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是非みなさんなりのSMAP論(論は堅いかな、SMAPへの思い?)お寄せ下さいね!

私のSMAP論

CHIKA

#3 vs.Katori−兄で兄・兄で弟−

ここのところ、木村君は慎吾に夢中である・・・なんて言い方をすると語弊があるかもしれない が、彼は自分の素直な興味を隠さない正直な人間だから、TVで見ててもそれが良く分かる。私にし てみれば、なぜもっと早くになかよしにならなかったのか不思議な位だが、それには森君の存在が 大きかったのではと推察する。彼がいたおかげで(or せいで?)メンバーそれぞれが向き合わず に横一線に並んでの存在が可能だった。
もう少し詳しく言うと、しんつよ、あるいは中居と慎吾のつながりは以前から強く、また拓哉・ 吾郎の関係も前述した通りであった。その両者のバッファー(緩衝材)としての存在が森君だった ように思う。その結果、木村・香取はわざわざ向き合わずとも用が足りたのである。そもそも慎吾 は余りに幼かったし、もともと木村君はうざったいのが嫌いでもある。
そうこうするうちに、森君がSMAPを卒業し、時期を同じくして(良くも悪くも)慎吾は大人にな った。そうなって初めて木村君は気づいたのである、意外にも自分によく似た人間がすぐ傍にいた ことに。

この2人の何が似ているか。たとえば、家族構成。一見亭主関白で息子のしつけのためには体罰 も辞さないちょっと頑固な父親、美人でしっかりものの母親、少々歳は離れているが兄貴思いの弟 、そしてその二人兄弟の兄貴と言えば、家族と友達を愛し、アウトドアで元気に遊び、型にはまら ない芸術的センスを持ち絵画の才能にも秀でたナイスガイ・・・とここまで列記しても、まだこの 2人の共通項からはみ出ていない。それくらい実は似通っているのだ。でも、一見するととても似 てるとは思えない、この2人。それは何故か・・・。
一つはグループ内外での立場。片やグループ内でも兄貴、片や家庭では兄貴であるが、グループ ではみんなに可愛がられ、かつ苛められ続けた末っ子の立場、それが大きく違う。家族といる時間 よりはるかに職場での時間が長い以上、この環境の違いがそれぞれの性格に落とす色合いの違いは 馬鹿にはならないのである。
そんな2人の違い、それはたとえば木村君は自分の弟の事をマスコミで取り上げられるのを極端 に嫌い、精いっぱい守ろうとする(敢えてそれを非難するコメントも出した)。一方、マスコミに 晒そうとしてる訳ではないが、慎吾は弟をアルバムのソロナンバーのバックコーラスにつかい、更 には地元でのライブ初日にステージに乗せた(何という大らかさ)。
あるいは、両者共に優れた役者だが、木村君はドラマの中に素のままストンと入り、その中で自 分を表現する。台本も現場には持っていかない。覚えきって自分の中で消化した上で、現場で共演 者を調和させる。一方、慎吾はぎりぎりまで台詞をきちんと覚えない。それは一般の役作りとは別 の次元で、外見から中身から役そのものに自分がなりきるから、細かい台詞の相違はどうにでもな るからである。演技へのアプローチの仕方一つ取っても、ここまで違うのである。しかし、その違 いもお互い認めて一目置いていることもまた事実である。

そんな性格の一致点・相違点はさておき、今やこの二人はプライベートも一緒に遊ぶ位の仲であ る。たとえば思い出して欲しい。スマスマSPでの「遅刻キャラ事件」の時に、あわや遅刻キャラに なりかけた(いや、実際に一度はなったが)木村君が遅れそうだという連絡を誰にしてきたか。自 分となまじ年齢の近い人間にはそんな照れくさい電話は出来ない。慎吾くらい年が離れているから こそ、余計な気遣いなく素の自分を出しやすいのかもしれない。
そして、2人の今後。私は、慎吾を“生きたSMAP”だと勝手に思っている。つまり、SMAPという グループがもし一人の人間だとしたら、それは慎吾そのものだと。何より人生の半分をSMAPとして 生きてきた慎吾の行く末がそのままグループを左右すると。だから、歌にしても慎吾がもっともっ と精進してきっちりメインを張り、木村君がそのニュアンスを膨らますような立場に回れたらその 時は、回り道だったけど、ボーカルグループSMAPがたどり着くべき場所にようやく到達出来るよう な気がするのである。

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CHIKA

#2 vs. Kusanagi−プライドの表し方のバリエーション−

 様々な番組の特集等でデビュー当時から今に至るSMAPの変遷を見ていると、つよぽんこ とくさなぎ君は他のメンバーと比べて、あまり目立った変化がないように思える。髪型の 違いはあっても、もともと大人びた顔立ちのせいもあって(木村君曰く「(ジャニーズに 入った当時)大学生かと思った」(笑))、定点のようにグループの中での自身の位置を キープしている。ドラマのタイトルそのままの「いいひと。」のイメージに私自身は少々 疑問を感じない事もないが、ことメンバーへの接し方を見る分には、そのイメージは間違 ってないと思う。

 木村君とは、昔と比べて一緒に行動する事も増えたようで(また事実彼は、そういう事 を隠す事なくTVなどでとても嬉しそうに話す)、それらのエピソードを聞いても微笑まし い。曰く「木村君と一緒に犬の散歩に行った時、女の子に会うと、僕を見ても何ともない のに、みんな木村君を見て腰を抜かしそうになってた。」などなど。自分のいいともレギ ュラー曜日にゲスト出演した木村君が場の雰囲気をみんなさらった時も「でも、ほんと木 村君ってかっこいいねえ〜。」とまったくいやみなしに言ってのけていた(そういう事を 言われる事が本来大嫌いな筈の木村君が、まったく気にしない位さりげないトーンで)。
 また、とあるSMAP密着番組でトイレの床の上にしゃがみこんで話し合う2人を見てても 、実に仲良しな雰囲気に満ちていて、楽しかったのを覚えている。更に、最近では一番年 下である慎吾にまで見事にやり込められて、それでも慎吾を賛美するシーンすら散見され る。

 一見すると、木村君や他のメンバーを癒す存在にともすれば甘んじているようにも見え るつよぽんであるが、実はそう単純に収まってはいない筈。彼がいろんなシチュエーショ ンでまったく平静に飄々として見えるのも、裏返せばその程度の事ではびくともしない鋼 のようなプライド(→一見すると、プライドの固まりのようで、その実、意外にこだわり のない木村君とは逆)の持ち主だからなのではないか。だから、つよぽんに限らず、いろ んな局面でのほほんとしているように見える人を見た目だけで侮ってはいけない。 SMAP の中では比較的目立たない存在に位置する彼は、実はそういう自由なポジションを利用し て己をキープし尚も鍛えているように思えて仕方がない。ファッションに対するこだわり も、模倣の時期を過ぎて、徐々に彼のオリジナルを築きつつあるような気がする(祝! Men's club・ベストドレッサー!)。
  本当はそういう恐い存在である事を、あまり気にしていないように見えて、実は気にし てる(どっちなんじゃい!(^ ^;))木村君はとうに知ってて、ほんとは一目置いている のが現状ではないだろうか。そして、いくら木村君が家に呼んでくれと言っても、彼なり の理論で頑なに拒んでいる(らしい)のも、その現れかも知れない。

 真実はどうであれ、(誠に勝手な言い分ながら)そういうプライドを大切にしつつ、つ よぽんには今のままメンバーにとって癒しの存在、それも出来るなら筋金入りの「いいひ と。」になって貰いたいと思う(一般的には、もっと“毒蛇”つよぽんも見てみたい気も するが・・・)。

私のSMAP論

りりー

勝手に私なりにスマップを考えてみたんですが、、、

私は元々アンチジャニーズで、光ゲンジも嫌いでした。

なぜかというと、可愛い顔なのに脇毛ボーボーで気持ち悪かったからです。

私は当時少学六年生で、クラスにやっぱり「かーくんかわいい」とかいってる女子が多くって、それを見ているグループの方でした。

なぜそんな私がスマップファンになったのかとかんがえると、、

まず「イカ天」によりバンドブームが起こり、シンガーソングライターがもてはやされ、
アイドル冬の時代が到来しました。
そしてアイドルなのにちやほやされないで育った スマップは、必死に生き残るため色々なジャンルに挑戦します。試行錯誤や失敗ももちろんあったでしょうが、アイドルの彼らは全く世間の注目を集めなかったため、成長過渡期のスマップは殆どの人が知らずに、ここに「なんでもこなせる使えるアイドルSMAP」が誕生します。

スマップはお笑いの人のつっこみにもきちんと返せるし、歌はダサさがなくジャズをベースにした大人の鑑賞に堪えるもので、(衣装も脇毛を見せるものではなかったし)それぞれのメンバーが刺激しあって日々成長を続けているように見えて、多くの人は安心して見ていたと思います。 たいていの人は、「何となく好き」と言う感情を持って、、、

そこに突然の森くん脱退。私が最初に思ったのは「しまった。もっと森くんを大切にするべきだった」と言うことです。

このとき私はまだスマップファンではありませんでしたが、
森くんが抜けることによってスマップというグループのバランスが崩れるのは容易に想像できました。
たぶん誰もが知らないうちにスマップを好きになっていたことをあの事件で自覚したと思います。
そして、スマスマという見ていて非常に幸せな気分になれた番組に、「不安」の要素が加わり始めました。森くんは目立たなかったけどグループの中では非常に貴重な存在で、「ビストロ」「涙のスマップ」は森くんのためにあるような企画だったので、 森くんが抜けてそれらが壊れていくような気がしたのです。

そしてこの頃から中居くんの顔に異様な美しさが現れ始めます。それは男女問わす引きつける妖気のようなもので、(サンデージャングルは特に顕著だった)私はとうとうスマップの番組を録画し始めるようになってしまいました。(まだファンだと言う自覚はない)

私はスマスマを見るととても幸せになると同時に「この幸せがいつまで続くんだろう」と言う不安にも駆られていました。

だけど「セロリ」を聞いたときあの歌詞に何とも云えず幸せな気分になってCDにも手を出し、そして「WOOL」ですっかりファンだと自覚したんです。
だから私にとってスマップの基本は音楽です。スマップと言うプロジェクトが作り出す音楽が嫌いになるときが、私がスマップファンをやめるときだと思っています。

私スマップの人気って「これからどうなるかわからない、不安定さ」が大きく原因してると思うんです。だから木村くんが事務所を辞めるとか噂があったときはスマスマも凄い視聴率だったじゃないですか。
でも私はあの視聴率の高さにはおびえていたのでこのところ落ち着いて良かったと思っています。

私のSMAP論

CHIKA

 未だ、時代を疾走し続ける、煌く多面体 Boys -SMAP−。彼らを、 特に木村拓哉を見続けて来たとは言え、たかだか5年ちょっとの 未熟者ではありますが、自分なりに彼らについて思う事を徒然な るままに書きなぐってみようと思います。
 題して、「SMAP比較文化論」(すんません、何と大袈裟な・・・ (^ ^;))。何事も比べる事の好きな日本人らしいといえば、 らしい切り口で彼らと正面から向き直ってみたいと思います。 (ただ、#1しか完成してません。最後までたどり着かなかったら、 ごめんなさい・・・(^ ^;)。)

Part.1 木村拓哉編
#1 vs Inagaki−麗しき二卵性双生児の行く末−

 リアルタイムで見てた訳ではないが、その昔のデビュー当時のたく ・ごろうはアンニュイな美少年としてグループ内で対をなしていた らしい。そもそもSMAPは(今は別の路をゆく森きゅんを含めて)6 人が見た目で大きく3つ(2×3)に分類できたのをみなさんはご存 知か?

  まずは言わずと知れた、名コンビのしん・つよ。メンバー中最年 少コンビでもあるこの二人はいわゆる“ジャニーズ顔”からは一線 を画した、ワイルドなルックスが売りである。頬からあごにかけて の野生味あふれるラインは甘いルックスが目立ってしまうグループ の表情に微妙な角度を添えている。

 一方、それとは対照的な典型的な細面の美少年コンビは中居・森。 ぱっちりとした潤んだ瞳、小さい口元、きゃしゃな顔立ち、当人の キャラや内面は別にして、正統派・ジャニーズ系美少年である。特 にここの所、中居君の美青年化が目にみえて激しい(何故だ?年頃 か?)。

 そして、ゴロちゃんはわれらが拓哉と並んで、アンニュイなニュ アンスを持つアートな美少年である。どこかアンニュイな雰囲気を 醸し出すそのルックスは(特にごろちゃん)、初期のSMAP人気の牽 引車だったとも第一走者だったとも言える。また当時ステージ上で は、この2人の間で見交わす視線の“ラブラブ光線”が飛び交って いた(何と無責任な・・・(^ ^;))との噂まであったそうだ。また 一時期2人で似たような服を着てたらしい事も含めて、はなから おとなしくアイドルに収まるようなキャラではなかった拓哉にとっ て、少なくともある時期まではメンバーの中で心を許して話が出来 る、いや話が通じる相手は吾郎だけだったんじゃなかろうか。

 時は流れた。“明日も明後日もずぅ〜っと続いてく”と思ってた SMAPにも、森君の卒業という新たな局面が到来した。有機的なつな がりで成り立っていたこのグループの構造にも微妙に変化が出て、 そしてみんな少しずつ大人にもなったせいで、なんとなくみんなが みんな仲良しになっていって、先程述べた3組の組み合わせ(とい うか、結びつき)は弱くはなってきた。
 それでも、このたく・ごろうで、拓哉が今でも誰よりも吾郎に言いたい放題で、それを気にす る事もなく飄々と吾郎が受けているのを見て、微笑ましく思うのは 私だけだろうか。そこには、分かり合っている者達だけに許される 無遠慮さが通用し、周囲のハラハラはおかまいなしなのである。

 この先、この2人をグループを取り巻こう環境に変化が起きても、 少なくとも根本的な2人の関係は変わらずに続いてくのではないか? そう、もはや見た目はそうは似てはいなくとも、やっぱり根底でど こかつながっている二卵性双生児のように・・・。これから時が経って、再び双曲線が寄り添うように案外この2人に もこれまでとは別の類似性が発揮される日が来るような予感も・・ ・。


この前こんこんさんが「SMAP論」を寄せて下さったんですが、それに続き(それを受けて、かな)YUMIさんも彼女なりのSMAP論を寄せて下さいました。 YUMIさんはご自分がSMAPのファンになって日が浅いこととか、日々SMAPへの想いが変化していっていると言う事で躊躇してらっしゃる所もおありのようですが、 折角書いて下さったのだからと私が再度お願いして掲載O.Kを頂きました。時間的には上の方に書いてある部分が現在に近い心境だそうです。そして下に前に書いて頂いたものを載せていますのでどうぞ続けて読んで頂けたらと思います。 みなさんの感想も是非お待ちしています<(_ _)>。

私のSMAP論・・・1997『ス』を見て

YUMI

最初に、下の「SMAP論」(らしきもの)のことなんですが、だめなんです。 とても完成できないという心境になってしまったんです。理由は2つ・・・

まず、私は森くんがいた時代のSMAPをあまりにも知らないということ。
ロンバケで「いーじゃない」となって、だんだん熱が上がって、今のような状態に なったのは去年の始めごろ。実は最近まで、6人時代のSMAPを見ても、ごちゃ ごちゃしていて、5人の方がいいな、なんて昔からのファンの人が聞いたら激怒し そうなことすら感じていたんです。もし、今、森くんがいても、キャラが拓哉くんと ダブるんじゃないか、とか。でも、最近「SEXY SIX」や「007」というライブビデオを見て、考えが変わりました。 どちらも拓哉と森くんと2人でやる曲があるじゃないですか。(「それが痛みでも」の2人の美少年の麗しいことよ!!)森くんと拓哉はどちらも美しくてかっこよくて、 もしかしたら火花を散らすような関係でもあったかもしれないけれど(このへんもよく知らない)、彼がいなくなって、拓哉はある意味すごーく寂しいだろろうな、という ことがわかった気がする。もし、は言ってはいけないんだろうけど、もし、森くん が今いたなら、拓哉と共にとてもクオリティの高いことをできただろうに、とは思 います。最近では慎吾くんが成長して、拓哉と一緒にいろいろやってくれて拓哉も 嬉しいんじゃないかな。「ココニイルコト」についても、「慎吾とこういう曲をや れて嬉しい」って言っていたので。
で、既に書いた私の文では、そのへんのことを『残った5人がパワーアップして、 SMAPとしての輝きは弱まるどころか強まった』『別の場所に活躍の場を移した もう一つの光も力強く輝き始めている』というようにしたのですが、「007」 を見たら、なんだかそんな風にあっけらかんと言ってはいけないような気がしてし まったんです。SMAPの歴史はもっと奥が深いようで。

それからもう一つは・・・
私はSMAPの個性というものを「5色の光」として表して、『5色の絵の具は混 ぜればきたない黒い色になるが、光は交わると明るい白い光となる』としました。 そして、それぞれがより輝くことによって、SMAPという光もより強く輝く、と いうようなことを言おうと思っていたのです。
でも、先日ある人からこんな話を聞いたんです。その人が友人達と俳優さんや拓 哉について話してしたとき、結局「木村拓哉は木村拓哉の枠を出ていない」という ようなことになってしまったそうです。やっぱりSMAPというアイドルグループ の木村拓哉として活動していることで、拓哉の才能を全部出し切れていないのでは ないか、と言われて、私は痛いところを突かれたような気がしてしまったんです。
考えたくないけど、心の隅の隅のまた隅の方にいつもわだかまっている思いに気づ かされてしまったような・・・。だから、個人がより輝くことによってSMAPも より一層輝くというのも、なんだかキレイゴトのような気がしてしまって。もしか したら、彼らは、特に拓哉はそのバランスをとることに苦しんでいるのかもしれな いし・・・。
ただ、強調したいのは、SMAPの一員であることが、拓哉にとって勿論プラスに もなっているということ。一匹狼の拓哉もかっこいいには違いないけれど、SMA Pのメンバーといるときの、おちゃめな、やんちゃな、しんつよの兄貴な、ツート ップな、ハモリの好きな、何言い出すかわからない、優しい顔した、脇にもまわる 、拓哉がいることによって、彼の魅力は複雑な奥深いものになっているのだし、そ こが、ただのカッコイイ系の俳優さん達と決定的に違うところだと私は常々思って います。

まさに、あのころの未来に立っているSMAPくん達、夜空のむこうにはどんな明 日が待っているのでしょうね?
明るい明日だといいね、いや、そうに違いない。そして、つないだ手を放さないで ほしいな。

知れば知るほど色々と考えさせてくれる彼らなので、少し前に書いたものがもう当 てはまらない気がします。だから、強いて言えば、これが、今現在の私のS MAP論かもしれません。で、また変わっていくのかも。

〜 私のSMAP論・・・1997『ス』を見て 〜

SMAPは5人の個性が生かされているグループだと言われている。「個性がぶつ かり合う」という言い方をよくするが、SMAPの場合「ぷつかり合う」という印 象をあまり受けない。5人5様の光を放つ彼らであるが、SMAPというチームを 組む時、まるで各々の光をすーっと内に取り込んでしまうかのようである。5色の 絵の具を混ぜれば汚い黒い色になってしまうが、光は交じり合うと明るい白い光と なる。SMAPというチームは光がぶつかり合っているというよりは、5人の光が 交じり合うことによってひとつの非常に明るい発光体となっているようである。
今、光を内側に取り込んでしまうと述べたが、実はこの辺のニュアンスは、どう表 現してよいものやら、私の表現力では難しい。決して、各々の魅力が弱まっている ということではない。
SMAPにはセンターがない。光GENJIでは大抵諸星君 がセンターだったと思うが、それに相当するメンバーがいないのである。
中居氏は 勿論、一番発言が多く、目立っているようでもあるが、それは自らがセンターに立 つという類のことでないことは、ファンなら誰でも知っている。木村氏も、その人 気と実力から、目立つ立場にあることが多いことは多いが、あくまでもメンバーは 平等、天下の木村拓哉といえども、SMAPの中では五分の一であり、また、その 立場をを気持ちよく引き受けているように思える。つまり、SMAPというチーム は、5つの色がぴたっぴたっと気持ちよくそれぞれの場所に収まって、お互いの邪 魔をしないという、目立つことが身上の芸能界というところにあって、希有な存在 なのではないか。
私個人は比較的日の浅いファンであり、森君のいた時代のSMAPをあまり知らな い。注目し始めたとたんに森君が脱退してしまったのである。
彼が抜けた時、誰も がSMAPのパワーがある程度弱まってしまうことを懸念したであろう。だが、実 際はどうだったろう。残った5人はプラス5分の1ずつパワーアップすれば計算上 はもとのパワーになるはずであるが、どうも彼らはそれ以上のハワーアップをした ように思える。ひとつの色が抜けてしまった寂しさは埋めようがないが、SMAP という光は弱まるどころかますます強く輝いたようである。そうして、別の場所に 活躍の場を移したもう一つの光もそれに呼応するかのように力強く輝き始めている ようで、まったく頼もしい限りである。

『ス』を見た時、「その髪をほどいてくれ〜!」と絶叫した拓哉ファンは多いはず である。まったく木村氏は己の美しさに無頓着なようだ。
「うざったい」から髪を 結び、SMAPの五分の一として歌い、踊る。力の抜けた楽しそうな顔。力の抜け たといえば、中居氏もライブの時は少年(少女?)のようなくったくない最高の笑 顔でファンを魅了する。
私の知人のR女史(TOKIOファン)がこんなことを言っていた。「中居君ってよその人と関わる時はなんだか鼻につくような時があるけ ど、SMAPでいる時は本当に可愛くなっちゃうのね。」(中居ファンの方、失礼 しました)
中居氏もなかなかに奥の深い人物のようで、私にはまだ理解し得ない部分が多そうであるが、この言葉の表すような印象は実は私にもなくはない。やはり 、一人でいろいろな人と張り合わなければならない立場上、計算したり、多少ハッ タリかましてることもあるのではないか。それが、SMAPの中に入ると実に安心 しきった素直なお日様のような光を放つのである。

少し話が外れた。さて、無頓着な男の子木村拓哉も、自分の持ち時間、つまりソロ を歌うときには髪をほどき、その魅力を全開にする。髪をかき揚げながら、「じゃ 、もうどうなってもいいか」と言われて「もう、どうにでもしてーっっ!」と思っ たファンも多かろう。そこは自分一人の持ち場、思い切り光(オーラ)を解き放つ 時である。
彼は自分の魅力をよく知っている。知っていて、5人の持ち場ではそんなことはど うでもいいと思っているかのようである。SMAPという光が存分に輝きさえすれ ば。
それは遠慮とは違う。それぞれがそのようにSMAPというチームを愛しているの だと思う。
中居正広、木村拓哉、稲垣吾郎、草なぎ剛、香取慎吾、どれをとっても、ひとりで 主役を張れる程の芸能人(彼らにこの呼び名は似合わない気がするが)が5人、、 、普通だったら、自分がどれだけ目立つかの争いになってしまいそうであるが、誰 もでしゃばらず、引っ込まず、ごつごつとぶつかり合う個性ではなく、お互いに刺 激しあいながら、それぞれが心地よく自分の力 を発揮するチームに成長したからこそ、今のSMAPがあるのだろう。

願わくば、いつまでもその輝きの褪せることがないように。5色の光が輝いてSM APもよりいっそう輝き続けますように。


この夏休み、こんこんさんが宿題として「SMAP論」を書きました。 読みたいと言う声がたくさんあったのでこんこんさんが寄せて下さいました。こんこんさん、ありがと〜(^o^)。 どうぞお読み下さいね。

私のSMAP論

こんこん

 私は、この題名の通り(笑)SMAPファンです。(と言ってもあくまでLOVEではなく、VERY LIKEな程度ですが)
 今回は私の大好きなSMAPがどれほど素敵かということをお伝えしようと思います。

 まずは基本的なことから。SMAPは、中居正広くん、木村拓哉くん、稲垣吾郎くん、草なぎ剛くん、香取慎吾くんの五人で構成されています。(以前は六人 でした)この五人は今、歌にドラマにバラエティーに大活躍中なのです。
 と、月並な話はこれくらいにして(笑)、ここからは少し踏み込んだ話をして いきたいと思います。
 私は、SMAPは外見も中味も素敵な人々だと思っています(ひいき目アリ (^^;))。外見は見ればわかることですが、中味もいいというのは彼らの発 言を聞いてわかったことです。彼らのポリシー(?)はすごく見習わなければな らいなと思うことがよくあります。
 例えば、
『人間、次の瞬間に死ぬかもしれないんだから、一分一秒を楽しく生きよう!』 だとか、
『人は最初泣いて生まれてくるんだから、死ぬときはせめて笑って死にたい』 とか、こういうことを雑誌のインタビューや自分がやっているラジオ番組で言う んです(TVじゃあんまり言わない(^^;))。この二つの言葉って、かなり 前向きですよね。私は前向きというより「何とかなるさ」の楽天的な性格なので (なんてったって今これ書いてるの8月31日の夜だし(^^;))、こういう 前向きな姿勢に改めなければと思っています。
 その他にも仕事には絶対手を抜かないところや、すごく真面目なところ、周り にすごく気を配るところなど、まだまだたくさん見習いたいところがあります。

 それにしても、SMAPはなぜこんなふうな考え方が出来るんでしょう?
それは、元々の性格もあるのでしょうが、SMAPがすぐには人気が出なかった ことも少なからず影響していると、私は思います。
 私は、デビュー当時はまだSMAPの存在すら知らなかったので、その時のこ とはよくは知らないのですが、コンサートであまりお客さんが入らなくてショッ クを受けたり、アイドルとして出る番組がほとんどなくてお笑いの方向もやって 行かなければならなくなったそうです。
 もし、こんなことがなく、デビューしてすぐに人気が出ていたら、きっと社会 現象にまでなるほど有名にはならなかったと思います。
『記録より記憶に残るグループでいたい』
なんて言葉、出ないと思います。

他にも、もっともっとSMAPはいいところをたくさん持っているのだけど、私 の文章力(何か違う?)が足らないために伝えきれなくて、本当に残念です。
 こういうのは、私なんかが書くより、実際に本人たちの声を聞いたり読んだり する方が伝わると思います(^^;)。でも、少しはSMAPの素敵なところが 伝わったんじゃないでしょうか。(えっ?伝わってない?(^^;))

 私はSMAPのファンでよかったと確信しています。これから、メンバーのい いところをどんどん吸収して、素敵な人になりたいです。そしてこれからも、も ちろんSMAPのファンを続けていきます。きっと。

(先生のコメント)
こんこんさんのグループに対する思いはよく伝わりました。 一晩で与えられた課題に対して一生懸命書いてくれてありがとう。
まず五人の一人一人が個性的できらきらと輝いてみえました。(注:SMAPを よく知らない先生のために、参考資料(笑)としてメンバー全員が写ってる雑誌 のピンナップを添えて提出したのです)一人一人が個性的に輝いていると同時 に、グループとしてまとまり、大きな別の個性を出しているのではないでしょう か?一人一人が一瞬一瞬を大切に生きているからこそ、このように輝いてみえる のではないでしょうか。人間は、形や格好でなく(できれば形もよく中味がよい ともっとよいですね)中味で生き方を問われるといわれます。では、その中味と は何でしょうか。大変むずかしいことです。しかし、人間が生きる上で最も大切 なことではないでしょうか。その中味さがしに真剣に学んでほしいと思います。 これから先生も一緒に勉強していきたいです。よろしくね。

PS.ちなみに、こんなに素晴しいコメントをして下さった先生ですが、SMAPをスナップと読んでました(フリガナ までふってあったのに・・・それにMだってば・・・^^;;)。

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