土佐街道周辺の巨樹 ・・・ 1/6
徳島市から室戸岬へ続くR55近辺にある巨樹の風景・・・
高知県は、四国でも他の3県とは少し異なる文化や気質を持っているように思う。それは他の県が割合に似
通った方言を共有するのに比べ、土佐弁だけは独特の語尾やイントネーションを持っている事からも伺える。
1934年に土讃本線が開通するまでは、四国山地に閉ざされた交通の不便な所で、古くは遠流の地とも言
われたその土地柄のせいだろうか。それまでは、大豊町から笹が峰を越えて伊予に抜ける立川の官道と、
野根山を越えて阿波に抜ける峠道のみが他県との交流するルートで、紀貫之も、山之内一豊公も、空海も、
おそらくこのを通って山を越えたのだろう。今は国道55号線の走る海沿いの道が、その土佐街道なのである。
土佐街道、現在の55号線を阿波から土佐の室戸岬まで。左手に海、右に山を望みながら行く巨樹の旅。
先ずは徳島市内の園瀬川と勝浦川に挟まれた中州、津田西町にある津田八幡神社へ。
津田八幡神社の楠 目通り9.92m/樹高20m/枝張り29.2m/徳島市津田西町・津田八幡神社
県庁前からR55の幹線道で津田橋を渡り、出島のような津田に入る。突端には津田木材団地があり、川の町
阿波徳島の長閑な玄関口ともいえるようだ。楠は根元近くから二股に分かれたいわゆる合体木の様相で、うち
一本は大きな支えを受けて樹勢が乏しい。5m程の複合であると思え、樹齢は300年前後とも見受けられる。
境内には「楠大明神」と書かれた深紅の幟がはためいて、沸き返る緑のご神木体は見栄え良く威厳も感じられ
た。この大樹が踏ん張って、みだりな開発をくい止めているようにも思えてくる。
本線55号に戻って、次の小松島市に向かう。 小松島港は、文治1年(1185)、屋島に陣取った平家一団
を討伐せんと、紀州より漕ぎいでた源氏の若武者、源義経が上陸した歴史の港でもある。
今は船の発着場として護岸工事が進み、古の面影は無いが、その記憶を辿る「義経ドリームロード」というも
のが提案されて、路々にそれを示す石碑などが設けられている。
坂道の手前にある表示を、若いお遍路さんが足を止めて見入っている。この坂道の上に恩山寺がある。
恩山寺のビランジュ 目通り1.5m(目測)/小松島市田野町・恩山寺
ビランジュはバラ科の常緑高木であるバクチノキの別名。樹皮が紅黄色に剥奪する様が、博打に負けて赤裸
になった人に例えられたという名の由来が面白い。植生は海に近い暖地を好むという事で、それも又暢気な風
体に思える。複数株の小さな幹だが、樹影は立派で、種としては大きな部類かもしれない。
古い山門から白い猫がすり寄ってきた。お遍路さんと相性が良いのだろうか。餌を良く貰っているようで毛艶
も良い。以前新聞で見た京都府笠置山の道案内猫「笠やん」を思い出した。ここの猫は案内はしてくれない。
山を下りて、少し離れた17番札所「立江寺」の方に進む。その先の櫛渕という所に、2本の大楠がある。