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石手寺

四国八十八ケ所霊場
五十一番札所

石手の名の由来とされる衛門三郎の伝説を残す石手寺は、”石手のお大師さん”の名で親しまれる道後温泉近くにあるお寺。聖武天皇・神亀5年(728)に創建され、宝物館には見応えのある工芸品や彫刻、絵画など300点あまりが陳列されています。国宝に指定されている仁王門は、全国屈指の楼門といわれ、屋根入母屋造り本瓦葺きの重層。その中に安置される金剛力士像は、運慶派の作といわれています。その他の重要文化財建造物は、本堂、三重塔、鐘楼などがあります。

版権(c) 松山市役所市

 

衛門三郎伝説
(手の石)

むかし伊予国浮穴郡荏原郷の長者・衛門三郎が托鉢に訪れた弘法大師に非礼を働き、手の鉢を打ち壊したところ、8人の子が次々と変死し、三郎ははじめて己の罪を悟って弘法大師を追って四国巡礼の旅に出ました。20何回目かの巡礼で12番焼山寺へたどりついき余命いくばくもなくなった時、こつ然と大師が現れ、罪が許されたことと河野一族の子に生まれ変わることを告げました。三郎は、「衛問三郎再来」と書いた小石と経文一巻を手にこの世を去りましたが、天長8年(831)手を開かぬ城主の子を安養寺に祈念したところ、手を開き、この石が出ました。安養寺の名は、この石を寺に納めた時から石手寺に改めたといいます。


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