一本松・停車場 と、索道

     角石原停車場 −−− 一本松停車場 −−− 石ヶ山丈停車場
距離     0Km             約 3,1Km            5,532Km
標高   1100m             980m              835m

 上の、上部鉄道の位置関係から、石ヶ山丈停車場寄りの、中間駅である。
上部鉄道は、明治26年8月に開通した、日本初の山岳鉄道である。

  
 明治38年頃の、一本松停車場の平面図です。駅務室・倉庫・索道室の建物が、見えます。            写真は、2010年の一本松・停車場。
それにしては、広い空地があります。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
 明治26年8月、上部鉄道開通。
 明治27年3月、東平から、第三通洞の開削開始。 明治35年、貫通。
と言う事は、上部鉄道開通と、ほぼ時期を同じくして、「一本松〜〜東平索道」も出来たと思います。
東洋のマチュピチュと呼ばれている東平で、使用された煉瓦や、機材も多くは、この索道を使い下ろされたと思われます。
  端出場 −ーー−> 石ヶ山丈・停車場 −−−> 一本松・停車場 −−−> 東平
         索道                  上部鉄道              索道

 の、ルートで資材を、東平へと、運び込みました。煉瓦が、1個2.5Kgとすると、12個で30Kgを超えます。
遠登志から、人間が担いで、山道を1時間半かけて運び込むには、東平の遺跡に残っている煉瓦の数からして無理でしょう。
 一本松・停車場には、プラットホームとかの、昔の面影は何もありませんが、索道場の跡の石垣は現在も確認できます。
 

 東平 −太平坑 索道  (太平索道)  昭和10年〜昭和32年
 東平 −黒石 索道    (東黒索道)  明治38年〜昭和10年
 東平 −端出場 索道   (東端索道)  昭和10年〜昭和43年
と、標高の高いほうから、低いほうへ、略式名が付いているから、
ここの、東平 − 一本松索道は、(一東索道)と、呼んでいたかも知れない。
東平(744m)と、一本松(950m)と、高度差は、206mと小さいが、

 昭和26年作成の地図
 この図面が書かれた時にまだ存在していたなら、別子銅山の中でも、小規模ながら、歴史ある索道と言える。
東平のプール下(現在の、小マンプ横の広場)に、繋がっていた事が、分かると思う。
 私は、上部鉄道の廃止の時に、「石ヶ山丈索道」と同じくして、廃止されていたと思っていたから、上の図面を見て、もう少し調べてみようと思う。
どの様な理由を持って、存続されたのか ?
一本松社宅、唐谷社宅等の、荷揚げ用か ?
上部鉄道に繋がる、第一通洞は、第三通洞と、東黒索道の完成により、不要となっていたはずである。
もう少し、調べてみて、結果が分かれば、このページを更新したいと思います。