吉野川南岸の巨樹 ・・・ 1/4
徳島市から大豊町へ続く吉野川南岸にある巨樹の風景・・・
吉野川は、石鎚山の東方を源流とし、高知県本山町から早明浦ダムをへて、大杉のある大豊町に向かう。
ここで北流して、大歩危、小歩危渓谷を穿ちながら蛇行しつつ、徳島県池田町で大きく東に曲がって、広大な
徳島平野を開きながら徳島市で紀伊水道に流れ込む。
全長194キロメートル。流域面積3650平方メートル。四国第一の大河で、かつては名だたる暴れ川だったと
いう。ただ、この流れがもたらす自然の潤いは、流域に巨樹が四国でも明らかに多く密集している事からも良く
伺える。吉野川は、正に太古から四国の大地や生き物達を育み続けてきた生命の大河なのであろう。
吉野川流域でも、特に河口の徳島市を中心とした徳島県北東部は四国随一の巨樹密集地帯で、紹介した以外
にも、楠を中心にした巨樹が多数息づいている。先ずはこの吉野川河口から西に、川の南岸をさかのぼる。
河口は徳島市内の市街地北に位置し、対岸がかすむ程、広々とした穏やかな流れである。南の徳島城跡は、
亜熱帯林の高木が密生して原生林の様相を呈し、楠やホルトノキの大木も多く繁茂している。そのうち「竜王社
の楠」と呼ばれる楠の古木は、かつて目通り8mを越える巨樹であったが、1934年の室戸台風で倒されて、
察時はまるで地面に伏せた巨人のように、倒れて枯渇した残念な有様であった。
蔵王神社の楠 目通り9.25m/樹高18m/枝張り25.2m/徳島市南島田町2丁目・蔵王神社
吉野川と分かれた鮎喰川に架かる不動橋を渡って南島田町へ。線路のそばにある小さな耕地の一区画に
まるで蓮の花が咲いたような鮮烈な青葉が突然にわき出している。神社とは言っても樹下に小さな祠がある
のみだが、不思議に近隣の喧噪が殆ど聞こえず、一帯の雰囲気さえも少し違った空間であるように感じた。
繁茂に比べても幹が異常に大きく、特に根元付近の膨らみが著しい。内部は空洞を呈している様子で、大
枝の欠損により、枝張りもかなり小さくなってしまったようだが、今も見事な大楠である。
再び吉野川南岸を西に向かう。徳島市から石井町に入り、少し南下して石井町の町内に入って行く。この
あたりの平野部も、かつては川の氾濫によって広まったものであろから、南岸といっても良いだろうか?
石井町の町外れで、石鳥居から長い参道が農地の中に続いている。
豊玉毘売神社の楠 目通り9.57m/樹高17m/枝張り28.7m/徳島県石井町・豊玉毘売神社
繁茂はそれ程大きくないが、その極端に成長して幹と区別がつかない程の大瘤が驚異である。元はここに
下枝があったのかもしれない。豊玉毘売は山幸と結婚して鵜榧葺草葺不合の命を産んだ姫で、昔話の「海彦、
山彦」にでてくる竜宮城のおとひめ様の事。古事記ではその正体を八尋ワニとしている。同じ竜宮の乙姫様
が登場する「浦島太郎」ではウミガメが出てくるが、この大瘤は巨大なウミガメの亀甲にも見えてきた。
まだ先は長い。又吉野川の岸辺まで引き返して、さらに西に進んでいく。