なんだか 日記   2001年12月
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ど−でもい−よ−なことですが ・ ・ ・


インデックス
12月 1日 映画「ざわざわ下北沢」
12月25日 ドキュメンタリーなバラエティー
12月31日 均一感

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12月31日

均一感
「人間はみんな平等。差別してはいけません。」なんて小学校に通う前から 耳にタコができるほど聞いている言葉だ。「天は人の上に人を造らず」なん て名言もある。しかし、小さな子供が「人はみな平等」と聞かされて思うの は、“見かけの上の条件が同じ”ということではないだろうか。すくなくと も子供に対して「人はそれぞれ個性があり違っているところがある。多用な 価値観を持ち合わせることによって、お互いの個性を尊重できるようになる」 なんてことを言って聞かせる大人なんてあまり見かけないし、実際にもそん なことなど思ってもいない人もいるかもしれない。
とりあえず見かけの上の同質感を得るには、徒党を組み一定の決まり事に 従って行動すればいい。少なくともその中にいる者同士には均一であること による安心感が生まれ、いごごちの良い居場所を共有できる仲間としての連 帯感が強くなってくる。そういった集団に何か明確かつ良質な目的がありそ の目的を高いレベルで達成できるようなら、集団の中にいる者たちは大きな 満足を得ることだろう。しかしそうでない場合、内輪意識ばかりが高まり自 らの集団の存在意義を誇示するために集団の掟を少しでも逸脱する者やもと もと集団に属していない他者を迫害するようになる。「人はみな同じ」とい う言葉の上辺の意味に縛られて自分が知っている世界が決して「均一ではな い」という事実に耐えられなくなるのだろう。みんな同じでないと気が済ま ない。「人はみな同じ」この言葉を極めて狭い判断基準でしか捉えられなく なってしまうことが世の中にはびこる差別の根本的な理由なのではないだろ うか。「人はみな平等」の意味なんて「おとなになれば時期に分かること、 小さな子供にそんなこと言わなくても・・・」とたかをくくっていたら、大 人になっても分からない人が出てくる。100人の人に危害を加えるにはそうい う人が1人いれば十分だと思うがどうだろうか。
9月にアメリカで起きたテロ事件にしても、首謀者たちは厳しい戒律にかこつ けて自国の民衆を弾圧することに飽き足らず、自分たちの思想とはもっとも かけ離れた存在を不条理に痛めつけることで自らの存在の意味を示そうとし ているかのように思えた。彼らにしても自由を抑圧することでは何も生まれ ないことは知りつつあったのだろうが、閉塞してしまった自らが征服する世 界の惨状を正当化するために最も分かりやすい目に見える敵をでっち上げた というのがホントのところではなかったのだろうか。
インターネットを始めて分かったことなのだが、趣味のオーディオ・ビジュ アルの分野でもいろいろと派閥があるようだ。個人サイトの集合体といった いささか変わったAV関連サイトもあるが、わたしに直接関係があるものでは フルレンジ派とマルチウェイ派の境界線がある。フルレンジ派のわたしにとっ てはウーハースコーカーとツイーターとネットワーク素子で構成されたマル チウェイ・スピーカーで音楽を楽しむのはひとつの趣味として結構なことだ と思うし、それを好きで選択しているのならそれで良いと思う。しかし、マ ルチウェイ派の中には強行にフルレンジ派を迫害する人が多いようだ。フル レンジ・ユニット自体をこの世の中から追放したいかのような意見も目にす る。なぜだろう。ハイエンド・オーディオを目指し耳障りの良い音を求めて 止まないマルチウェイ派の口からとても聞き捨てならない刺激的な言葉が聞 こえてくるというのはどういうことなのか??
ただ、フルレンジ派にも最近では均一化の波が押し寄せて来ているようで、 フォステクスのHPコーンのESシリーズと金属リングが至上の組合せとして 広く推奨されている向きがある。工作記事もフォステクスの新型ユニット を使ったものしか出てこなくなった。以前のSSシリーズとESシリーズでは どちらが上ということはなくあまりに傾向が違いすぎ一長一短。優劣より は好き嫌いの基準で考えないと判断を見失いかねないと思っている。例え ば「さしみとチョコレートとではどちらが優れているか」などと尋ねられ ても特別な条件付けでもしない限りわたしには答えられない。ただ、現在 の状況は、長岡鉄男氏のスピーカー工作記事に踊らされて好みでもない壮 絶サウンドのSSを無理して使っていたユーザーが多かったということの現 れなのかもしれないと思うことはある。
わたしの場合は「新しく発売されたほうが当然良い」なんてメーカーの宣 伝文句に躍らされるのはいやだという気持ちもあるが、わたしの耳にはES になってユニットからは冴えが聴こえてこなくなったし、金属リングを付 けたらその鳴きが気になるというのが正直なところだが、( ま、これは 少数派の意見だろう。)冴えのある音、冴えのある音楽を聴かない(また は必要でない)のであればまったく問題はないのだろう。その方向性が多 くに支持される理由も次第に分かってきた感じだ。フォステクスのフルレ ンジもハイエンド・オーディオに一歩以上近づいたといったところだろう。 SSの音が好きなわたしは現在の状況ではちょっと肩身の狭い思いをしてい る。( くれぐれもこれは少数派の意見として聞き流して欲しいが、こんな 意見があるというのも事実だ。)
また、インターネットが広まったことにより世界中の多くの人が「同じサー ビス」を受けられるべきという主張を曲解している人がちらほらと見うけら れることがある。AV関連で割と有名な話では北米版DVDソフトと日本国内 盤DVDソフトの価格差がある。例えば国内で4000円程度で売られているDVDソ フトと同じ作品が海外のインターネット通販サイトでは北米盤として18ドル 程度で売られているとしよう。為替レートが100円内外の頃には送料を出して もおつりがくる。なんで国内盤は同じ作品なのにこんなに値段が高いのかと いうもの。上に挙げた「同じサービス」というのはここではインターネット 通販で北米盤DVDソフトを購入できるということまでのはずだが、それが分 かっていない人がいる(?)。 また、作品の内容は同じであっても、字幕や吹き替え音声を作成することで もコストが掛かるし北米では日本よりDVDソフトの出荷枚数は1桁多い。それ でも国内盤を同じ値段で売ることができるメーカーは大したものだと誉めて あげなくてはいけない。実際に安く売っているメーカーもありそれはそれで 良いことなのだが、すべての企業が揃い踏みしなければならないのだろうか。 また価格の比較に用いている為替レートはDVDソフトの価格に配慮して推移し ているではないのだから、円が値下がりしてしまうと北米盤の価格メリット は消えてしまう。均一化を振りかざすばかりでホントに片手落ちで独りよが りな論理だと呆れるばかりだ。
携帯電話の普及よって顔見知りの結束ばかりが固くなっていっても、情報を 有効に活用し効率化と適正化を図るIT(情報技術)革命はなかなか進まない。 もともと正確な情報を明かすことによって人を納得させるという手法を長ら く敬遠してきたお国柄のせいだとも言えなくもないが、そんな中でインター ネットの普及によってかえって多様性が失われ、安直な均一感のお仕着せが 蔓延することで不条理な差別が生まれることがないように願うばかりだ。昔 読んだSF小説に描かれていた「時代遅れの未来」がやってこなければ良いの だが。


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12月25日

ドキュメンタリーバラエティー
このところ特定の状況を与えられてその中で登場人物たちが目的達成のため にいかなる行動をとるかドキュメンタリーとして放送する番組がちらちらと 目につく。「はじめてのおつかい」「ケンカの華道」「あいのり」「電波少年」 「雷波少年」など。「電波少年」では駆け出し芸人などのいわゆる芸能人が 登場することもあって、多少無茶な状況設定でも見るほうはバラエティー番 組だとたかをくくってそのハプニングをあまり無理なく見ることができると 思う。しかし、番組の内容を説明しても分からないような小さな子供が主役 の「はじめてのおつかい」ならまだしも、いわゆる大人のシロウトが登場す る番組でははてさてどのへんまでが本気なのか(というよりも、どのへんま でがウソなのか)分からない。カメラの目の前で素の自分でいられるほうが よっぽど変なので、ドラマと同様に全部ウソと思ってみればストーリーにし らけがくることはないのかもしれないが、そうなると番組の存在そのものに しらけてしまう。
昨日の深夜番組を見ていたら「映画版 未来日記」という映画が放送されて いた。「未来日記」はもともとテレビ番組の1コーナーで、あらかじめ番組 スタッフから用意された簡単な行動指示書(これが「未来日記」)にした がってシロウトの若い男女たちが恋に落ちるストーリーを演じるというもの。 このコーナーは好評だったようで、近所のレンタルビデオ屋にもテレビ版の ビデオのシリーズ(10本ほどある。)が置かれている。
テレビ番組でこのコーナーを見たことはなかったので、映画版くらいは見て おいても損はないだろうと思って最後まで見たのだが、はてさてこのストー リーをどう受け止めれば良いものやら。恋愛物語の中で揺れ動く登場人物た ちの感情の起伏は分からなくもなく、純粋な若者は共感して涙しているのか も知れないが、夢見る頃をずいぶん前に通り越したオジサンには「これって ホント?」という思いのほうが先に立ってしまい、どうしても懐疑的に見て しまう。また、この手の番組の必須アイテムである饒舌なナレーションに言 葉巧みに誤魔化されているといった感も拭えない。
しかし、バラエティー番組を眉間にしわを寄せて真剣に見る人なんてそうは いないだろうから、これもテレビ番組の中の1コーナーとしてさらっと見て しまえば引っ掛かりもなく受け流せるものなのかもしれない。ちょっと気に なるのは、ずいぶん前から現実の人間がテレビドラマ的もしくはテレビゲー ム的にシフトしつつあるように思えることがある。無意識のうちにテレビに 神としての普遍の価値を求めようとしている人が増えてきているのではない か。もしそうだとすれば恐ろしいことだ。


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12月1日

映画「ざわざわ下北沢」
「ざわざわ下北沢」はこの夏となり町のアート系映画館で1週間だけ上映 されいたようだが、なんとなく見そびれてしまった。ちょっと前にビデオ レンタルが始まっているのを見掛けて、今日はなんとなく見てみようかと 思い借りてきたというわけだ。
主役と言えるほどストーリーに関係する役柄を演じる俳優は原田芳雄、北 川智子、小澤征悦の3人くらいで、そのほかに渡辺謙、柄本 明、樹木希林、 鈴木京香、豊川悦司、広末涼子、田中麗奈、田中裕子、岸部一徳、松重豊、 永澤俊矢、イングリッド・フジ子・ヘミング、テリー伊藤、りりィ、角替 和枝、有吉康平など有名人が盛りだくさん。イングリッド・フジ子・ヘミ ングはピアノの演奏も披露している。これら主役級の俳優たちを観ている だけでおなかいっぱいになるのではないかと思うほどだが、この中で主役 の3人以外はほんのちょい役で登場というのには、映画を見る前から驚か される。 洋画にも「マーズアタック」というやはり主役級の大物俳優目白押しでし かもそのほとんどがちょい役を演じていたSF(?)映画があったが、そう いう意味ではこの二つの作品には共通点があると言える、しかし、その意 味以外では共通点はまるっきり見出せない。(笑)
監督は市川準。日本映画の監督としては名の知れた人でもあり俳優陣の豪 華さからも、大手映画会社の系列館で上映されても良さそうなものだが、 畳み掛けるようなストーリー展開や情緒をことさらに刺激する芝居じみた 演技などとは縁が薄い作品であるためだろう、全国でも上映館は少なかっ たようだ。
少しずつ時間が流れほんの少しだけ物語が進展していくようにも見えなが ら、街に流れる時間や喧騒の一こまをなんとなくしかも確実に捉えている ようなちょっと不思議な作品だとも言えそうだが、もともと映画なんて周 到に用意されたストーリーをなにかを強く訴えるかのように作り上げてい くというより前にスクリーンの映像から伝わる何かが主役なのだと思う。 テレビドラマと映画とはそんな曖昧な点がもっとも大きな差だと思ってい るが、最近では超豪華なテレビドラマを映画館で上映しているような作品 ばかりが目に付いて(10年くらい前の日本映画の多くがそうであったと思 うし、今人気のハリウッド映画ではほとんどがそうだと思うが。)、そん な当たり前のことすら忘れかけていたように思う。それを何気なく思い出 させてくれたような気がして、なんだかなんとなく価値ある1本のように 思う。


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