なんだか 日記

2000年4月


どーでもいーよーなことですが ・ ・ ・


インデックス
4月 1日 華氏451

4月18日 久々のFM
4月20日 シャギーの消えた日
4月21日 SW EP1
4月28日 モノクロ映画

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4月28日

モノクロ映画
現実の世界には色がありモノクロになることはありえない。しかし、古い映画の多くは モノクロ作品であり、カラー作品を作ることができるようになってからでも数多くのモ ノクロ作品が作られている。
学生の頃、所属していたサークルの合宿等のスナップ写真の撮影に、あまり使いなれな い一眼レフ・カメラとカラー・フィルムとモノクロ・フィルムを用意して使っていたこと があったのだが、人の表情や物の形などはモノクロ・フィルムで撮影したほうが一瞬垣間 見られる「らしさ」といったものが良く出るといったことが多かった。なぜそう思える のかはよく分からない。
ここ最近、自宅のスクリーンで1940年代から60年代に作られたモノクロの映画作品を 何点か鑑賞した。「カサブランカ」「素晴らしき哉、人生」「第三の男」「禁じられた 遊び」「僕の村は戦場だった」「博士の異常な愛情」など。
どれも名作として名だたる物ばかりで、これらの作品がカラーで撮影されていたらなど と思うことがないほどに完成されたものがあり、そしてなぜかカラー作品よりスクリー ンに映し出される映像に集中でき、あたかも画面に色彩があるような錯覚さえ覚える ことがある。ホントに不思議だ。このことは、長岡鉄男氏も映画関連のコラムでしば しば取り上げているのだが、確かに共感できる。
その原因をこじつけも交えて考えてみると、画面に色の情報がないため脳の情報処理に 余裕ができて、かえって想像力が発揮されるのかもしれない。ほとんどのモノクロ作品 の音声がモノラルであることも同様の要因であると考えることもできそうだ。
ちょっと前に観たモノクロ作品では、ヴィム・ヴェンダース監督のロード・ムービー 「都会のアリス」も良かったし、「ベルリン 天使の詩」では前半部分にモノクロ映像を 効果的に使っての克明な描写が印象的だった。昨年公開された日本映画で「 サムライ・ フィクション 」という全編モノクロ作品も観たが、ストーリーは面白かったものの映像 的にはあまり感心しなかった。これはカラー撮影でもよかったんじゃないかな。。。
古いモノクロ作品では「ローマの休日」が気に入っているのだが、残念ながらまだDVD ソフトが出ていない。ビデオでは何度か観ていて、いくらでもツッコミを入れられる ようなご都合主義的ストーリー展開であることは承知の上なのだが、それでも気に入っ ている。観ていて古くさい映像だなんて少しも思わないからなのだろうし、銀幕の スターは永遠なのだと実感させてもくれる。
モノクロ作品に限らず古い作品のほとんどは4:3のスタンダード・サイズで撮影されて いるので、わがやの4:3の100インチ・スクリーンのスペースをまったく無駄にすること なくフィルムに記録された映像がすべて映し出されるというのも魅力のひとつ。シネス コやビスタ・サイズの画面を切り詰めて作られた4:3映像とはわけが違う。
そんなわけで、たまにはモノクロ作品を観てみるのも単なる懐古主義とは違った面白さ があるように思える。これまでに観ていない作品ならなおさらいろいろな発見も多い のではないかと思う。著名なモノクロ作品の多くは長い年月の中で淘汰され生き残った ものであるからだともいえなくもないが。。。


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4月21日

SW EP1
2週間前にLDとビデオが発売され、ビデオのレンタルも始まったスターウォーズ エピソード1 (SW EP1)。この映画は昨年比較的画質と音質の良い映画館で観ていたので、パッケージ・ メディアの発売には躍らされはしなかったが、まぁとりあえずはもう一度観ておこうと思い立ち、 画質の悪さは承知の上でレンタル・ビデオを借りてきた。
映画館で観たときは、この作品のために音響設備を入れ替えたのではと思えるほどのサラウンド感 や低音の押し出し感の向上があり、この作品で初めて採用され一部の映画館で工事までして対応した サラウンドEXの面目躍如といったところ。ただこれは、サラウンドEXだったからというよりは、音に もこだわって製作したからということがあろうが。わたしの観た映画館は通常のドルビーデジタル のみで、サラウンドEXには対応していない。
映像のほうはCG映像と実写映像のマッチングを取るためか、全体的に白っぽくメリハリ感に欠け ていたようにも思うが、これは日頃ビーズ・スクリーンに映し出すDVDの映像に慣れすぎている せいもあるだろう。しかし同じ映画館で観たタイタニックは画質イマイチのDVDを上回っている 部分もあったと思うが、これは極めて稀なケース。別の映画館で観たタイタニックは全体的に暗く 色温度が低く空も海も緑っぽくて画質も音質も悪かった。これが普通だろう。
VHSビデオではまともな音も映像も楽しめるわけではないのだが、試しに借りてきたSW EP1 をプロジェクターでスクリーンに投影してみて驚いたことがある。画面の上方10分の1程度が大 きく歪んでチラついている。これまで強力なコピーガードの掛かっているDVDソフトであっても このような歪みに悩まされたことはなかったのだが、これではひど過ぎてまともに観られたもので はない。普通のテレビでは正常に映っているのでこれで問題はないのだろう。それにしても、これ ほどの話題作になるとコピーガードの掛け方にも気合が入っているということだろうか。意外なと ころでも感心させられる。
作品的にはこの後の続きを観ないと話が完結しないようなところが大きいので、旧SWシリーズの 第2作目の印象に近い感じもあり、やはり次回作を待てということになるのだろう。また、何人か の主要人物の未来像がすでに旧シリーズで分かっていることもあり、物語の発展性への期待感が ある程度制限されるようにも思える。といっても、さらにパワーアップしたEP2・EP3を早く 観てみたいという気持ちも大きい。今のところEP3の公開が済むまではSWのDVDソフトは 出さないといっていることでもあるし。


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4月20日

シャギーの消えた日

通常のNTSC映像を大画面スクリーンで観ると気になるのが走査線の隙間。 これは走査線を1本おきに表示するインターレース走査によって生じる隙間な ので、隙間の幅は走査線1本分になる。この隙間が実効240本ほど並んですだれ 状に映像をさえぎるので、近距離視聴ではかなりつらい。
この隙間を埋めるにはNTSC信号を走査線の隙間のないプログレッシブ信号に 作り換えるライン・ダブラーという機器が必要。これまではパソコンにNTSC 映像の取込み・表示の増設ボードを組み込み、DVDやLDなどの映像信号を プログレッシブ信号に作り換えてプロジェクターに送りこんでいた。 もともとプログレッシブ映像であるパソコンの画像表示機能を利用したライン・ ダブラーというわけだ。こうすることで確かに走査線の隙間は消えるのだが、 動く物体の輪郭線にギザギザのシャギーが発生するという問題が残っていた。
このシャギーを追放するには動画表示に的を絞りシャギーが出ないように演算・補正 してプログレッシブ信号を作り出すライン・ダブラーが必要。すでに何年も前か らそういった機器は出回っていたのだが、特にその信号処理に卓越した技術を導入 している海外の機種はとても手が出せる価格ではなかった。 その技術は2-3プル・ダウン処理といって理想的に輪郭線を再現し、かつ、わ ずらわしい走査線の隙間を見事に消し去ってくれる。
昨年の秋、国内メーカーからもこの2-3プル・ダウン処理のライン・ダブラーが登場。 これまでの価格を3分の1程度にまで引き下げた。さらにその3分の1程度の価格で 映像調整機能を省略した非常に小型でシンプルな製品も海外から輸入されるようになり、 2-3プル・ダウンのライン・ダブラーは一気に手に入れやすいものとなった。
わたしが手にしたのは最後に説明したシンプルで小型の海外製のもの。 DVDO i Scan plus という製品で本体の大きさはVHSテープ 1本分といったところで重さは540g。2系統のS信号入力と1系統のコンポジット 入力(一般的なビデオ入力)を持ち、出力端子はパソコンで使われているHD-subの 15ピン端子。RGB出力とコンポーネント出力を背面パネルのスイッチで切り替え ることができるが、わがやのプロジェクター LVP-1200Z1はRGB入力しか 備わっていないので当然RGB信号で入力する。DVDプレーヤー・LDプレーヤー とi Scan plusの接続はSケーブルで行った。
これまでのパソコン利用での処理とはかなり映像の出方が異なるため、目下手持ちの いろいろなソフトを見比べながらプロジェクター本体の調整をぼつぼつやっていると いったところなので、まだまだi Scan plusの潜在能力を完全には 引き出せてはいないと思うが、シャギーのまったくない映像はソフト次第では映画館 のスクリーンとは別の意味での滑らかな味わいを出すことができそうだ。
また、2-3プル・ダウンで対応できないビデオ信号を処理するビデオ・モードでも シャギーが皆無。i Scan plusで処理したプログレッシブ映像は 例えば同距離で観るわがやのインターレース表示(いわゆる昔からの方式)の29イン チ・テレビの映像よりずっと滑らか。特に輪郭線がハッキリしているアニメなどで は、小画面なのにこのテレビほうが輪郭線のチラツキがよっぽど気になるくらいだ。
これまでは100インチ・スクリーンを2.7mの距離で観ていたが、シャギーがなくなっ たことでもう少し近付いても大丈夫のようだ。「小さな部屋でも大画面」と いうわたしのような者にはとてもありがたい存在だ。


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4月18日

久々のFM

ひょんなことで、我が家にやって来たFM専用チューナー KENWOOD L-02T 。 発売は1981年で、すでに20年近く前。FM絶頂期の終焉を 飾ることになった大型高性能アナログ・チューナーだ。当時の定価は30万円だったから、高嶺の花で とても手が出る製品ではなかった。パネルの幅は480mm、高さが150mm奥行きも400mm程度あり、 下手なアンプより重い。この後、FMチューナーはバリコンを使ったアナログ・タイプから シンセサイザーを使用した薄型軽量タイプに急速に取って替わられることになる。
これまでに単体のチューナーは5台使ってきたが、そのうち4台がアナログ・チューナー。 数年前、シンセサイザー・チューナー(8万円近い製品)に手を出したものの、SN比以外は 当時手持ちの大型重量級のアナログ・チューナー(かなり手を入れてはいたが)に遠く及ばず、 結局知人宅に貸し出して現在オーディオラックの肥やしになっている。わたしの場合、多少の ノイズがあっても必要な音の音質のほうが気になる古いタイプ(?)の人間だからなのか。。。 といっても、ここしばらく真剣にFMを聴いていない。
オーディオの場合、いくら音の良いハードウェアを揃えてもソフトの音質がイマイチであれば 良い音では鳴ってくれないのは当たり前のこと。FMの場合も同様でソフトになるのは放送局 から送られてくる番組。以前使用していたチューナーでも番組による音質の違いは結構出てい たのだが、この L-02T は以前にも増してその違いを克明に出してくる。また、 フィルターでカットされていなければ、ステージを踏み鳴らしたりピアノのペダルを踏みこ んだりする力強い低音も明確に出してくる。
毎号購読しているFMファンの番組欄を久しぶりに眺めて(この本がFM誌として機能する のも久しぶり?)、音の良さそうな番組を選んで聴いてみる。テープに一旦記録して放送して いる番組よりは生放送のほうが鮮度の高い音が聴けるのだが、オーケストラの生演奏の放送で は補助マイクで各楽器を必要に応じて一時的にクローズアップしている様子がよく分かるので、 あまり落ち着いて聴けない感じ。これまで聴いた中ではロビー・スタジオで生放送している リクエスト番組のパーソナリティーの声が一番鮮度が高く、ロビー内の観客の出す騒音も適度 に入っていてその場の雰囲気が良く伝わってきていた。また、同じ声でもニュースとなると 響きの抑制された狭い部屋で、間近にセットされたマイクに向かってしゃべっているという 閉塞感はよく伝わってはきても、そんなに面白い音には感じない。
番組の音質のほかにも、入力される電波の質によっても音質が大きく左右されるようだ。この チューナーには2系統のアンテナ入力端子があるので、その一方にいつも使っている室内アン テナ、もう一方にVHF/UHF混合・ブースター経由のテレビ・アンテナ線をつなげてみる。我が家 にはFM専用の室外アンテナなんて超マニアックなものはないので、これはつなぎたくてもつ なげない。アンテナを切り替えながらメーターを見比べると、テレビ・アンテナは入力レベル の点でかなり有利でSN比も非常に高く確保されている。もう一方の室内アンテナは、300Ω→ 75Ωの変換にフェライト・コアのバルンという部品を使用しない自作のもので、電波の入力 レベルは下がるものの透明度や切れこみでテレビ・アンテナを大きく上回った。
この比較は極端な例かもしれないが、バルンのない自作アンテナはもう15年以上前の別冊FM ファンに掲載されていたもの。あるメーカーのチューナー担当者がいろいろな場所でご自慢の チューナーをデモするにあたって、アンテナの種類でその音質が大きく異なることに気が付き、 アンテナの音を良くしたいということから出てきた案だということ。この対策は室内アンテナ だけでなく、屋外に立てる大型のアンテナにも1.5m程度の同軸ケーブルが1本あれば応用 できる。しかし、特定の周波数を狙って追加する同軸ケーブルの長さ決める必要があるので、 周波数の分散している多局受信の場合には少々効果が薄くなることもあるようだ。
そんなわけで何をいまさらのFMチューナーのようだが、いろいろな放送の音質差を聴き 比べるのも結構興味深い。ただ、これはというような高音質放送がほとんど見当たらない ことを再確認したという感もあるが。


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4月1日

華氏451

もう2ヶ月くらい前になるが、自宅のスクリーンで 華氏451 という古い映画を観た。 そう遠くない未来、読書が禁止されている世界。人々の住居のほとんはは耐火構造になってお り、消防士の仕事は火事を消すことではなく密かに所蔵されている書籍を見つけだし焼却する こと。そんな一人の消防士をめぐるお話。
この世界で人々に情報を伝える唯一の手段はテレビ。消防士の妻はテレビに映し出される 一方的でかつ偏った情報に何の疑問も持たず、放送局の仕掛けた擬似インタラクティブ放送に 参加することであたかも自分も情報形成の一員になっているかのように錯覚する。 また、自宅で消防士が手にしている新聞大の紙には文字ではなく一面にマンガが描かれている。 映画の冒頭、主要製作スタッフの紹介も文字ではなくナレーターの音声によってなされるくら いなので、鑑賞者が字幕を読んでセリフを理解することも製作者側の意図に反しているといえ るかもしれない。
そもそもテレビで与えられる情報と読書によって得られる情報の根本的な違いはどこにあるの だろうか?こじつけもあるかもしれないが、わたしなりにいろいろと考えてみた。
テレビに映し出される映像は非常に具体的であり、かつ視聴者を画面に釘付けにする目的で 現実よりずっと大げさだ。これはドラマでもドキュメントでもニュースでも、番組の放送時間 中ずっと人々を引き付けるにはひとつのショーであることが必要だからだろう。そういった 理由なのか派手で即物的な番組が目白押しにも思えるし、テレビの前に座ってさえいれば情報 はどんどんやってくるので、視聴者はあたかもいろいろな体験をし物知りになった気分を味わ えるのだが・・・。テレビでの情報取得ではほとんど受け手側には思考を駆使する必要がない ものが多いようだ。
一方、映画で扱われていた文学や哲学書などの読書のほうだが、具体的に物事を説明すること でより普遍的な思想を想起させることが多く、読者には自分の人生観に照らし合わせて様々な 考察を行いながら情報の取得を進めていくに必要なだけの余裕が与えられる。さらに、読者自 らが選択し情報を取得するという姿勢がなければ読書は成立しないので、情報取得に対する 積極性が必要でありかつ手間も掛かる。
華氏451の世界ではテレビの放送局(おそらくこの世界の統治者だろうが。)が情報 の種類や量を制限し、毎日ほとんど同じ内容を何度も繰返す。その上読書も禁止されているの だから人々は思考能力を奪われ、考えなくて済むことが幸せであると信じ込んでいるかのようだ。 こんな世界では何か新しいものの発見も社会の向上も望めないのだろうが、統治者にとってみれ ば何も変わらないことこそが自らの地位を約束する一番簡単な手段なのだから、その手段が強化 されることはあっても決して緩められることはないだろう。
映画の中ではこういった世界への対抗手段として、人一人ずつが一冊の本を丸暗記して後世に その内容を伝えていこうとしていたが、なにかやり切れない気分になる。どうしようもない大き な力に対して、個々の人間ができるささやかながら確実な抵抗手段といったところなのだろう。 現実の世界では社会全体を巻き込むほど極端な現象は現われていないだろうが、それでも一方的 に押し付けられた情報によって本来の自由を奪われている人は少なからずいるようだ。
テレビにしろ読書にしろインターネットにしろ現実社会にしろ、情報の受け手に情報を選択し 吟味するといった積極性がない場合、情報は一方的に押し寄せてきて何がホント なのかわけが分からなくなり、結局情報に溺れることになってしまうだろう。インターネットの発達によってネット 環境を持っていれば世界中どこでもリアルタイムで様々な情報が得られるようにはなったが、 人々が興味本位で群がる匿名性が高くかつ主観的な情報が氾濫する中でも流されることなく 溺れずに済むにはこれまで以上の積極性が必要になってくるような気がする。
ところで 華氏451 は1967年製作なのだが、登場するステータス・シンボルの 新型テレビは今でいうとアスペクト比16:9の50インチ・プラズマ・ディスプレーといった ところで、薄型のワイド画面であるのはかなりの先見性。しかし製作当時開発 されていなかったリモコンまでは付いていないようだ。ちなみに映画のタイトルの華氏451と は本の燃え出す温度だと本編中で説明されていたが、なじみの摂氏温度に換算すると233℃ほ どになる。この温度でホントに本は燃えるのだろうか?


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