みさきの出産にあたって

長女(みさき)  平成5年9月9日生まれ

H5

2月

 1月から、「もしかしたら妊娠?」と思っていた。この年は、インフルエンザが大流行し、熱を出して寝込んでしまったが、薬を飲むことができなかった。その後、2月8日に産婦人科を受診し、妊娠判明。
 予定日は、平成5年10月3日。「初産て、少し遅れるよね。私のお母さんもずいぶん遅れたし・・・10月9日のだんなさんの誕生日にできたらいいね。」と勝手に決めた。

3月

 仕事に出ているときには、つわりはそれほどではなかった。それに比べて、土曜・日曜はかなりしんどかった。
 3月中旬に、職場でM町の民宿へ泊まりがけで伊勢エビを食べに行くことになったが、だんなさんの許可が出ずに、あきらめた。
 そのころはまだ、O市のアパートに住んでいたので、3月17日にO市の保健センターで母子手帳を発行してもらった。
 ちょうどそのころI町に家を新築中で、引っ越しに重い物がもてず大変だった。

4月

 新居に引っ越した。
 経過はすごく順調。

5月

 戌の日に腹帯をしめる。ただでさえ太いウエストが、ますます、大きなおなかになってきた。

6月

 この頃から、すでに手足のむくみがひどくなり、減塩食にするよう指導を受ける。すいかは、利尿効果が高いのでたくさん食べるようすすめられた。妊娠中毒症の始まり始まり。でも、むくみだけで、血圧も尿蛋白も正常だったし、第一、本人がとても元気だったので、全く気にしていなかった。

8月

 逆子だといわれ、逆子体操を始める。2週間の努力により、頭位にもどる。
 本来なら、8月15日から産前休に入る(この頃は産前休が7週間だった。)はずだったが、代員さんのこともあるので、9月1日からにして欲しいと言われる。
 夏休みに入ってからも、仕事の片づけや代員さんとの引継などもあり、あまりのんびりもできなかった。からだの方はとても順調。・・・だと思っていたのに。
 8月28日の検診で、NSTをすることになった。午前中の検査の結果は、赤ちゃんの心拍数が多く、即入院。妊娠中毒症の典型的な症状なのだそうだ。いったん自宅に帰り、荷物を持って、午後から入院した。
 最初は、2〜3日したら帰るつもりだったのに、思ったより状態が悪く、病院に居着いてしまった。毎日、NSTの検査をして、その結果とにらめっこ。この頃、「もしかしたら帝王切開になるかもしれない。」と知らされる。あの逆子体操は何だったの・・・

9月

 だんなさんが、6〜9日高知に出張予定だったが、先生から「いつ切るかかわからないからとりやめられるのならやめて下さい。」と言われ、「9日までに切らなかったら、笑いものになるな。」と言いながらも、とりやめる。 
 9日、長引きそうなので、個室に変わったその日、午前中のNSTの結果が悪く、夕方切ることになる。
 腰椎の局部麻酔。虫垂炎と同じかな、と想像しながら手術台の上へ上がる。麻酔後、血圧急降下。目の前が黄色くなったな、気持ち悪いな、と思っていると、横で看護婦さんの「血圧はかれません。」の声。「私どうなるの?」と思っているうちに、昇圧剤により復活。
 午後6:09無事(?)、女児出生。 
◆TOP ◆BACK ◆NEXT