土佐街道周辺の巨樹 ・・・ 6/6
トンネルを抜けると道は海沿いへと下り、又一際明るい南国の海原が一望に広がった。
国定公園の海岸を横目に、役場所在地の生見という所に向かう。
前記の吉野川南岸の巨樹では「阿波は楠の国、土佐からは杉の国となる・・・」といったが、この土佐の外れ
の町には、その阿波の名残とも思える楠の巨樹が1本ある。この楠にも不思議な言い伝えがあって興味深い。
西山神社の楠 目通り7.6m/樹高28m/枝張り25m/高知県東洋町生見・西山神社
土佐街道から300m程山手に入った小さな神域で、楠は路地に入ってからすぐ前方に見えてくる。
素直で痛みの無いまだ若々しい幹で、樹勢はかなり良い。元はここに13本の楠が林立していたといい、明
冶期に、この1本を残して12本を全て売却の為に伐採してしまったとの事。ただ、この時に木を積み込んだ
船が全く動こうとしない。祈祷によると、神様が木を離さないのだという。それでは神様が木を見送れるように
と、神殿を海側に向けてお奉りしたところ、やっと船は動き始めた。楠は当時で3千円という値をつけたが、そ
の伐採を発案した総代の家系は、その後不幸続きで根絶してしまったという。
又この神社は今も女人禁制のしきたりが残っているという。一度女性が立ち入ると、この楠が突風を起こし
て女を天空に舞い上げるというのだ。知らずに立ち入ったが女でなくて良かった・・・
さてここで、もう後は目前の室戸岬に向かうのみとなったが、その前に土佐からは杉の国・・・といった手前、
最後に杉の巨樹を一つ見て行こう。同じく東洋町の野根川沿いにある名留川という所で、この野根川の河口
から、前記の野根山越えの旧土佐街道が続いている。今となっては信じがたいような急な登山道だが、近年
までこれが唯一の交通手段だったとは・・・
田園の向こうに、身を寄せ合うようにして繁茂した社叢があった。
春日神社の杉 目通り6.4m/樹高45m/枝張り15m/高知県東洋町名留川・春日神社
海岸線から名留川に沿って3〜4キロ遡った山際の神域で、落葉樹、広葉樹、針葉樹が入り乱れた原始の
様相がある。杉の巨樹は拝殿の前にあり、根元からやや上方で2本に分かれた幹で、もしかしたら合体木か
もしれない。根の張りは重厚で、ビッシリと苔むした様も威厳が感じられる。離れて見ると、森は異種の高い
梢が身を寄せてに立ち並んでいるような様で、寄り添う家族のようにも思え、なんとも味わい深かった。
さて、ここからは岬を廻る新しい道。徳島市から下ってきた長い道のりも、目標の室戸岬まであと30キロ余り
を残すのみとなった。
藪をかき分け、イバラに足を取られながらもやってきた僧が、海岸の道無き道をひたすら歩き続けている。
太平洋に突き出した岬の突端には、もう空と海しか無い。空海が悟りを開いたという巌谷はこの室戸岬の先
端近くにあって、岩肌に大きく口を開けた2つの洞窟は、潮風にさらされて暗くて湿気の多いコウモリの住処の
ようだった。それだけにその穴ぐらから見る洋上の美しさは心を締め付けられる。
ここで何かを会得した空海は、又様々な奇跡を起こしながら札所を渡り歩き、忽然と歴史の舞台に躍り出る。
その知恵と技能と度胸は正に超人級で、それ故に多くの逸話が生まれたのだろう。
今だにその威光に惹かれ、お遍路が常時200人は四国のどこかを歩き続けているというのだ。
阿波徳島から、土佐街道を辿って高知の室戸岬までやって来た。車なら数時間で走る道を、当時はどれ程
の日数をかけて歩いたのだろう。自然の景勝は、人の暮らしにはかえって大きな障害にもなっいたと実感した。
その障害と戦い、取り払う事で人々の暮らしが繁栄してきたのも事実だが、その壁を永く近年まで取り去らな
かった土佐人の人格が、他から見るとやや異なって見えるのもどことなく頷けるように思う。
海岸の様子も徐々に変わりつつある。ただその中でも「これだけは・・・」という気持ちで残されてきた巨樹も
多くあったという事が解り、その点でとても快い路だった。