紫 岩

  名前の通り 紫色

 乾いている時は、それほど思わないが、雨上がりの後とか、この岩を見ると ”なるほど !! ”紫岩” だと、思います。

  大きさがわかるように、岩の前に立ってみました。

  明治44年まで、蒸気機関車が走っていた所です。

  上から見てみると危なそう !!

  石垣と、紫岩も距離は、350Cmありました。
 軌間 762mm、列車の総幅1850mmですから、通るには、2倍の余裕が有ります。列車が、通れない事は無いです。

  
 冬の木々の茂っていない時の、写真です。これは、やはり、上から滑り落ちたと考えるのが、普通でしょう。
通るには、十分でしょうが、危ない感じです。
 上部鉄道には、「切り通し」の様に、大規模に岩を削った所もあります。
開業前、又は、営業運転中でしたら、ダイナマイトで吹き飛ばしていたでしょう。
(別子銅山で、黒色火薬は、明治3年。ダイナマイトは、明治13年から、使用されていました)

 この辺りは、山の地盤が弱いのかも知れません。
紫岩の、前後で、鉄道道が、ずれています。
紫岩の、150m位下にある、端出場水力発電所の、導水路も、この谷の部分が、ズレテいます。
 山の、表面の土が、ずれている様な感じです。

 私の、結論としては、明治44年以降、上部鉄道が使われなくなった後の、100年余の期間に、
上から、ずり落ちてきたと見ております。
 「紫岩」と、名前も付けられた、この岩は、幸せだと思います。営業終了後に、落ちてきたのでしょうから ・・・
後、何年後かには、又、下に、落ちているかもしれません。
人間の手の、入らない産業遺産 ?  ・・ ではない紫岩は、自然の、摂理に身を任すしかないようです。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

 2011年10月 9日 S氏と、上部鉄道を歩いてきました。
明治44年10月 7日に、上部鉄道が廃止されて丁度、100年と、2日です。
かといって、新居浜市では何も行事が計画されていません。(知らなかった ?)
誰か、興味を持っている方がご一緒しないかと、HPで呼びかけたのですが、S氏と、二人調査になりました。
              S氏の、ページを見て下さい

 S氏は、詳しく状況を、解説してくれています。 
どちらが、正しいのかは、皆さんが現場に行って、確認していただくのが、最良と思っています。
私たちは、現場主義です。現場へ行って、物事を、考えましょう ・・・