意見書の回答と話し合い
(平成9年5月10日)
4月に 2月に送付した「大洲市葬斎場予定地反対陳情の回答」に対する意見書 対する回答がありました。
内容は、このページの後半に掲載します。
これを受けて、5月10日に大洲市の担当者と話し合いを開催しました。
しかし、それと言った前進はありませんでした。
前進しないのは、なぜこの地区に予定地として選定されたのか、その理由が不明確だからです。口頭では色々説明されていますが、私にはよくわかりません。
その中で「他の場所は水面下で検討しました。」と言われていますが、他の場所がどうして駄目になって、どうして今の場所の奥になったのか。大洲市の立地条件に照らし合わせた時、この場所はこういった欠点、利点があり、この場所は...と水面下で動いたにしても記録が残っているはずではないでしょうか。
そして、最終的にここになった...が無いのです。
早く言えば、今あるから、地域の人たちが慣れているから、道路もできた事だしと単純に考えられたのではないでしょうか。
また、他の委員から、「予定地はくぼみのような所で、その上周りから見えないようにすると、ますます暗いイメージになってしまうのでは? それより見晴らしの良いところに建築できないのか。」と質問がでましたが、予定地は揺るがないようです。
話し合いは平行線のままなので、またを話し合いを持つことで終わりました。
次回の話し合い日程は未定。地区の人たちが理解できる理由が示されたなら、次の話し合いが持たれると思います。

ここで、葬斎場に関して元地区長の話を載せます。
話は昨年の春(月日は不明)、葬斎場の予定地近辺の区長が呼ばれ、市長と地元議員などを交えて航空写真で予定地の説明がされた後、地区区長が
「椎ノ森地区住民の意見としては、現火葬場を椎ノ森地区から移転してくれと言うのであって、これは椎ノ森地区からの移転ではない。」と発言したところ、地元議員から
「何を言うんぞ、そんな事言うのなら現火葬場を造成して、そこの場所に造るぞ。」
と言い返されたそうです。
表現が違っているかもしれません。しかし、理由も言わずただ脅かしのように言われたことに間違いはないことでしょう。
これが「社会」と言うものでしょうか。
地区近隣に議員などいないから、有無も言わせず造ろうということでしょうか。
人権について先頭で見本を示さなければならない人たちが、住民の人権・意見を無視して、どこが市民の代表者と言えるでしょうか...。

5月20日

以下に「回答」の写しを掲載します。



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