なんだか 日記   2001年5月
――――――――――――
ど−でもい−よ−なことですが ・ ・ ・


インデックス
5月 1日 映画「BLISTER」 (ブリスター)
5月 4日 映画「EUREKA」 (ユリイカ)
5月19日 映画「クレヨンしんちゃん 嵐を呼ぶ モーレツ! オトナ帝国の逆襲

翌月の「なんだか日記」へ
先月の「なんだか日記」へ
表紙に戻る


5月19日

映画 「クレヨンしんちゃん 嵐を呼ぶ モーレツ! オトナ帝国の逆襲
ここまでの今月の日記は日本映画の感想ばかりになってしまっているが、ど うしてもこの作品だけは外すわけにはいかない。その映画のタイトルは「ク レヨンしんちゃん モーレツ! 嵐を呼ぶオトナ帝国の逆襲」。べつに日記の タイトルに誤りがあるというわけではない。わたしは「クレヨンしんちゃん」 をこれまで映画館で観たことは一度もなかったし観たいと思ったこともなかっ たのだが、テレビで見た予告編で、“しんのすけ” のとにかくがむしゃら に走る鬼気迫る姿に引き付けられてしまったのがこの作品を観ることになっ たひとつのきっかけ。そしてもうひとつはその予告編の中で映し出されてい た “夕焼けの街”。
映画の中で、「20世紀博覧会」に夢中になるあまり大人たちは子供たちの ことを忘れ過去の記憶の中に生きようとする。しかしその「20世紀博覧会」 は、殺伐とした21世紀を終結させ世界を“あの頃”に戻そうとするテロ組織 の企てだった。テロ組織に連れ去られた大人たちは、人工的に作られ常に夕 焼けの“あの頃の街”の住人となって現在の暮らしを忘れてしまおうとする。 テロの首領は言う、「夕焼けには人を振り返らせる力がある」と。
物質的にめまぐるしい進歩を遂げた現在は、はたしてわたしたちがそう望ん でいたものだったのだろうか。もしかすると「進歩しなくてはいけない」と いう半ば強迫観念の中、どこか知らないところで発明された目新しい器械を 次々に手にしてきたことの結果なのかも知れない。現実社会の尺度と人々の 心の中の物差しの間にある隙間。映画の中のテロ組織はそのすきまにつけこ んでこの世界をひっくり返そうとした。そして、この映画にはもうひとつ入 りこもうとしたすきまがある。
わたしたちは生まれついて子供から大人になっていくうち、次第に心の中の 柔らかくて敏感な部分の一部を殻のような硬いものに変化させていくことで強 さを得てきたように思う。その変化は日常生活をやり過ごしていく中で無意 識のうちに起こってきたこと。そしてその硬い殻の代償にできてしまった心 の中のすきま。子供の頃、遊び疲れ眺めなた夕焼けにきょう一日のおわりと またくるあしたを感じのは、それがわずかながらであっても確実に心の殻を 形成していったことのあかしだったからではなかったか。映画の中で具体的 に取り上げられていた氾濫する物質によって生じたすきまは、むしろ心の中 の殻の形成によるすきまをあらわにするための大掛かりな伏線に過ぎなかっ たのではないかとさえ思えてくる。
この作品には、時間とともに生きていくわたしたちの誰もが無意識のうちに 心の奥に抱えこんでしまったなにか得体の知れないわだかまりのようなもの を、知らず知らずのうちにじわじわと解きほぐしていくようなそんな何気な いやさしさが・・・。いや、もし解きほぐされて薄らいでいったものが心の 中を支えている硬い殻だったとしたら、そこで感じたものはむしろきびしさ だったといってもいいのかもしれない。まったく場違いな比較かもしれない が、世界的にいまや日本のアニメーション映画を代表する存在となった押井 守作品には時間と空間の中に生きる人間の意思の歪みや崩壊を扱った作品が 多いが、この「クレヨンしんちゃん モーレツ! 嵐を呼ぶオトナ帝国の逆襲」 は、そういったテーマを映画によってより身近でかつ深い度合いで表現しきっ たという意味で、すでにそれらの作品を大きく凌いでしまったのではないだ ろうか。
野原一家をはじめとする登場人物や周囲の人々との人間関係、お約束のオゲ ヒンなギャグもいつものテレビ・アニメ「クレヨンしんちゃん」と同じ。劇 場の大画面でこの映画を見ている子供たちにとってはそれだけで小躍りで大 笑いして十分に満足のようだ。そしてこういったふざけた設定やくだらなく 思えるようなギャグや映像の動きや音の効果も含めて映画全体の中に込めら れたメッセージとともに感じることができたとき( それはそんなに難しい ことではなくて、ただ肩の力を抜いてスクリーンを眺めていればそれで済む こと )、この作品の持ち合わせているとても大きな何かが見えてくるのだ と思う。
映画が終わり建物の二階にある劇場を出ると、そこにあったのは電車の高架 線路と四斜線道路が立体交差する“夕焼けの街”。それはあの頃の町並みで はなかったけれど、“現在” と “なにか懐かしいもの” を結びつける不 思議な光で満たされているような、そんな気になった。


インデックスに戻る

5月4日

映画 「EUREKA 」 (ユリイカ)
カンヌ映画祭で国際批評家連盟賞を受賞したということで話題になった映画 で、この作品の監督が出演したテレビのトーク番組を見るまでは実はまった く知らなかった。(^^; この作品にかかわらず、最近の日本映画には海外で の評価が非常に高い作品がとても多いらしい。ぼくはすごい映画マニアとい うわけではないという理由もあるし、地方では興行的に振るいそうにない作 品は滅多に映画館では上映されないといったこともあり、ビデオが出るまで は実際に観られないことがほとんどだ。
めずしいことに、この「ユリイカ」はとなり街のアート系の映画館で1週間 だけだが上映されることになった。上映時間は3時間37分、全編を通して モノクロ映像の作品だということはトーク番組を見て分かっていたので、は たしてがんばって最後まで観ていられるかはちょっと不安だったけれども、 またとない劇場公開の機会を逃すまいとあまり座り心地が良いとは言えない 映画館のシートに腰を沈めた。
何本かの近日公開予定作品の予告の後、上映が始まりスクリーンを眺めると、 先ほどの不安はまったくの杞憂であったことに気が付く。この作品はモノク ロの上に最近の日本映画ではほとんど見られないシネマスコープ・サイズの きわめて横長の画面なのだが、その画角を活かしきった絵の構図と緩やかな がらムダを感じさせない視点の動きに、ただ眺めているだけでもまったく飽 きることがない。まさに“さすが「映画」だけのことはある”といった感じ がする。そういえばオープニング・クレジットとエンド・クレジットでカメ ラマンの名前が出てきたのはどちらも2番目あたりだった。
ストーリーの進展のスピードもテレビ・ドラマやハリウッドのアクション映 画などに比べればかなりロー・スピードだと思うのだが、一生懸命に展開を 追うのではなく話の成り行きを映像と合わせて眺めているだけでむしろ良い のだろう。ちなみに「ユリイカ」とはギリシャ語で「発見」という意味なの だそうだが、どんなことを発見するかはこの映画を観る人次第。
話の内容は、数人の乗客たちが銃殺された路線バス乗取り事件で生き残った 運転手と兄妹が、その2年後、事件のトラウマに悩まされながも生活をとも にしていく光景が描かれていく。バスの運転手を演じるのは海外で評価の高 い様々な映画に出演してすでに国際的俳優になっている役所広司だが、運転 手が何か行動を起そうとすることで話が展開し全体的に運転手の(というか 役所広司の)一人芝居に近いイメージがあるように思えなくもない。また、 一見抽象的な目に見えないトラウマと闘っているストーリーのようでいて、 作品中で何らかの決着をつけるために具体的な犯罪行為が戒められるといっ たエピソードが入っていたりするところに、逆になにかしらの消化不良を感 じたりもしたにせよ、3時間半を越える上映時間に過不足を感じさせない内 容の作品であったと思う。
ところで、この映画の冒頭、路線バス乗取り事件のシーンで使われているバ スには「西鉄バス」のロゴが入っていたような。。。これは約1年前の5月 の初めに福岡で実際に起きた路線バス乗取り事件のバス会社なのではないだ ろうか。実際の事件は映画の撮影の後だったようだが(『EUREKA』がカンヌ 映画祭メイン会場パレでの公式上映を終えたのは、2000年5月18日午後1時前)、 偶然の一致だとしてもちょっと恐い ・ ・ ・


インデックスに戻る

5月1日

映画 「BLISTER 」 (ブリスター)
「BLISTER」(ブリスター)は洋画ビデオの冒頭に収録されている他作品の 紹介で何度か予告を観て気になっていた作品だが、米国のディズニー系映画 会社ブエナビスタと日本の博報堂にテレビ東京の共同製作によるSF空想映画。
海外製の幻のフィギア(プラスティックでできたアニメやコミックなどの キャラクターの人形)を追い続ける一人のフィギア収集マニアの青年をめ ぐるお話。ちなみにブリスターというのはブリスター・パックという台紙 に透明なプラスチックのカバーを貼っているフィギアの入れ物のことで、 台紙とカバーを引き剥がさなければ中身を取り出すことができない。「ト イ・ストーリー2」で出てきていたフィギアの入れ物は復元可能な箱タイ プのものだったが、実際には最近の海外製のフィギアには元に戻せないブ リスター・パックが多いのだそうだ。
映画では青年がフィギアを追い続ける現在と、人間が引き起こした最終戦争 によって自転が止まり長い年月が経った未来の砂漠の上での話が並行して進 んでいく。さらに現在の時間には、先祖代々受け継がれてきた物質の性質を 自由に変化させることのできる指を託すことができる若者を探す余命短い老 人も登場するが、現在と未来で話が段々進んでいくにしたがって時間と場所 を隔てた物語のピントがクッキリと合ってくるという仕掛け。
ちょっと科学的には?なところもあるけれど話の展開は面白く、スタイリッ シュなグラビアやしゃれたテレビCMの雰囲気が感じられるような映像もこ れまでの日本映画にはあまり見られなかったもので飽きずに観ていられると いった感じだ。
映画の中で青年がアルバイトをしているバーのオーナーが映画「バック・ トゥー・ザ・フューチャー」でタイムマシーンとして大活躍したデロリアン という車を買うという話が出てくる。この車はデロリアン・モーターカース 社で1981年から83に掛けて合計約8500台生産された実際にもちゃんと存在し ている自動車で正式にはDMC−12という型式だそうだ。その後デロリア ン社は倒産してしまったので現在は新車を入手することはできないが、わた しが学生時代に住んでいた街の輸入車専門の中古車ショップに、しばらくの 間この車が展示されていたことがあった。
すでに映画「バック・トゥー・ザ・フューチャー」で見慣れた存在になって いたこの車を近くで見るたびに、実際にもちゃんと改造をすれば( って、 一体どうやって??(笑))タイム・トラベルできるんじゃないかと、ささ やかな妄想を楽しんでいたものだ。( 妄想も他人に迷惑を掛けさえしなけ れば決して悪いものではない。(^^) ) となると、時速140キロを安全に出 せる道路が必要だな。( ← オイオイ。。)
あの時見ていたデロリアンもそうだし、映画「ブリスター」の中で青年がち まなこで探し回っていたフィギアもそうだったし、わたしにとっては、今、 目の前にあるオーディオも(機器だけでなく“音”も)そうだけど、それに 接することでどこか違う世界が見えてくるように感じさせてくれるタカラモ ノ。映画の中の主人公の言葉を借りれば、世界観を変えるような大きな発見 や発明をすることで「世界を動かしてきたのはいつもマニア」だった。なに か素敵なタカラモノを追い続ける姿勢をいつも大切にしていきたい。


インデックスに戻る


表紙に戻る