JARVIS 通信8月下旬



8月31日(火)
 8月も末になってやっと授業にありついた。午前中は東アジア史のWellson さんの授業のお手伝いである。日本ネタなので英語でも大体意味はわかる。しかし、英語で頭が busy 状態で三大将軍家光の名前も度忘れするほどだった。Wellmon さんは普段でも酔っ払っている感じの人なのだが、今日は2時間しか寝られなかったとのことで結構お疲れの様子であった。その割に昼食を共にしたときは互いにスペイン語で会話をした。なかなかの人物である。
 午後の正課の授業は1人の登録があったとのことだが、結局空振り。こちらのほうはかなり危なくなったが、夜の方は何とか3人ほど生徒が来て授業が出来た。初めての日本語の授業である。とはいえ、ほとんどお情けで来ていただいた親子連れである。旦那さんは時間の都合がつかないので来れないとのことであった。時間の変更はきくと思うので、いずれ旦那さんも来ていただけるだろう。他に知りあいにも声をかけていただけるとのことである。ありがたい。
 それはともかく、いまだに電話がつながらない。すでにつながっているはずなのだが、つながらないのだ。インターネットが出来ないのにはさすがに参った。夏の甲子園はどこが優勝したのでしょうか。知ってても、すぐ忘れるけど。
 

8月30日(月)
 今日も人がこない。これはどうも正課の日本語はあかんようだ。エドワードさんのお情けで水曜日の非正課の授業のほうに2人ほどの参加者が確定し、いちおう首は免れる。本来、非正課の授業は火曜なので、火曜日の授業に人がくればこちらは2クラス持てることとなる。
 ところで、東アジア史担当の Wellmon さんといろいろ話をしていたら、火曜日のその授業に顔を出すこととなった。今日書いたばかりのアニメのWHYネタまで明日の授業で使ってもらえるようだ。この Wellson さんは乗るといろいろしゃべる人であるが、学問の話だと大体の話は通じる。何となくいろいろ英語で書いていて正解のようだ。正直、自分の書いた英語が通じたのでほっとした。このネタについては英語の WHY & WHY のコーナーで紹介します。Wellson さんはオックスフォード大学で東アジア史を習ったそうだが、アジア人の先生はいなかったとのことである。
 

8月29日(日)
 どうもMDの調子がおかしい。大切な谷山浩子の曲がひとつ切れてしまった。大体、技術者といのは一定の前提のもとでしか物事を考えられない習性がある。とにかくリセットしたいのにbusy状態が延々と続く。たかがMDなのだから、終了のボタンで一発リセットしてもらいたいものである。昔、中華航空機の事故で機械と人間の意思とがぶつかった例があるが、技術者が最後まで機械による自動操作にこだわったための事故と聞く。いざとなったらリセットが出来なければ機械としては失格だ。常に機械が作動する前提が守られる保証もないし、だいたい自分で操作した感覚がないと壊れたときにより頭に来る。法律にしても機械にしても技術者たちがあれだけ細かい作業が出来るのは、自分たちの仕事の前提を疑うことがないからだろう。どうも一般ユーザーのための技術心理学が必要である。思うにマックやウィンドウズが標準化したもの、そこのところの配慮があったからだろう。しかし、このような技術者に原発を任せていることは実に怖いことである。機械がいかに完璧に動いても、人間のほうは完璧ではないからだ。いかに機械がご操作に対応していても、原発の筒の上からミサイルぶち込まれたらどうするんだという世界である。いろいろ考えていたらお金がいくらあっても足りないだろう。自分たちの生きている世界の前提に無関心になること、これが近代文明を発展させてきたし、その文明を危機に陥れている。
 

8月28日(土)
 今日は昨日から一転して快晴。しかし、どうも気分が晴れない。授業が出来ないと身体的にも落ち着かない。
 アメリカが好景気で、日本が不景気なのだ日本語の不人気にもつながっているのだろうか。授業数が減ればそれなりに時間が出来るが、アメリカ人が外国語を勉強しないということは世界情勢から見ても好ましくない。日本人もアメリカ人も外国語には弱いが、日本人のほうがその必要性を感じているだけましである。外国語というのは容易に修得できるものではないが、少なくともその習得の努力を通じて外の世界を知ることが出来る。アメリカが世界の警察を自認するのなら、それだけ外の世界を知ってもらわなくては困る。責任重大なのである。
 ところで、やることがないので、聖書の音読も進み、民数記の中ぐらいまで行く。インターネットが使えないので、読める英語がないのである。8月中には申命記には行くだろう。だが、旧約聖書は英語としては読みにくい。英語そのものはあまり難しくはないのだが、背景や脈絡がつかみ難いのである。今読んでいる部分はモーゼの五書と呼ばれるイスラエルの形成を物語る部分だが、民族の成り立ちがいかに個人の犠牲にしてきたかがよく分かる。旧約の世界では多くの個人は時代劇の切られ役の感がある。民族の宗教が個人の救いの宗教に至るには、預言者たちの嘆きとイエスの十字架を経なくてはならない。
 

8月27日(金)
 わぁ〜ん、このままだと Jarvis ならず、jobless だ。生徒が今日もこない。昨日の時点でも登録ゼロである。ジョンソンさんはそれなりに手を打っているからという。学校がつぶれればしょうがないが、今までインターンシップで講座がつぶれてインターンが成り立たなくなったことはあったのだろうか? 東アジア史の先生の Wellmon さんの話によると Jarivis では今まで日本語の生徒がゼロだったことはないそうだが、いずれにしても頼みは火曜日の公開講座だ。しょうがないので、一人で授業のシュミレーションをする。Wellmon さんが一緒に授業をしようというので、こちらも日本史等にそれなりの心得があるといったら、喜んでいた。
 それはともかく、今日は大変だった。午前中は雨に見まわれ、傘をまだ持たない私はひやひやだった。幸い雨はやんだが、午後エドワードさんに電話のことを尋ねたら、行きの航空券の半券が必要になったという。探すがないので、他の書類で代用する。その後銀行に講座を開きに行ったが、ネイティヴの会話には全くついて行けない。エドワードさんにお任せの状態になったが、何とか話はつく。ただ、100ドルも必要だというので、講座の開設は月曜日になる。いずれにしても、電話は月曜以降になってしまった。気になっていたので、電話のプラグでコンピューターに繋げるかどうかを確認する。OKのようである。エドワードさんには頭が上がらない。
 さすがに中途半端の状態が続いたので、精神的に参ってしまった。からだのあちこちに異常が出る。たいしたことは無いのだが、やはり気になる。土日は休もう。
 

8月26日(木)
 やはり今日も空振りである。タルプレイさんが生徒の募集を呼びかけてくれるとのようであるが、失業の危機である。いずれにしても、講座の数が減る可能性が出てきたので、東アジア史などの他の授業の協力も考えて、WHY & WHY のコーナーを製作する。これはなぜ日本人にクリスチャンが少ないのか、どうして仏教徒であるにもかかわらず、初詣に行ったり教会で結婚式を挙げるのかという外国人にありがちな問いに答えたものである。大体の原稿を今日一日で仕上げたのだが、さすがに英語なので疲れてしまった。授業の登録は来週いっぱいあるのだが、どれだけの学生が来るかは不明である。
 それにしてもコンピューターの方はまだである。新学期で皆さん忙しいので無理は言えない。聖書の音読で時間をつなぐ日が続きそうである。

8月25日(水)
 いやー空振りである。授業に学生がこないのである。PR不足のせいか、一年間が開いたせいか、登録ゼロのようである。さすがに落ち込んだが、めげずに宣伝文句を英語で書いてみる。ヘーゲルの裏に授業を張って人が集まらなかったというショーペンハウアーはともかく、細々と私講師をやっていたフォイエルバッハの気持ちがよく分かる。当時のドイツの大学では私講師という制度があって、集まった生徒から直接お金を徴収して学者が食いつなぐ制度があったのだ。いずれにしても、タルプレイさんにも今回は動いてもらわなくては・・。取りあえず、明日、ジョンソンさんと話をすることになった。カレッジもPRはしてくれるだろうが、当初の話では各授業10名程度とのことだったので、さすがにゼロだと精神的に良くない。ちなみに、他の講座も10名程度だから、カレッジの規模を考えると正規の講座として2講座は多すぎるのかもしれない。他に火曜日の夜に公開講座があるのだが、これには人が来るだろう。
 ここではやはりスペイン語をやる人が多い。ただ、スペイン語の先生を除いて、片言でもスペイン語がしゃべれるのは私ぐらいのようだ。アメリカ人は概して外国語には熱心ではない。英語が世界の共通語だから仕方がないが、このままでは英語を真剣に勉強しているアジア人に足をすくわれかねない。先月あったアジア太平洋大学の国際シンポジュウムを思い出して、そう思う。
 講座数が減るのは仕事が減るので特に私としてはかまわないのだが、ここまで来て授業を請け負っている以上、こっちもベストを尽さなくてはならない。宣伝文句にはアニメネタを振った上で福音書の文句まで引用したが、ここの学生に通じるだろうか。
 

8月24日(火)
 何だかんだ考えながら初回のクラスのシナリオを考える。やっぱりアニメネタで攻めるしかないかとか考えつつも、ジャパアニメの知名度がいまいち気になる。知ってても、ドラゴンボールくらいだろう。カラープリンターが使えれば、アニメキャラでひらがなやカタカナを教えることも出来る。ただ、黒人のノリは日本人にとってあまりにシンプルである。アメリカのアニメが条件反射でウケを狙うのに対し、ストーリで勝負する日本のアニメがどれだけ受け入れられているかやや心配。ま、バットマンぐらいになるとかなりドラマ仕立てだが・・。
 幸運なことに前任者が残した日本語教材が手に入る。ひらがな・カタカナの一覧表やそれらの練習帳、そして時間の表現を勉強するときのカードが入っていた。これらは使える。しかし、なぜかしけった海苔も入っていた。取りあえず、捨てる。
 ところで、例の日本語が少し分かる人の名前が分かった。ムニールさんと言うそうだ。彼の連絡先も教わる。今度、近くの日本人の連絡先も教えてくれるそうだ。更に、夕方になって新しい教員のレセプション(歓迎会)がある。ありがたくも Jarvis 特製の時計をもらう。相変わらず英語はよく分からないが、何とかしのぐ。
 なぜか分からぬが、今日は一日眠かった。朝、余分に30分寝、昼、机の上で数分寝、帰ってから2時間も寝る。初めての授業の準備は出来ているし、時間も今回は50分だから短期決戦となるので、別に寝ていても支障はないのだが、疲れがたまっているのだろうか。週末にはネットがつながってほしいものだ。

8月23日(月)
 いよいよ本格的にカレッジが始まる。おかげで今までいた部屋を追い出され、インターネットが出来なくなる。ともかく私のコンピューターをネットにつないでもらうよう再度お願いする。いちおう担当者には話は通じた。家に電話を引くときにインターネットが出来るようにもお願いする。インターネットが出来ないとはっきり言って落ち込む。その一方、最初の授業が水曜日迫っているので、そのための準備をする。どっち道、最初は日本紹介に終始するだろう。どれだけの学生が来るか心配だ。
 英語にも少し慣れたが、やはりツボをはずすと聞き取れなくなる。かなり精神状態に左右されるようだ。昔、堀ちえみがドン亀をやっていたドラマで、彼女がアルコールを飲んだら英語がしゃべれたという話があったことを思い出す。そう言えば、こちらに来てからアルコールは全く飲んでいない。酒はなくてもいいが、ネットが出来ないのは痛い。
 午後になってコンピューター担当のベーカーさんが来たのだが、結局つながらず。3,4日中に部屋に電話がつくのでそれで通信が出来るでしょうとのことだが、日本では電話回線とコンピューター回線とが違うのでいまいち不安。また、カレッジの部屋は追い出されたが、私のいる読書室のコンピューターをネットにつないでくれるとのことではある。いざとなったらHPの更新だけでもカレッジのコンピューターからしてみるか!?
 

8月22日(日)
 なぜか時間だけがあるので、旧約聖書(英語)の音読がかなり進む。他に読むものがないせいもあるが、すでに「出エジプト」に入った。聖書の物語には一定のパターンがあるのだが、その中で人間の失敗とその贖いの過程が描かれている。人ははじめ兄弟や他人を裏切り、報復に走るのだが、その後に相手を赦すことによってその過ちが贖われるというパターンである。「創世記」ではその過程が、個人、兄弟、部族へとその規模を大きくし、「出エジプト」で民族の範囲まで拡大する。これについては私が「The people without Law」で言及したところだ。イエスは恐らくこの赦しと贖いの頂点に立つのだろう。と書いては見たのだが、果たしてアメリカやヨーロッパのキリスト教徒たちがこのことをどれだけ理解しているかは疑問である。
 その他にも、懸案であった「なぜ、なぜ教えて」の原稿もかなり仕上がった。かなり経済学者、特に新古典派の経済学者を批判した内容になっている。いずれHPで公開しましょう。
 

8月21日(土)
 ここは今日も快晴である。木曜日に少し夕立が降ったが、9月にならねばあまり雨は降らないらしい。食堂は時間が短いながらも土日も開いているので、食い物には不自由しない。ここは黒人学生がほとんどなので、食事時はブラックのノリで大変なものがある。第一、食堂のテレビはごく少数のニュースを除いてソウルミュージックばかりを放送しているし、彼らの食い散らし方も結構なものがある。セルフサービスだから残すなよの世界である。
 ここに来て感じるのだが、日本人は文化的にはかなり適応能力が高くなっていると思う。ソウルミュージックにしても中学のときに相当聞いていたから別に違和感は感じない。本来はクラシックや谷山浩子が好きなのだが、だからといってソウルが嫌いなわけではない。逆にここの学生が、ドイツや日本に留学したらきっと強い文化的違和感を感じるだろう。インドやアラブ諸国に行けば日本人も結構、文化的違和感を感じるだろうが、恐らく日本に来る彼らほどではあるまい。
 恐らくここに私が日本語を教える意味もあるのだろう。だいたいアメリカ人の多くは相手が英語を話てくれるものと期待しているところがある。その分、broken な英語でも丁寧に聞いてくれるのだが、やはり外の世界にはどうしても疎くなる。日本語の授業を通じて日本語が話せるようにとは期待しないが、せめて外の世界があることを知らなくてはアメリカ人は大きな島の住人になってしまうだろう。確かに多民族社会ではあるのだが、その分自国の identity を必要とするだけに、このことは心しておく必要がある。かつては日本もアメリカ同様移民社会だった。といっても、弥生時代以前の話だが、やはり日本も独自の identity を確立する過程で島国になってしまった。日本もアメリカも突然、異民族に侵攻される心配がない点において大陸国家とは異なっている。
 
 

[ことばのこと]