「脱藩の道」周辺の巨樹 ・・・ 5/6
河辺村から五十崎町、少し外れて野村町・・・
河辺村の神納を後にして、道は横通、三杯谷、日除と続く秋知川沿いから北西に上る山道となる。そして
水ケ峠、泉峠を越えて、いよいよ次の五十崎町に入っていく。
竜馬はこの町境の泉峠で一泊したというのだが、今は杉林の鬱蒼とした中に林道が走るのみで民家も無い。
ここらでガス欠になったらなんとも心細い。事実そうなって、ニュートラルのまま河辺村のスタンドまで下りて
行ったのだが、ずっと坂道なので助かった。
そんな急な坂道を上って五十崎町に入り、峠を越えて暫く進むと北表という所がある。林道の三叉路から下
り、蛇行した細道を少し行くと左手に神社があった。
ゴゼンのイタヤカエデ
三島神社のイロハモミジ 急な石段の両側には杉やトチの巨木が立ち並び、境内
の前面辺りに、このイロハモミジの他、目通り7.8mの桂等が折り重なって繁茂している。ただ桂の方は
複数株で、ヒコバエが鬱蒼と取り巻いた樹形であり、実質は上記程の巨樹では無い。イロハモミジは、イ
ロハカエデとも言うが、どちらが正しいかはやや曖昧である。カエデは、古くは万葉集にも登場し、カエルの
手に似ている事からそう呼ばれたとされる。巨木は同属のイタヤカエデに多く、愛媛県北条市、高縄山の
イタヤカエデ(目通り4.9m)や同県伊予三島市、上猿田のゴゼンのイタヤカエデ(目通り4m)等がある。
又イロハモミジでは他に、上記の高縄山のイロハモミジ(幹周2.5m)や徳島県三好町、増川のイロハモ
ミジ(シダレモミジ)(幹周1.08m)等も種としては大きい部類だろう。特に増川のイロハモミジは枝葉の
茂りが傘状で美しい。三島神社の者は斜面に棚状に張り出して樹勢良く、この種では四国でも最大の部類
だろう。
目通り周囲3.5m/樹高20m/愛媛県、五十崎町、北表、三島神社
この道は脱藩のルートからやや外れているようだが、もう少しだけ先に進む。
三島神社前の細道を下った先には、四国でも五指に入る程のムクノキがある。
北浦のムクノキ 道沿いにあって、その樹勢旺盛な様に驚いた。枝先からなにものかが迸るよ
うなみずみずしい樹影である。枝張りは30m近いだろう。幹も健康で、これはかなりの巨樹である。樹全体の
大きさから思うと、四国でもトップクラスのものではないか。町の天然記念物だが、こういった山中に平然と育っ
て居る事が又素晴らしい。四国では前に巨樹調査に載っていない巨樹で紹介した明河のムクや、愛媛県砥
部町にある大平のムク(目通り8m)高知県安芸市、宮の上関慶院のムク(目通り7.8m)の他に、愛媛県
西条市の州之内という所に、天神谷のムクノキという目通り8.6mの巨大なムクがあった。ただこれはよう
やく探し当てた竹林の中で、惜しくも枯渇して小山のような残骸が転がっているという無惨な有様だった。
この北浦のムクは、上のものよりも更に大きくなるまで、このままずっと栄えていってほしい。
目通り周囲7.75m/樹高30m/枝張り30m/愛媛県、五十崎町、北浦、大野氏宅前
さて、五十崎町に入った坂本竜馬と沢村惣之丞は、耳取り峠、大清水を通り、小田川沿いの宿間へと進む。
沢村惣之丞は、後に竜馬の創った海援隊に入り奮闘するのだが、維新直後に過失を侵して切腹してしまう。
今は別枝村でくじいた足を引きずりながら、竜馬に肩をかりて賢明に宿間をめざす。「すまん、すまんのう・・・」
遅い春で、道には未だ雪が残っていた。
とうとう、宿間にやってきた。前には肱川に続く小田川が流れている。ここから二人は船に乗り、一時南下
して肱川町の粟太郎あたりまで下る。そして肱川に入りそのまま大洲市、長浜町へと川を下っていくのだが、
ここでまた少しこの肱川を遡っみる。すぐ川上にある鹿野川湖の端に、タブノキの巨樹がある。
客神社のタブノキ 鹿野川湖の南方は野村町にかかっている。野村町は東西に長い町で
そのほぼ中程にある坂石という所で、神社は岸辺から急な坂道を上っていく。傾斜地に刻み込んだような細
長い神域で、タブは神殿の裏から伸び上がって、幹は一面に厚く苔むしている。堂々たる根元だが幹に腐朽
があり、葉の付きもやや少ない。四国では数少ないタブノキの巨樹だが、まだまだ永く繁栄して貰いたい。
目通り周囲6.1m/樹高30m/枝張り35m/愛媛県、野村町、坂石、客神社
又肱川を下っていく。肱川町を出ると次は大洲市である。右岸には国道197号線が走り、河原には菜の花
が鮮やかに咲き乱れている。