2011年
8月8日〜10日 松島、石巻、女川など東日本大震災被災地へ

 超党派の議員有志六人で東日本大震災の被災地へ自主研修(自費)に出かけました。地震・津波による東日本大震災の現状を自分の目で視て、自分たちにできる復興支援や近い将来起こるであろう東海、東南海、南海地震の防災対策に東日本大震災の教訓を活かそうという思いから私も参加しました。8日から10日・2泊3日の日程で、松島町、石巻市、女川町の被災地を訪れました。

 8日夕方松島町に到着し宿泊。松島町は、松島湾の島々に助けられ、壊滅的な状態には至らなかったということで、ホテルなどの営業や遊覧船の運航が再開されておりました。しかし、海岸では、遊覧船のポンツーンが沈んだままで放置されているものも見受けられました。「皆さまにお越しいただくことが『復興の力』となります」と松島観光協会のパンフレットに書かれておりました。観光に松島を訪れることも立派な復興支援だと思います。

 9日早朝散歩。五大堂、瑞巌寺をお参りしました。8時に宿泊所を出発し石巻市へ。石巻市議会事務局で、石巻市議会議長にお見舞いの挨拶。同行した清水正治公明党市議の紹介により石巻市議会の公明党議員団の出迎えを受け、石巻市の被災状況、死者3,153人、行方不明890人、避難者2,788人(8月8日現在)などの説明をしていただきました。

 その後、津波で被災した石巻市立病院をはじめ魚市場、学校、浸水市街地、女川町浸水地域、女川町立病院、石巻市立大川小学校などを、太陽が照りつける中、公明党議員団の皆さんが親切に案内してくれました。全児童の約八割が津波の犠牲になった大川小学校では、慰霊の祭壇が設けられていて、私たちも花束をお供えし、犠牲者のご冥福をお祈りしました。9日夜は仙台市に宿泊し、10日朝8時にホテルを立ち、帰路に着きました。


仙台空港

 仙台空港近く。津波被害の畑がつづく

仙台の七夕飾り
8月8日、仙台七夕祭りの最終日。立ち寄ってみました。
鎮魂と復興を祈る七夕飾りでした。

松島町 松島湾内に点在する島が津波の被害を軽減したといわれ、私たちが訪問した時はホテルなどの営業は再開されていました。

 瑞巌寺

入り口の提灯はお盆まで掛けられると聞きました。

五大堂 軽微な津波被害が見られました。

 営業が再開された遊覧船乗り場

石巻市 甚大な被害を受ける。大震災の被害状況は海岸線に沿って至る所で見受けられました。

石巻市立病院。玄関前に雑草が茂る。

 津波で浸水した石巻市立病院内部

 石巻市立病院に隣接する薬局の状態。

 石巻魚市場。地震・津波により甚大な被害。

 地盤沈下の嵩上げ工事など復旧作業が続く。

女川町 ここも甚大な被害を受ける。街は壊滅状態でした。

 「マリンパル女川」付近。横転したビルも見える。

 犠牲者へ手向けられた供物。
 女川町の中心地域の被災状況。

建物は女川町立病院。ここも津波被害を受ける。

石巻市立大川小学校 全児童の約8割が犠牲となる。

 私たちも、祭壇に花束を供え、ご冥福を祈る。

北上川に架かる新北上大橋。
橋の一部が津波で壊れ、通行止が続いていました。

 倒された記念碑。


8月10日朝、帰路に。山梨側から富士山を見る。

 3月11日に起きた東日本大震災から5ヶ月。8月9日に私たちが訪れた被災地の姿です。災害復興はまだまだ時間のかかる大仕事だと思いました。大震災を教訓にした新しい日本を創造し、故郷を立派に復興することが、犠牲になられた人々に対する鎮魂ではないかと感じました。