なんだか 日記

1999年7月


どーでもいいようなことですが・・・


インデックス
7月 3日 「 踊る大捜査線 THE MOVIE 」
7月12日  虹 
7月16日 カラヤン の 「 絵 」

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7月16日

カラヤン「 絵 」
フォステクスの8cmフルレンジ 6N-FE88ES を使用したバックロード・ホーン「スーパーフラミンゴ」
の製作記事を掲載したFMfan No.16 の表紙の写真は、10年前の今日7月16日、この世を去った
指揮者 カラヤンだった。カラヤンにはいわゆる「アンチ」が多い。この人たちに言わせると。カラ
ヤンなどお話にならないのだそうだ。ただ綺麗なだけ、大げさ、音楽的な深みがないなど。   
確かにカラヤンとその他大勢の指揮者の間には、音楽的にみてかなりの開きがあるとわたしは
思っている。いや、質的に異なっていといえるかも知れない。だからわたしの中にも意味合いは
異なってはいるが、「カラヤン VS 他の指揮者」という構図は常に成り立っている。        
残念ながらわたしがベルリン・フィルの生演奏を最初に聴いたのは、既に常任指揮者は後任の
アバドに変わった後だった。そこでオーディオで聴く録音演奏で判断するしかないが、カラヤンの
ステレオ初期60年代の録音では比較的素直な演奏が聴ける。しかし、アナログ円熟期の70年
代後半の録音ともなると、演出過多ともいえる鼻につく演奏が多くなった。ここらへんが根強い「ア
ンチ・カラヤン」を生み出してしまった現況になっていると思う。わたしも、最初にこの年代の録
音ばかり聴かされていたら、カラヤンに対する評価も変わっていたかも知れない。         
それが80年代、デジタル録音の時代に入って、方針転換。無用な演出を極力抑えオーケストラ
演奏の持つ機能性が極めて高い次元で音楽の内実に密着するようになった。といっても、当時、
一部ではやっていた作曲家との見せかけの同化を図ったかようなコマーシャリズム旺盛な茶番と
はまったく違った世界。                                           
デジタル時代に入っても、カラヤンの演奏録音の音質はとてもほめられたものではなかったが、
これはミックス・ダウン時にカラヤン自身が多くの調整を施したからだと聞いたことがある。実際に
は録音技師が調整したにせよ、初めに発売されたCDに記録された演奏はカラヤンがオーケスト
ラの音色を用いて描いた、どちらかといえば抽象的な「絵」であったと思う。            
カラヤンの没後、「カラヤン・ゴールド」と称して、そのころのCD録音の絵の具を録音技師が塗り
替えて、写実主義的なものへと変化させた新しいバージョンが発売されるようになった。アッとい
うほど音質が向上した演奏が数多くあり、オーディオ的には喜ぶべきだろうが、疑問も残った。
古いバージョンのCDから聴きとれたニュアンスは、絵の具を塗り替えたCDからは聴き取りにくく
なった(いや、聴けなくなった?)と感じた。そう思いこんでいるからかも知れないと思ってみても、
やはりかなり違う。                                              
例えばシンプルに録音されたバイオリン1本のソロ曲でも、初心者向けオーディオ・システムとハ
イスピードなベテラン向けシステムで聴くのでは、音色はもとより音楽表現がまるで違って聴こえ
る。それと同じように、なぜか音質が悪いにもかかわらず、カラヤンの旧バージョンのCDもそのく
らいニュアンスの再生に気を配らないと真価を発揮できないのではないかと思う。         
生前、カラヤンがCDに「写真」を記録したのではなく「絵」を描き込んだのは、生の演奏家だった
からこそ、録音媒体では自分の生演奏をそのまま収録し再生することは絶対に不可能だと割り
切っていたからなのだと思う。                                       
どう録音するかよりも、いかに自分の持つイメージを聴き手に伝えようとするかがCDを製作する
際の大きな問題だったのだろう。そのような言い方をすると、カラヤンは自分の頭の中で勝手に
生成し直した音をCDに記録したのであり、極めて主観的であると非難されることもあるかもしれ
ないが、元来、主観の存在しない芸術など、どこにも存在しない。                  
没後10年。カラヤンの新しい録音が発売されることはもはやないが、これからも今までに世に出
た膨大な録音が良くも悪くも、人々の印象に強く刻印されていくことだろう。             


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7月12日


昨日から、久々に大物スピーカーの製作にとりかかった。大物と言っても、16cmフルレンジ
を使用したスピーカーである。キャビネットは約25cm角の柱状をしており、全高さは185cm
程度。やはり大きい。このスピーカーはワイド100インチ・スクリーン用のメイン・スピーカー
となる。
それに続いて、10cmフルレンジを使用したこれまた柱状の共鳴管方式のリア・スピーカーも
製作予定。こちらの高さも155cm程度ある。
庭先でメイン・スピーカーを製作しているが、昨日は作業の途中で雨がぱらついてきてやむ
なく中断。その遅れを取り戻すべく、今日の夕方暗くなるまでの間、作業をしているとまた雨。
こんなんでは、なかなか作業が進まない。
今日はこれまでと思って腰掛けていると、西の方角が晴れはじめ夕日が差し込んできた。
ふとその反対側、東側の空をみると、視界のほとんどを埋めるくらいの大きな半円状の虹が
かかっている。その虹の外側にも、薄く半円状の虹が光っていた。
雨のおかげで作業は取りやめになったが、久しぶりに自然の不思議に触れた気がした。
(理論的にはもはや「不思議」ではないのがろうが。)
ということで、現在製作に取りかかっている2組の共鳴管スピーカーは、近々「自作スピーカ
ー・ギャラリー」にアップする予定です。ではでは。


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7月3日

踊る大捜査線 THE MOVIE
まったく期待していなかった。どうせTVドラマの特番を映画館で金取って見せただけだろうと思って
いた。そう思っていたから当然映画館でも観ていない。レンタル・ビデオを借りてきたのも本編の前
にわたしの好きな映画の予告編が収録されていることを知ったからだ。そうでなければ借りなかっ
たかもしれない。                                                 
各映画の予告編が終わり、東宝のロゴの後で始まった本編の映像を観て、これはすっかりやられ
たなと思ってしまった。非常に広いカメラ・アングルひとつとってみても、もうそれはすでによくできた
「映画作品」の世界。このビデオは4:3のテレビ・サイズにはトリミングされておらず、上映時のビス
タ・サイズのまま収録されているが、この絵作りなら( 画質云々いうのではなく )それも十分に意味
があることに思える。ただし、これは100インチ・スクリーンで観たときの話。29インチ・テレビでも再
生してみたが、今ひとつ良さが活きてこない。これはかなりいい線をいっているのではないか。   
ストーリー的にも結構気が利いているし、日本で公開されているハリウッド作品であっても、ストー
リー的にも映像的にもこの作品よりつまらないと思えるような物はたくさんある。           
また「羊たちの沈黙」や、黒澤 明の「天国と地獄」のパロディーも織り交ぜられていて( 他にもある
のかも )、そういったところもなかなか楽しめた。「羊たちの沈黙」でアンソニー・ホプキンスの演じ
た役柄は小泉今日子が、「天国と地獄」で犯人のアジトを示す手がかりとなった町中の煙突から出
ピンク色の煙は、そのままの設定で使われている。主人公の青島刑事がこの煙を偶然発見して
「天国と地獄だ・・」とつぶやくあたりはちょっとやり過ぎのような気もするが ・ ・ ・ 。          
やや伏線の張りすぎで、シナリオ的に消化不良の部分もあったりはしたが、この映画が多くの観客
動員数を稼ぎ出した理由が分かったような気がした。                           
わたしは「踊る捜査線」のテレビ・シリーズは、まったく観ていなかったのだが、それでもこの映画は
十分に面白い。テレビ・シリーズを観ている人たちには、さらに面白く感じられたことだろう。     
へたに先入観をもって物事に接するのは損が多いことを、この作品を観て思い出した。       


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