「脱藩の道」周辺の巨樹 ・・・ /6  

 檮原町、そして国境の韮ヶ峠を越えて伊予へ・・・


          

          知らぬ間に檮原町に入っていた。太郎川で又国道に出て、いよいよ檮原町の中心部に来た。

          山間の小盆地だが、町中は人が多い。古い家並みが軒を連ね、日当たりのいい細道には人と車が頻繁に

          行き交っている。山のオアシスとでもいったような風景である。町のはずれに高台があり、そこにも一つ立派

          な茶堂があった。

          一角に神棚のようなものがあり、石仏を奉っている。ここでも客人を接待して歓迎してきたのだろうか。これ

          は一種の信仰だともいう。四国各地に客人神社という社名は見られる。昔時、ここは旅人を受け入れますよ

          という目印だったのかもしれない。

          この坂を下りて、檮原川を渡ると三島神社がある。四万十川の源流である流れに長く神橋が架かって、そ

          の先にこんもりとした社叢が茂っている。


     三島神社のハリモミ  川に囲まれた神域は整然として、社も立派なもので檮原神楽が行

          われる事でも有名。鳥居のそばにあるハリモミは、豊臣秀吉の朝鮮出兵に従事した津野親忠等が帰還の時

          持ち帰ったと言われ、町の天然記念物である。横にある樹高43mの杉も見事な物だが、ハリモミも円柱状の

          健康な幹で、四国ではかなり大きい部類だろう。ハリモミはトウヒの一種で、トウヒはエゾマツの変種である。

          このあたりの区別が多少ややこしい。


目通り周囲3.9m/樹高35m/枝張り19.5m/高知県、檮原町、三島神社


          脱藩の道はこの檮原町の中心からさらに国道197号線を進み、下西の川から四万川に沿った道を北上

          するのだが、ここで又少し寄り道をして、街の手前から県境の地芳峠に向かう国道440号線を北に走って

          行く。この先の田野々と永野に、檮原町を代表する巨樹があるのだ。


     善福寺の千年杉 一帯を越智面という。隣国伊予の名士、越智氏に由来するものか。国道

          に沿う檮原川を見下ろした高台の寺は、檮原六ヶ寺の一つ善福寺で、見晴らしの良い境内の奥に大杉はあ

          る。斜面の石垣を噛むように根を這わし、量感に富んだ幹がドカンとつきたっている。先端部は欠落したよう

          だが樹勢は至って良好で、根元には数体の墓石を抱き込んでいるという。とにかく力強い。


目通り周囲8.3m/樹高34m/枝張り21.5m/樹齢600年/高知県、檮原町、田野々、善福寺


          善福寺から国道に下りて、また暫く北に走ると道路脇に樹名板があった。

          「河内神社は古来、永野、井の谷の産土神であって、祭神は五山祇命、日本武命である。

          参道の杉は、もとは傘を差してその間を通り抜けることができたというが、今は人も通りにくくなっている」


     河内白王神社の門杉 別名を夫婦杉と称し、境内のはずれ、裏の道に面した高見に

          あって全く同じ程の杉が既に根元を一体にして並び立っている。枝葉は折り重なって一塊の樹形をなし、何

          れは幹も合体するだろう。また境内は静穏で、お社も素朴ながら品がある。神殿横には目通り4m程のトチ

          ノキがあり、涼やかな木陰には、落ちた実がそこここで笑うように口を開けて転がっていた。


目通り7m/樹高47m/枝張り20.2m/樹齢460年(双方共)/高知県、檮原町、永野、河内白王神社


          ここからもう少し上れば県境である。越智面から上るこの道は、前方に高く遮る山脈に正に挑みかかって

          いくような様子で上るので、とても印象深い。寄り道のついでに、この先の地芳峠に上ってみようか・・・

 

        峠から東には、県立自然公園の四国カルストが広がっている。カルスト特有の白い岩が転がった不思議な風

          景だが、今はよく整備されて高原の放牧場となっている。尾根伝いに走る道は快適で、まるで空の中を走っ

          ているかと思う程。冬季は大雪となり、交通は完全に遮断されるという。そんな浮き世離れした所。


          さて、再び檮原町の街に引き返して、脱藩のルートである四万川沿いの道に向かう。

          檮原は、もと津山郷といわれた一帯の人々が、伊予との商業ルートであったこの地域に徐々に集まってで

          きた街だという事だが、当時の道は今の物流社会からは考えられないような険しい山道だったろう。竜馬も

          そんな川沿いの細道を、黙々と北に進んでいる。左手に、懐かしい木造の校舎と、見栄えのいい銀杏の樹

          があった。ここは所々で時間が止まっているようだ。

          前方の山には茶や谷という所がある。


  

          春は桜の綺麗な所で、車も人も少ない。谷川の小橋を渡って少し奥に上ると、海津見神社がある。もとは

          竜王を祀った竜王権現だったそうだが、海運に関わる海津見神となり、参道横には大きな木船が置かれて

          いた。遠くは瀬戸内の方にまで信奉されたというのだが、この山中では不思議な光景に思えた。

          竜神は雨雲を呼んで遙か瀬戸内にまで飛来していったのだろうか。


          さて脱藩の道は、この茶や谷からやや西の高階野という所を通る。そしてようやく伊予との境である韮ヶ峠

          を越えて、愛媛県の野村町に到るのだ。

          とうとう土佐二十四万石の領域から脱出した。もう二度と生きてこの地には戻れないだろう。事実、土佐か

          ら脱藩した多くの志士達は、この後志半ばで壮絶な最期を遂げている。その血を吸って維新は成り立った

          というのだが。

          韮ヶ峠から野村町の榎ヶ峠へ。そして次の河辺村に入る。

          河辺村を流れる秋知川には、珍しい屋根付きの橋が幾つか架かっている。映画「マディソン郡の橋」がヒッ

          トした直後、やたらとニュースで取り上げられたが、ふらりと来てつい目に入った時に、この風景はよく感じ

          入る。竜馬が通った神納という所にも又、屋根の付いた神橋があった。


  

     天神社のケヤキ 神橋は「御幸の橋」と呼ばれ県指定の文化財となっており、その橋を渡

          って境内に入ると、正面に大岩がそそり立っていた。ケヤキはその岩上にあって、岩を抱え込むように根

          を張りながら、根元もタコのように大きく広がっている。よりによってなぜこんな所にと思えてくる。幹と言わ

          ず、枝と言わず、全身にビッシリと厚い苔をまとい、枝折れもあってか、ただならぬ立ち姿ではある。永く生

          きてきた証だろう。これもなかなかに力強い。


目通り周囲6.7m/樹高25m/樹齢800年/愛媛県、河辺村、北平、神納、天神社


          土佐を出た竜馬と惣之丞は、ここから五十崎町の宿間に出て船に乗る。そして大洲から長浜町まで、

          船上からどんな風景を見て行ったのだろうか。