「普遍」について考える


 《問題事例:その1》
 

 哲学の概念は難解でしかも、あまり実際の役には立たないと思われています。 けれども、それらは我々が生きている世界の根本的な事柄を表現する用語なの で、決して現実世界と無縁なわけではありません。ここでは、「普遍」という概 念について具体的問題事例を見ることによって考えてみたいと思います。
 

《問題事例:その1》

 イギリス人の友人が東京証券取引所の会員権を取得したときの交渉の話をして くれた。「われわれの立場としては、原則として、財政その他の条件に合ったい かなる会社も市場に参入できるべきだと言うことだった。そう言うたびに、日本 側は『いったい、いくつ欲しいのか』と問い返すだけだった。『いくつかわから ない。資格のある希望者にはみな解放してもらいたい』。すると、『二つか、三 つか』と聞く。イギリスの交渉会社は資格のあるイギリスの会社は二社と考え、 二つと答える。日本側は要求を持ち帰って検討するが、その間、別の資格のある 会社が現れる。友人が言う。日本側は戻ってきて、二つなら大丈夫だと答えた。 ところが、われわれは三つを要求した。日本側は、前言を翻したこと、要求がは っきりしないことに激昂した。西洋人のやる欺瞞だと思ったことは間違いない。 自由参入の原則はついに陽の目を見なかった。 (ジェ−ムズ・ファロ−ズ著 「日本封じ込め」 117P)

 これは欧米人からの主張なので、実際の交渉がどのようなものであったかは正 確には断言できません。しかし、次のことははっきりしていると思います。すな わち、イギリス側は参入の基準を問題にしているのに対し、日本側が参入する具 体的会社の数を問題にしているということです。論理学の用語で言えばイギリス 人は参入する企業の集合の条件となる「内包」を問題にしているのに対し、日本 側はあくまでその集合の要素となる「外延」を問題としていることになります。 「内包」と「外延」とは梅園の哲学を解説した時にも私が用いた用語ですが、こ の場合を例にすれば、「内包」とは日本市場に参入するための財政等の条件がそ れに当たり、「外延」は具体的にその条件を満たすA社、B社等ということにな ります。

 ここでの直接のトラブルの原因はこの条件を満たす会社が当初はA社とB社の 2社であったのに対して、後からC社が登場してしまったところにあります。こ こでイギリス側の主張する日本の株式市場に参入する会社の集合(数)と日本の その集合(数)との間にズレができてしまったわけです。

 しかし、本来のこのトラブルの原因はイギリス人が普遍の尺度で物事を考える のに対して、日本人が個別的な事情でしかそれを考えないところにあります。こ の場合、「普遍」とは「内包」によって示される条件のことであり、その内容そ のものはその時々の事情で変わるものではありません。これは普遍を示す命題が 常に現代形で語られることを考えれば理解できるでしょう。例えば、「角Cを直 角する直角三角形ABCでは、ABの自乗=BCの自乗+ACの自乗が成り立 つ」は有名なピタコラスの定理ですが、この定理が過去形になることはありませ ん。しかし、「日本は世界第二の経済大国である」は過去形となり得ます。確か に、その時々の世の中の状況に合わせて日本市場に参入する企業の条件は変わり 得ますが、条件そのものは常に個々の会社を審査するに当たって「普遍的」に働 きます。その意味で、イギリス人の方が日本人よりもより広く、安定した基準で 物事を押し進めようそしているということが出来ます。

 このことは次の例を見ると、更によく理解できると想います。(つづく)

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「ことば」のこと