2000年11月6日
日中友好協会創立50周年記念・訪中記

愛媛県日中友好協会理事 宇都宮 富夫


北京近郊の模範農村「韓村河」で村山富市元総理と私

はじめに

 今年は日本中国友好協会(略称・日中友好協会)が設立されて50周年になります。日中友好協会全国本部(会長=平山郁夫・元東京芸術大学長)は50周年を記念して、10月21日に北京・人民大会堂で2000人の大交流会や記念植樹などの記念行事を計画し、各都道府県の日中友好協会にも参加を呼びかけました。

 愛媛県日中友好協会(会長=石水伴清・元県議)でも、全国本部の呼びかけに応じ、友好訪中団を組織し、10月19日から10月25日の日程で、北京、西安、上海を訪問しました。

 私も、県協会の理事をしていることもあり訪中団の一員として参加し、人民大会堂での大交流会を始め、発展・変貌する農村を見学したり、史跡や観光地なども訪れました。愛媛県日中友好協会友好訪中団は石水伴清団長以下39名で、東予、中予、南予の各地区から会員らが参加しました。

関空から北京へ

 私は、前日から松山市に宿泊し、10月19日、集合時間の朝7時に松山空港へ。天気は快晴。少し肌寒い。8時5分発の関西国際空港行で関空へ。9時頃、関空に到着し、団体待合室で結団式。石水会長が「この6日間が楽しく意義ある訪中に」と挨拶。出国手続きを済ませ、免税店でフイルムを買い、11時発の中国民航機で北京へ。3時間ほどで北京空港に到着。寒かろうと予想していましたが、日本とかわりない気温なので安心しました。

 北京空港はリフォームされたのか、昨年7月に訪中した時より施設が新しくなっているように思いました。到着出口には、受入窓口である中日友好協会の経済交流・都市交流部部長補佐・ケ曉峰さんと文化交流部・張雅琴さんが笑顔で出迎え、北京市内を案内してくれました。


北京を案内してくれた中日友好協会文化交流部の張雅琴さん

 空港から約40分、高速道路をバスで走り、北京市内の天壇公園へ。ここは皇帝が五穀豊穣を祈った所。公園の入口にはおいしそうなヤキイモの屋台が並び、観光客を待っていました。1時間ほど天壇公園を見学したあと、北京動物園の近くにある宿泊予定の西苑飯店へ移動。バスの窓から見る北京は、建設工事や自動車の混雑のせいかほこりっぽく、活気が感じられました。
 メイン道路の長安路は近代的な高層ビルが立ち並び、市内中心部では、古い煉瓦造りの家が取壊され、道路が広がり、街が大きく変わりつつある様がよくわかりました。


天壇公園で山本巖副会長(左)と私

 午後5時前に宿舎の西宴飯店に到着。部屋割りで、宇和島市の山崎幾右衛門さん(訪中団副団長)と同室になりました。「イビキでご迷惑をおかけしますがよろしくお願いします」と挨拶をしましたが、山崎さんは、「私も早起きで、迷惑をかけますから」と笑って答えていました。

 午後6時、ホテルからバスで30分ほどの「日壇飯庄」で夕食。評判のいいレストランとのこと。ここで、偶然に、松本龍・衆議院議員と会う。龍さんが「やあ」と声をかけてくれました。福岡県日中友好協会会長として訪中しているとのこと。ちなみに、日中友好協会の初代会長は、松本治一郎・初代参議院副議長で、龍さんの祖父にあたる。「井戸の水を飲む時、井戸を掘った人の苦労を忘れるな」と言う諺が中国にありますが、困難な時期に日中友好の礎を築いた人として忘れてはならないと思います。さて、夕食では「燕京ビール」で乾杯し、一日の緊張が取れました。

北京郊外の模範農村「韓村河」を訪問


模範農村「韓村河」の中心広場と居住区などの背景

 20日の朝は、6時前に目を覚ましました。同室の山崎さんは、本当に早起きで、すでに起床され、何か準備をしている様子。北京は快晴。ホテルの窓から日の出のを見みることができました。
 7時に山崎さんと朝食に出かける。26階のレストランでは、すでに訪中団のメンバーがテーブルで食事をしており、しばらくして、村山富市元総理(日中友好協会名誉顧問)の姿も見えました。


韓村河で村山元総理を中心に、成見元県議(右側)と私(左側)

 この日は、愛媛県訪中団は二班に分かれ、一つの班は農村見学、もう一つの班は北京市内の見学をすることになっていました。
 私は、この機会に中国の農村を見たいと思い、北京市南西40キロにある模範農村「韓村河」を訪問しました。ホテルを8時過ぎに出発。パトカーの先導で、村山元総理の車を先頭に、私たち団員はバスに分乗。北京市街を出て、濾溝橋の近くを通り、移り行く車窓の景色を見ながら50分ほどかかって目的地に到着。途中、煉瓦ずくりの農民の住居や収穫したトウモロコシの実を路面に干している風景が見られました。


韓村河の居住区近くの農地で訪中団が芋掘り。掘ったイモを昼食で食べる

 農村地帯の一角にある韓村河では、まさに「北京秋天」の爽やかな秋晴れのもと、太鼓や鐘のにぎやかな音に合わせて、村民が色鮮やかな衣装をまとい数百人が踊りの列を作り、獅子舞も私たちを出迎えてくれました。
村の中心にある広場での歓迎式には、、孔慶遠・村長はじめ村の幹部が出席。村山元総理は子々孫々にわたる日中友好を語りました。


訪中団を歓迎する唐獅子舞い

 韓村河は2700世帯。居住用の住宅は580棟でその内21棟が高層住宅。造成されたニュータウンのようで、居住区、農場、工場はきちっと区画され、中国の農村イメージとは全然異なっており、人々の顔も明るい。村で22の建設会社を持ち、30,000人を雇用。村民一人当たりの年間所得は8,100元。20年まえの118元と比べれば飛躍的な伸びで、改革開放政策の成果だということでした。都市部と同じように、農村部でも貧富の格差が拡大しているように見受けられました。

人民大会堂で二千人の大交流会

 21日、6時20分起床。今日も快晴。午前は北京市延慶県で記念植樹祭、夕方からは人民大会堂で記念祝賀会・大交流会の予定。


10月21日、万里の長城・八達嶺の麓、北京市延慶県康庄南林場での記念植樹式典

 私たちは7時に朝食。レストランには平山郁夫会長の姿も見えました。8時にバスに分乗してホテルを出発。先導のパトカーに続いて訪中団の車が続き、目的地の八達嶺・万里の長城の麓へ。記念植樹祭の会場には、北京市内の各ホテルから90台近くの貸し切りバスが並び、日本各県から団を組み2000人が参加。
 
 午前10時、日中友好協会創立50周年記念植樹の開会式がはじまり、壇上には、北京市を代表して張健民・北京市対外友好協会会長、日本側は、松本龍・福岡県日中友好協会会長ら各県協会会長がならびました。張健民会長、平山郁夫日中友好協会会長の挨拶の後、村山富市・元首相が植樹開始の宣言を行い、各県の訪中団別に合計1000本の松を記念植樹しました。

 愛媛県訪中団も長い柄のスコップを持ち根っこに土をかけ、水を注いで植樹しました。その後、万里の長城へ移動。一時間ほど万里の長城を見学しました。私は、成見元県議らと「男坂」の急傾斜を登り、記念撮影などをしました。10月20日、21日両日とも終日秋天の北京好日を満喫することができました。


植樹した松に水をやる

 午後6時からの人民大会堂での記念祝賀会・大交流会には、胡錦涛・国家副主席、王光英・全人代副委員長、万国権・全国人民政治協商会議副主席ら中国政府要人ら多数が出席。日本からは、村山富市・日中友好協会名誉顧問、平山郁夫・日中友好協会会長、谷野作太郎・駐中国日本大使らをはじめ全国からの訪中団2000人が参加。50周年にふさわしい盛大な記念式典となりました。


人民大会堂での日中友好協会設立50周年記念式典。二千二百人が出席し祝う

 さて、人民大会堂の会場は、一度に5000人が会食できるそうで、80席の主卓と各テーブル約10人で200卓のテーブルがずらりと並び、会場の広さに驚きました。

 式典では、胡錦涛国家副主席、村山富市名誉団長、平山郁夫団長がそれぞれ挨拶。胡副主席は「中国政府は民間友好交流を一貫して重視している。民間友好交流は中日人民の友好に絶大な役割を果たすだろう」と挨拶。平山会長は「日中友好協会は、民をもって官を促す役割を果たしてきた。50年の経験を踏まえ、歴史をかがみとし、未来に目をむけて、21世紀に向けて官民共に進む民間友好交流を発展させよう」と述べました。

 村山元総理の音頭で乾杯の後、祝宴に移り、各テーブルでは中華料理を楽しみ、交流を深めました。人民大会堂の調理場で作られた特別料理のふかひれスープが大変おいしく、印象に残っています。日本画をたしなむ愛媛県日中友好協会事務局の渡辺さんが平山郁夫先生のファンだというので、しり込みする彼女を連れて行き、平山会長と記念写真を撮影しました。


平山郁夫会長と県協会事務局の渡辺さん

 祝賀会の第2部では、天津市の子どもたちの歌や踊り、楽器演奏や曲技などが披露され、会場から大きな拍手が起こっていました。日本からは、日中友好協会会員による日本舞踊が演じられ、会場が和みました。最後に、中国の歌手による日中友好を記念した歌が声量豊かに会場に響き、「北国の春」を全員で合唱して、二時間余りの大交流会を閉じました。

西安では、碑林博物館、秦の兵馬俑などを見学

 22日、朝6時過ぎ起床。天気雨。今日は北京をたち西安へ。朝食を済ませ、8時50分、西苑飯店を出発し北京飛行場へ。ここで、北京を案内してくれた中日友好協会の張雅琴さんとは別れる。団員一同お礼の言葉を彼女に贈る。男性のケ曉峰さんは中国滞在中同行して、私たちを案内してくれる。

 11時20分発の中国民航機で西安へ。1時間40ほどで咸陽国際空港に到着。空港には陜西省国際交流センターの何暁朗・主任らが出迎え、西安滞在中は呉衛・陜西省国際交流センター接待部部長助理が西安を案内してくれました。
 空港内のレストランで昼食した後、バスで、黄河の支流・渭水を渡り西安市内へ移動。市街地は西部大開発で工事が多いという説明でした。

 西安は曇りで、もやがかかりハッキリしない天気でした。西安城壁西門や碑林博物館を見学。シルクロードへの出発点の西安城壁西門に立つと中国の歴史の古さや奥行きの深さを感じました。城壁から見る西安市街はどんよりしており、案内の人の説明では、この季節はもやのかかる日が多いとのことでした。


鐘の横に立ち西安城壁西門を背景に記念写真。西門はシルクロードへの出発点だった。

 翌日の24日は曇り。午前中は華清池と秦の兵馬俑博物館を見学しました。
 西安の市街地を過ぎると漢中平野が広がり農村風景が展開する。トウモロコシの収穫が終わった畑には小麦が植えられ、二毛作が出来るという。華清池に近づくと、道路の両側に露店が並び、名物のざくろや柿が売られていた。

 華清池では、唐時代の楊貴妃が愛用した温泉跡や蒋介石の別荘を見学。国共合作の契機になった西安事件の現場では、張学良の軍隊に襲われ、銃で穴が空いたままの状態で保存されている蒋介石が執務していた部屋の窓ガラスが生々しく当時の様子を伝えていました。
秦の兵馬俑博物館では、死後の世界でも皇帝として君臨しようとした始皇帝の壮大な権力を垣間見ました。


西安事件の舞台、華清池の蒋介石の別荘。事務所が当時のまま保存されている

 午後からは、空海ゆかりの青龍寺を見学。唐時代に遥か日本から学僧として修行に訪れた空海を偲びました。その後、玄奘三蔵がインドから持ち帰った経典を収めたといわれる大雁塔を訪れ、急な階段を最上階まで息を切らせながら登り、西安市街地を眺めました。

 夕食は、土金璋・元西安市副市長や陜西省国際交流センターの幹部らを招待して西安名物の餃子を囲み、夕食後、陜西省歌舞劇院で唐の時代劇「大唐礼楽」を観賞しました。


陜西歴史博物博物館の秦の兵馬俑の前で

 24日、曇り。外気は12度C。今日は、午前中に陜西歴史博物館を見学し、午後には上海へ。上海到着後、市内観光の予定です。
 9時、宿泊していた貴都大飯店を出発して中国四大博物館の一つである陜西歴史博物館へ。一時間余り館内の展示物を見学。ここでお土産に絵を買いました。棟方志功の版画に似た絵で、ふくよかな母親がが赤ちゃんを抱いている絵です。印象的だったので買ってしまいました。

 西安を後にして、午後14時10分発の飛行機で上海へ。16時20分頃到着。上海は蒸し暑く外気は26度C。友諠商店に立ち寄りお土産を買う。夕食後、雑技を観賞。 上海貴都大飯店に宿泊。荷物を整理して、帰国準備を済まし就寝。


上海での夕食。訪中最後の夜を楽しむ

 25日、晴れ。いよいよ帰国の日。7時に朝食へ。8時30分ホテルを出発して、豫園を見学。新装の上海国際空港で、中日友好協会のケ暁峰さんにお礼とお別れの挨拶をした後、出国手続きを済ませ出発ゲイトへ。

おわりに


成見元県議ら訪中のメンバーと八達嶺・万里の長城男坂で

 全員事故もなく無事帰国し、日中友好訪問を終わりました。旅行社の西川さん、大西さんにも大変お世話になりました。石水団長はじめ、同室でご迷惑をかけた山崎さんや団員の皆さんにもお世話になりました。また、機会がありましたら訪中しましょう。
再見。