重見が学んだ学校について紹介します。
弘敞小学校跡
今治中学校跡
現在の同志社大学
現在のエール大学
本町3丁目で現在駐車場になっている所(三宅産婦人科の前)に弘敞小学校がありました。重見の生家に近いところです。明治5年に文部省が学制を制定し、今治市にも6カ所の小学校がつくられましたが、この学校はその一つです。前年に廃藩置県が行われ、各地で一揆が頻発していた時代ですので学校の施設も十分ではなく、寺子屋式で授業が行われていました。 後で紹介する重見の著書「日本少年」に当時の様子が書かれています。
恵美須町2丁目にある箱助商事の敷地の中に今治中学校がありました。この学校は県立の中学校でありましたが、3〜4年で廃校になりました。その跡が塾形式で英語を教える「今治英学校」になりましたが、ここで徳富蘆花が教鞭を執っていました。そのことが、蘆花の「思い出の記」に書かれています。
今治中学卒業後、いろいろな先生から漢学・数学・英語を習ったと重見は履歴書の中に書いていますが、実は同志社英学校に入学してそれらの学問を修得しているのです。同志社英学校の名前は出てきません。いわば保守本流の華族の子弟を教育する学習院に提出する履歴書には同志社英学校の名前を出すのは好ましくないと重見は考えたのではないでしょうか。
エール大学は創立が1701年で、ハーバード大学と並ぶ米国の名門大学です。
人口12万の学園都市ニュウヘヴンにあり、ニューヨークやボストンへも車で1.5〜2時間で行けます。校内には築100年〜150年以上の建築物が沢山残っています。重見が学んだ当時の教室もまだ残っているはずです。 現在日本人が120名ほど留学しています。優れた教育・研究環境のため全米はもとより世界各地から学生や研究者が集まっています。
参考文献
弘敞小学校と今治中学校については、「今治人の文化意識」(竹本千万吉、「燧」、今治総合文化研究所)、「今治城趾周辺の学校」(本宮健次郎、「蛍雪」、今治西校)、を参考にしました。その他については、インターネットのHPを参考にしています。