なんだか 日記   2001年1月
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ど−でもい−よ−なことですが ・ ・ ・


インデックス
1月 1日 エキストラ 「世にも奇妙な物語」
1月 8日 オレ様族
1月21日 130インチ・シアター 訪問記
1月26日 映画「パリ、テキサス」

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1月26日

映画 「パリ、テキサス」
ヴィム・ヴェンダース監督の「パリ、テキサス」を初めてに観たのは、 2年くらい前のこと。近所のレンタル・ビデオ店にレンタルDVDのコー ナーができた頃だった。わたしが観たヴィム・ヴェンダース監督作品 の1本目は小津安二郎監督の追想に日本で撮影した「東京画」。多く の小津作品に出演した笠智衆や撮影担当のカメラマンが当時の思い出 を語っているだけの作品だが、なぜか画面に見入ってしまうような不 思議な味わいがあったように思う。
それをきっかけに、その後これまでに観たヴェンダース作品は「都会 のアリス」「さすらい」「まわり道」「アメリカの友人」「ことの次 第」「パリ、テキサス」「ベルリン・天使の詩」「時の翼にのって」 「ブエナ・ビスタ・ソシアルクラブ」など。その中でも特に気に入っ たのが「パリ、テキサス」。今日は久しぶりにこの作品を観た。最初 に観てから2年ぶりだ。
ヴィム・ヴェンダースの作品には、ストーリーのある映画であれド キュメント映像であれ、画面に映っているものが例え動いていなくて も無意識のうちに画面に引きつけられる強い力があるように思う。こ の「パリ、テキサス」はちゃんと練りこまれたストーリーのある映画 作品なのだが、ついついスクリーンに映し出された映像に見入ってし まうあまり、そんなに多くもないセリフに付けられた字幕を追いきれ ないなんていう困ったことが何度かあった。
この作品のDVDソフトはあまりシャープでもなくやや色あせた部類に 入る画質だから、画質の良さに見とれたと言うわけではない。それでも 映し出されるそれぞれの光景の空気感のようなものまで伝わってくる ような不思議な感覚がある。決して映像のボケ味がそう思わせている わけではなく、高画質で製作されたソフトであれば作品そのものの価 値がさらによく見えてくるのではないかとも思える。
作品のタイトルにある「パリ」は、ヨーロッパのフランスにある「パ リ」ではなく、アメリカのテキサス州にあるという「パリ」のこと。 2カ国にまたがった大規模な撮影をしているというわけではないので、 そのへんはあまり期待しないほうがいいだろう。音楽は1本のギター のみで作られて、地味だが深みがあり作品全体の雰囲気と一体になっ ているようだ。


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1月21日

130インチ・シアター 訪問記
昨年の夏 FE208ES用のバックロード BH-2005ESを作られたAさんが、 年末も押し迫って130インチ・スクリーンを中心とした本格ホームシア ターを導入されたとのこと。今日は昨年10月にわがやを訪問された Bさんと合流してAさんの130インチ・シアターにお邪魔させて頂いた。 わたしがAさん宅を訪れるのは昨年の夏に続いて2回目、Bさんは初め てになる。Aさんがシアターにお使いの洋間はやや広めの16畳相当と いうことだが、マンション・サイズに換算すると19畳くらいだろうか。 シアターの機器以外にはリスニングポジションの背後の壁にパソコン 機器が置かれているだけでシアター専用ルームとなっており、天吊り されたプロジェクター以外のシアター関連の機器はすべてTAOCの 鋳鉄ラックに納まっている。
プロジェクターは三菱のLVP-2001。投射管の基盤が改良された新バー ジョンだとのこと。DVDプレーヤーはリージョン切換え可能にショップ 改造を施したパナソニック DVD-H1000 をプロジェクターのコンポー ネント入力に直結されている。スクリーンはスチュワートのニュー・ サウンドスクリーンでサイズは130インチ。天上高2.5mの部屋ではギリ ギリの大きさになる。このスクリーンは自作派には有名なホームページ 「自作派 ホームシアター」 のAE86さんのシアターとほぼ同じセッティン グ条件。床の高さから天井近くまでスクリーンが立ち上がっている様子 はやはり圧巻だ。
プロジェクターは昨年末に設置した際に、ショップのインストーラーの 調整を施され現在は慣らし運転中といったところだそうだ。これまでに 見せて頂いたLVP-2001の映像に比べ、プロジェクターのバージョンアッ プのせいか、それともスクリーン・サイズがこれまで見た中では一番大 きいせいなのか、同じソフトを再生して見えてくる情報量が多くなった ように感じる。ソフトの画質の善し悪しにも極めてシビアで、ボケて画 質の悪いソフトでは見ているのが辛くなるというのは三管プロジェクター ではよくあることだが、面積にして100インチの1.7倍にもなる130イン チではその差をさらに拡大して表してくるといった感じだ。 適当な慣らしが済んだところで、全国的にも有名なメーカーの技術者の 微調整を受けられる予定とのことで、その向上の度合いも拡大されて感 じられることと思う。
やはりAさんの130インチ・シアターの最大の特色は完全にメイン・ス ピーカーをその裏側に隠してまうサウンド・スクリーンだろう。ラック スマンのプリメイン・アンプ L-509S 1台のみによるスピーカー・マト リクスでのサラウンドなのでセンター・スピーカーはないのだが、それ でもサウンド・スクリーンの効果は絶大といった感じ。スクリーンに 映っているそのものから音が出ているようで、映像に没頭できる。 さらにネットワークなしの超強力フルレンジでほぼ全帯域を再生してい ることに加え、システム全体がシンプルでハイスピードなことも手伝っ て、センタースピーカーの必要性をまったく感じさせない音像定位と、 弾丸が飛んでくれば思わず身の危険を感じのけぞってしまうほどの明確 な音の動きを再現。リア・スピーカーには FE168SS使用のバックロード BH-1606SS をコンクリート・ブロックで床から40cm持ち上げてお使いだが、ユニッ トの高さ、メイン・スピーカーとの音量・音質のバランスもまったく 問題がなく、空気感がよく伝わってくるようだ。
また、Aさんは大音量派のBさんも驚くほどのかなりの大音量派で、音 圧レベル102dBのバックロードに定格出力160Wのアンプのメーターが振り 切れるくらいのパワーを入れての再生。メーカー製としては今では高能 率な部類に入る90dBのスピーカーに2500Wのパワーを入力したことに相当 する大音量といえば分かりやすいだろうか。このくらいの大音量再生とも なると、スピーカーの重量が100kgあってもまったく不思議ではないだろ う。丈夫に設計しておいてよかったぁ〜。(^^)
しかし、それでも130インチ画面ともなると超低音の不足が気になって くる。BH-2005ESは30Hzあたりまではしっかりと再生できるのだが、やは りバックロードはバックロード。その下の周波数はストンと切れていて まったく出ていない。そこで欲しくなるのがバックロードに追加しても 違和感のない、30Hz以下をできれば16Hzくらいまで強力に再生可能なハ イスピード・タイプのサブ・ウーハー。超低域が加わることでさらに大 音量・ハイスピード再生のメリットが発揮され、臨場感が倍増すること だろう。それにしてもこれだけの大音量再生が可能な環境をお持ちなの はとてもうらやましい。
現在Aさんのシアターでは、ドルービー・デジタル音声はDVDプレーヤー のアナログ出力をアンプに直結。dts音声はDVDプレーヤーからデンオンの dtsデコーダー AVD-1000 にデジタル接続しアナログ化してアンプに入力 している。AVD-1000は定価7万円、重さ3キロ余りの機器で2chにダウンミッ クスして出力しているのだが、それでもドルビー・デジタルとdtsとの音 質や音場の密度感の差を露骨に出してくる。この大音量再生を満足できる 音質レベルで5.1chサラウンドのフル・システムを組むとなると一体どの くらいのコストが掛かるのだろうか。やってできないことではないのだろ うが。。。
Aさんの130インチ・シアターの今後の予定は、スクリーン周囲の迷光対策、 プロジェクターの微調整、映像信号用RGBデコーダー D-2001とサブ・ウー ハーの導入、メイン・スピーカー系とサブ・ウーハーをバイ・アンプで鳴 らすためのセパレート・アンプの導入で、現状よりさらなる進化があると のこと。 Aさんは使用機器をフル稼働させて装置の持てる力を存分に引き出しバラ ンスをとって使いこなしているといった感じなので、さらに高級な機器で もそれらの能力を十分に引き出したシアターを実現されることと思う。 今日の状態でも、その強い映像と音の支配力のために、いろいろソフトを 観せて頂いているうちにあっというまに数時間経ってしまい、時計の針を 見て驚いてしまったという次第。本日はとてもお世話になり、ありがとう ございました。


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1月8日

オレ様族
今日は「成人の日」だったが、NHKでも民放でも全国ニュースでの 成人式の項目は成人式場で迷惑行為をはたらいた新成人たちの話題で もちきりだった。壇上で祝辞を述べる市長の眼前でクラッカーを鳴ら した挙句、参列者の最前列に陣取って酒瓶片手にラッパ飲みする輩。 壇上の県知事に対して「帰れ、帰れ」とヤジを飛ばす者たち。どれも 仲間とつるんで複数でやっていることなので、罪の意識はまるでない。
一般に成人式といえば、新成人を椅子に座らせ壇上の見識者が祝辞を 述べるという退屈な式典であるので、それに異を唱えることはある意 味当然といったコメントをする人もいる。しかし、異を唱えるのは問 題ないだろうが、それと迷惑行為をはたらくことは別問題。それでは 論点のすり替えだ。お決まりの成人式がいやなのならその場にいる必 要などまったくないのだし、自分たちで祝賀パーティーを開けばそれ で済むこと。
「個性の発揮」と「滅茶苦茶やること」の区別がつかない人は結構多 い。自然の摂理の中からその個人を通してでしか生み出せない何かを 「個性」と呼ぶのだと思うが、「滅茶苦茶」は破壊の欲求を満足させ ることに基づく場合がほとんどと見て良いのではないだろうか。例え ば、何人かの人が同じ素材を使い料理をしておいしく出来上がったと いっても、作る人によってその味は異なる。また、食べる人が一人だ としても「おいしい」という範囲にいろいろなバリエーションがある ため、そのどれもをおいしく感じる。料理した人は個性を発揮し、食 べた人もその個性を評価した場合だ。逆に、同じ素材を持ってきて滅 茶苦茶やって、食べる人の前に突き出すとどうなるのか。この料理が いやいやながらでもどうにか食べられる程度に仕上がる確立は一体ど のくらいになるのだろう。偶然にすがるほかは手段がない。
料理ひとつにしても「個性」を発揮しておいしいものを作るのは難し いのに、人の安全に関わるようなことで、とある「オレ様族」から 「滅茶苦茶」を圧し付けられて困るといったことが何度もあった。彼 らの揺るぎない自信の根拠は「オレがオレであること」。彼にとって みれば彼は完璧な存在なので、彼に起因する問題点など彼にとっては 存在しない。どういうわけか「オレである限り何をしても許される」 と本気で思い込んでいる生粋の「オレ様族」だ。こう書くと彼らは子 供であるように思えるかもしれないが、実際には天然の「オレ様族」 は子供から80歳を越えるようなお歳の方に至るまでどの年代にも存在 している。
年下の者であればたしなめることもできるしあまりにも程度がひどい 場合には無視することもできるのだが、自分より年が2倍近い者では 周囲に対しての迷惑の大きさを気付かせるだけでも容易なことではな い。このような天然の「オレ様族」をたしなめようとして怒らせでも するともう大変。お得意の滅茶苦茶ぶりを駆使して意図的に周囲の人 間をさらにとんでもない事態に陥らせることになる。彼はこの周囲を 破壊に導く(悪)影響力を自らの価値ある「個性」であると信じ込ん でいるのだからさらに始末が悪い。 しかし、悪評高い独裁者ヒトラーもドイツ国民によって指示され合法 的に政権を握っていたことからすると、彼らに荷担し「オレ様族」の 一員になる要素は誰の心にも潜んでいるのだと言えなくもない。
「オレ様族」の自信にはまともに考えての明確な根拠がないため に、そのウソを見破るための根拠を持ち出し是正させることは非常に 難しい。 運悪くこの手の人たちに絡まれたらどうするか。無視するのが一番な のだろうが、今日のニュースでは無視しようにもできない状況にあっ た成人式の会場が映し出されていた。


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1月1日

エキストラ 「世にも奇妙な物語」
今日はテレビの正月番組で「世にも奇妙な物語」のSMAP特別編を放送 していた。この「世にも奇妙な物語」はたしか10年くらい前、夜の時間 帯で全国放送をやっていたのだが、そのシュールな内容のためかここ最近 はたまにスペシャル番組として放送されているだけのようだ。昨年の秋に はこれまでのテレビでは実現しなかったコストの掛かるエピソードや表現 の過激なエピソードで構成した映画版が劇場公開さていたようだ。
今日のSMAP特別編はSMAPの5人それぞれが主人公となる5つのエ ピソード。その中で1篇めの「エキストラ」が印象に残った。指定された 場所と時間に指定されたセリフを言うというエキストラのアルバイトを始 めた役者志望の男。周囲の人間はセリフにない言葉をまったく受け付けな い。実は周囲の人間もすべて指定されたセリフをしゃべっているだけのエ キストラにすぎず、これまでそれに気付いていなかったのは彼一人だけだ と知らされ愕然とする。
この話ほど深刻ではないが、現実の世の中でも人はそれぞれ自分の役割に 応じて、その場にふさわしい言動を取るのはごく自然なこと。家庭でなら 親として、子供として、兄として、妹として。職場では上司として、部下 として、管理職として、平社員として。街角では、街ゆく人々とはあかの 他人として。自分の立場を忘れずに言葉を発し行動することが波風を立て ずものごとを進めていくためには必要不可欠。しかし、もしかして自分の 役割にふさわしいと思うようなセリフを、これまでどこかで耳にした言葉 から探し出してしゃべっているだけなのかも。。。
あらかじめ用意されたセリフが置かれている場所は、テレビ? 雑誌?  街に流れる歌? インターネット? 多くの人々は、みんなと同じ情報を 同じ視点から同じ思考論理で捉えることに対する安心感を持つようになる。 周囲の人間が自分に期待するセリフを知っていれば、自分もその中の一員 として安心して役割を担っていけるからだ。一見奇抜に見えるファッショ ンでかっこつけてみたと思っていても、どこかの雑誌のグラビアのマネに 過ぎない。
ドラマの中の彼は用意されたセリフを拒否して一度は逃亡を図るが、結局 セリフ以外の言葉に対して何の反応も示さない周囲の状態に屈し、エキス トラとして死ぬまで演じ続けるすべてのセリフが書き込まれた膨大な台本 を渡され、逃亡も暴走もすることなく演じていくことになる。
例えば現実社会でのインターネットで考えてみるとどうだろう。今後さら に加速するインターネットを用いた情報のやりとりでは、情報の受け手が 現実世界のメカニズムと照らし合わせることで送り手の意図を積極的に吟 味する態度を持たなければ、情報を活かすどころかその中で何がホントな か分からず溺れてしまうことにもなりかねない。特に一般個人同士の無償 の情報交換においては、送り手と受け手が「対等」であるという仲間意識 からか、送り手の責任感ばかりか受け手の警戒心まで希薄になりがちだ。 読者の群集心理を煽ることで人気を博している個人サイトも見掛けるが、 それらの中に潜むウソに気付いている読者はおそらくほとんどいないので はないか。
話が大きくなりすぎるが、グローバルな視点で世界が1つにつながるといっ ても、地球上の気候風土が均質化してしまうことがありえないように、全 世界の人々の生活上の都合が均一化されることもありえないだろう。それを 踏まえてインターネットの有効性をどれだけ活かしていけるのか、個人の 時代においてそれは個人の責任にかかわる問題なのだろうが、「個人」と 「<“個人”を主張するだけの大衆 > の一員」とをはきちがえてしまわな いことを願うばかりだ。ほかから用意された思考と言葉で圧し着せの価値 観を植え付けられることにさらに拍車が掛からなければ良いと思うのだが、 これから先、エキストラは増えていくように思える。


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