浜、梁川星厳、池内大学らと共に「悪謀の四天王」と呼ばれ敵視される
安政の大獄が断行されると、捕らえられ六角獄に入獄される
翌年、江戸に檻送され、小塚原の刑場で斬首される
享年35歳




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