岡本幸治教授の南アジア展望塔

開放経済5年のインド -1-

「火山型情報」ではインドは分からぬ

A. 君はかねてから日本のマスコミのインド(南アジア)展望の特質を「火山型」と呼んできた(岡本幸治・木村雅昭編『南アジア』序章、同文館)。人畜に被害がでた時だけ報道の対象となる火山のようなもので、異常な出来事にだけ焦点を合わせる点を批判したものと思うが、このような「一過性」の「三面記事型」国際報道の問題は、日本の国際化、情報化社会の進展とともにかなり改善されて来たのではないか。

B. そう言えればまことにお目出度い次第なのだが、それほど楽観的になれないね。例えば、国際報道で大きな役割を果たしてきたと言われているNHKの衛生番組を取り上げてみよう。「ワールドニュース」と題して、各国のテレビニュース解説を生で中継放送している定番番組がある。アジアでは韓国に始まり中国、香港、ベトナム、フィリッピンと続くが、インドその他の南アジアの国が登場することは絶えてない。つまりNHKは南アジアを、常時報道する価値のある「ワールド」の一部とは考えていないのだ。

A. そういえば、近隣アジアでありそうながら台湾も全く無視されている。香港、ベトナムよりも価値が少ないと考えているのだろうか。

B. 台湾の場合は、大陸一辺倒で汲々として北京の鼻息を伺いながら報道するという、日本マスコミの哀れな基本姿勢が問題で、その背後には政治的問題がからんでいるが、南アジアの報道にはそういう政治問題は一切関係がない。

A. しかし新聞などを見た限りでは、このところ、インドに関する経済や投資がらみの記事は増えたように思うんだが。

B. 1991年の夏に本格的な経済自由化に踏み切って以来、インドが外資導入に積極的になったために断片的な経済がらみの記事は確かに増えているが、質量ともにまだまだ十分と言うにはほど遠い。新聞テレビのマスコミ情報だけでこの地域のことを判断すると、とんでもない思い違いをするか、一面的な片寄った判断をすることになるだろう。

A. そこでこれから毎月、インドを中心として、不十分な南アジアの最新情報、あるいは断片情報の背後にあるまとまった説明を提供してもらいたいと思っているが、今回は、経済に関心が出ているときでもあり、インドの経済自由化に関する問題をまとめて話してもらえまいか。

B. 経済的利害が深まらないとある外国に対する情報が充実しないというのは情けないことで、経済至上主義が国際報道にまで及んでいることを示すものとすれば誠に嘆かわしいことだが、まずは分かりやすい銭かね問題から始めることにするか。

 本格的自由化発足の背景

A. 最初に、なぜ91年6月に、インドの自由化が本格化したのか、聞いておきたい。それまでのインドは「社会主義型社会」の建設を目指し、基幹産業を国営化して、外資導入には警戒的、貿易では国内産業保護主義をとって高い関税障壁を設け、日本の得意とする製品もインドには輸出できなかったのではないか。

B. その通り。構造的には、その「社会主義型社会」が非能率・硬直的となり制度疲労を来していた。社会主義経済が軒並み破産した現在では、この体制のどこに問題があったかを詳しく述べる必要はないだろう。インド固有の問題もあったが、その説明は別の機会に譲るとしよう。90年代に入って特に深刻化したのは経済的にも深いつながりのあったソ連の崩壊により、大きな打撃を受けたことだ。例えば、いろんな援助が止まり、外貨の要らないバーター取引が低迷した。91年の湾岸戦争の影響は直接的で、原油の高騰、それに外貨獲得の重要な手段であった産油国出稼ぎ労働者からの外貨送金の急減で、外貨保有が12億ドル、2週間の輸入しか賄えない深刻な状況に突入した。いわば背に腹はかえられない危機に直面して、嫌でも開放経済体制に活路を見いだすしかないと所に追い詰められたのだ。

A. そうしないと、世界銀行やIMFなどからの借金もできなっかたからね。しかし結果としては踏ん切りがついて、インド経済にとってはよかったように思われるが。

B. 僕もそう思う。自由化を開始してしばらくは、財政赤字を減らすためにやらざるを得なかった公共支出削減や金融引き締めのために低成長となったが、93年以降は次第に規制緩和の効果が現れて来て、GDPの成長率は、94年には6.3%、95年には7%と順調に展開しつつあると言ってよい。特に鉱工業生産の伸びが著しく、94年に9%、95年には12%と二桁成長を示した。農業が未だに七割を占めているインドでは農業生産が重要だが、87年に干ばつがあった後には連続して良好なモンスーンに恵まれ、穀物は輸出余力を備えるようになっている。ちなみに、中国と比較すると国土面積は三分の一だが、農地面積は二倍ある。農業に対する資本投資もGDPの8%と東アジアの倍くらい大きい。94年のGDPで産業構成を見ると、第一次産業31%、第二次産業28%、第三次産業41%となっている。

A. インドは貧しくて、干ばつが起きるとたちまち餓死者が出た時代があったと記憶するが、そんな時代はもう昔物語りになった訳か。

B. インドの人口はざっと9億5千万。出生率から死亡率を差し引いた人口増加率は、最近では2%をわずかにに切るようになったが、それでも年間1千8百万人の増加となる。これは無論世界最大であり、農業が基本的にお天気次第であることも考えると、長期的には楽観できないが、短期的な問題では、ないと考えてもらってよい。食料生産の伸び率は、95年はやや下回ったが、人口増加以上の食料生産が行われている。僕はバザール巡りが好きで、インドの町に行くと必ず庶民用の市場をぶらぶらする事にしているが、食料もその他の消費物資も、質量ともに実に豊かになった。インド政府は今、余剰農産物の管理に苦労しているほどだ。

A. 外貨準備高も飛躍的に改善されたようだね。94年には2百億ドル前後に跳ね上がったというではないか。

B. 通貨の切り下げ、それに伴う輸出増加、一時的な輸出制限、原油価格の安定、さらに外資の順調な流入などの要因が相乗効果を上げたものだ。インド経済の基本的な問題はマクロ経済の不安定にあり、貿易収支の慢性的赤字が大きな悩みのひとつだったが、貿易赤字も大幅に縮小した。もっとも、厳しい輸入規制も緩和されたから、各種機械類、鉄鋼金属、石油、有機化学製品などの輸入が大幅増となり、最近貿易赤字は再び拡大傾向にある。外貨準備も95年末で170億ドルといくらか減っている。輸出拡大がこれからの重要課題となるだろう。

A. マクロ経済といえば、恒常的な財政赤字は大問題ではないのか。

B. 自由化の直前90年度のGDP比赤字は8.4%だったが、94年度は6.1%、95年度は5.9%とかなり改善されて来た。工業生産の伸びにより税収が伸びたことが大きく寄与している。これからも輸入関税を下げる努力が必要であるだけに、工業生産が今後も順調に増加して行くか否か、製品の輸出が伸びるか否かが問題だ。

A. 電化製品、二輪車など耐久消費財の生産が伸びているようだが、これを支えているのは伸びつつある中産階級だと言われている。ところが新聞雑誌を見て戸惑うことがある。中産階級がどれだけの規模に達しているかについての数字がまちまちで、1億数千万から3億5千万まで雑多な数字が並んでいるが、一体どの数字が正しいのかね。

B. たしかに君の指摘するとおり、いろんな数字が出ているね。こういういい加減なことになるのは、「中産階級」の定義がはっきりしていないからだ。上でも下でもない中間が中産階級ということになるが、上下の線引きをどこでやるかで大きく数が変わってくる。中産階級という概念自体も、学歴・社会的身分などを重視するものがあれば、収入を重視するものもあるという次第で、世界共通の画一的定義がある訳ではない。したがって責任ある報道をするなら定義の根拠を示すべきだと思うんだが、その辺がいい加減なままに勝手な数字がマスコミを飛び回っているのが現状だ。ここでは細かい議論は省くが、いま日本でインドの中産階級に関心がもたれているのは主として経済的関心から発したものだから、端的にテレビ、ビデオ、スクーター、冷蔵庫などの耐久消費財を購入可能な階層のことだと考えようか。それは日本の総人口を下廻ることはないと考えてもらってよい。ただし「購入可能」には、最近広がって来たローン利用者を含むものと考えてほしい。

 日印経済関係の現状と可能性

A. 人口母体が大きいだけに中産階級も大きな数字になるね。他にも聞きたいことばかりだが、96年以降の経済については、統計数字が確定した時点でまた聞くこととして、日印経済関係について確かめておきたい。貿易の現状はどうか。

B. インドからみた日本は、輸出ではアメリカに次ぎ第二、輸入ではアメリカ、ドイツに次ぎ第三の相手で重要な貿易相手だ。95年の対日輸出は全体の7%、輸入では6.6%を占めている。ところが日本から見ると貿易全体に占めるインドの割合は0.7%程度でしかない。投資面でもインドの割合は低く、1951年以降95年9月までの海外投資のわずか0.1%、アジアに限っても0.6%に過ぎない。しかし自由化以降の91年以降95年末までの認可投資額の国別では、アメリカ、イスラエル、イギリスに次ぐ第四位で大企業を中心とした進出が増加している。インド側は、日本の投資増加を熱烈歓迎している。日本の投資は製造業中心で技術移転を伴うから、工業製品の品質改善を迫られているインドから見れば極めて好ましい投資国なのだ。部分的自由化を行った80年代に、国営企業を合併して自動車産業の活性化に大きなインパクトを与えたスズキ自動車の成功例が、一層その期待を大きくしている。マルチ・スズキは、今ではZEN(禅)その他の日本名で海外へ輸出もされている。国内乗用車市場の占有率も未だに抜群の高さだ。

A. これまでインドに日本の投資が向かなかった理由は、インドの本格的自由化が日本のバブル崩壊の時期と重なったこと、日本からの距離の遠さ、したがって開発輸入に不適であること、東アジア・東南アジアにくらべて心理的にも遠く、違和感があり情報が不足していたこと、現地の情報に詳しい人材の数が不足していること、販売網の整備が困難であることなど、いろんな事情があったようだが、暗い面だけではなく明るい側面にも目を向けた方がよいようだね。

B. 例えば距離の遠さという問題だが、日本からの距離だけを考えるのではなく、インドは欧州・中近東と東アジアの中間にあるという位置に注目すれば、グローバルな事業展開を行おうとしている企業には大変なメリットがあることに気づくはずだ。ここを生産基地として、製品を東西に振り向けるというのはその一つ。輸出に要する運送費が格安となる。日本に対する国民感情は極めて好意的で、親しみと敬愛の念さえあるから、地方レベルの官僚とやりあう手間さえ惜しまなければ、仕事はやりやすいと思う。

A. 海外投資はいろんな国・地域と比較して有利な所に出ていくのだが、例えば中国などと比べてやりやすい点はあるだろうか。

B. イギリス統治の遺産と言ってよいかと思うが、「法治」というか、法制度、契約制度の浸透度が優れている。政治的には、議会民主制を独立以来基本的に機能させて来たという点で、制度の透明性がはるかに高い。中国は共産党政権下になっても「人治」の伝統は変わらず、法律や約束が簡単に「お上」の意向で変えられる事が少なくないし、最高権力者を訴追するなどということはあり得ないが、インドは司法の独立性が高く、政府を相手取って訴訟を起こすことも出来る。新聞、ジャーナリズムがなかなか優れていて健全な批判精神をもち、かなり質の高い報道解説を行っている。これは中国では期待できないことだ。それに、さまざまな労働者や高等教育を受けた質の高い従業員を安く雇用できる。中国は文革でインテリを徹底的に迫害し教育体系を目茶目茶にした時代の空白があって、人口の割に高等教育を受けたものが少なく、英語を話せる者が限られているが、この点インドは心配がない。国際性、開放性という点で、インドは断然優れていると言えるだろう。

A. 今回は経済の話しに限ったが、次回からは政治・社会のいろんな問題にも目を向けたいと思うのでよろしく。インド以外の南アジアにも注意を払いたい。

ヲこの原稿はASTAN REPORT(1997.4)に掲載された「南アジア展望塔」より引用させて頂きました。



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