横 倉 山 / 高知県 高岡郡 越知町 ・・・ 1/2
巨樹を探すうちに、それは殆どが寺や神社の境内にある事に気づく。当初はなぜそうなのかさえ気になら
なかったが、やがて何度も々神社をまわる内に、この神道とは一体何者なのか?と徐々に思い始めた・・・
神道は、日本古来より発生した独自の宗教であり、その根底は神と自然と人間の一体感だという。後に様々
な影響を受けて多様な側面を持たざるおえなかったが、その根源は今も生きづいているように感じられる。
我々の祖先が大きな木を見上げた時、これを拝もうとした事に不思議な感動を覚える。古代のこの純神道の
精神が高々と伸びた巨樹の中に感じられる時、何とも言いようのない豊かな気持ちがこみ上げてくるようだ。
美杉と天皇の鎮まる森・・・
越知町は、仁淀川と大桐川の合流地に発達した集落で、桑畑が多く養蚕による絹糸の産地でも知られる。
横倉山はその両河に挟まれた美杉と史跡の山で平家の里とも言われる。源平の戦で大敗した平氏の残党が
落ちのびた、いわる「落人伝説」の地である。壇ノ浦で最後の決戦に敗れ、平氏頼みの切り札であった幼い安
徳帝は、祖母二位尼に抱かれて水中に没する。齢わずか六歳の哀れな最期であった。
この幼帝が後も生き延びて山中に隠棲したという伝説は各地に多い。御陵は、山口県下関市の阿弥陀
寺陵であるが、この横倉山にも、正治二年(1200)23歳で崩御したとされる安徳天皇の御陵が存
在している。宮内庁の参考地としてだが、もともと天皇の御陵は推定のものが多く、伝説にロマンを馳
せる者には、正しくここが天皇の森であるに足る、荘厳な情景に思えた。
杉原神社は、ツツジの咲き誇る山道を登り、駐車場から歩いてすぐに、先ずこの荘厳な神域が現れる。
鳥居周辺と、その前の石段脇に、経級1m以上の真っ直ぐな杉が立ち並んでいる。内一本はほぼ立ち枯れて
遙か上方から「コン、コン・・・」とキツツキの盛んに小突く音が響いていた。
そして最大の者は拝殿の脇にあり、二本並んだ巨樹は双方とも、思わず見とれる程の美杉なのである。