JARVIS 通信9月上旬




 

9月10日(金)
 確認中であった正課のもうひとつの授業の方であるが、登録した1人は授業に1回も出ることなくリタイヤとなった。ますます、キシャちゃん頼みとなる。来ないのではないかと不安であったが、今日の2回目の授業も順調に行った。
 ところで、ここへ来て1ヶ月以上経つが、やはり日常英語は難しい。現実の英語は一定の背景のもとでかなりことばの省略がなされるからだ。しかもテキサス訛り、黒人特有の訛りがあるから大変だ。最初からこの手の英語は得意ではないとわかっていたので、あまりショックはないが、やはり出来ればもう少し英語が通じればと思う。学問関係は結構行けるのだが、やはり native の壁は厚い。
 ここに来て気づいたことだが、外国に出るとその国の言葉が出来るようになる原因の多くは、日本語を聞かないことではないかと思う。はっきり言って、ここには日本語の分かる人はほとんどいないから、英語の勉強には良い環境ではある。不思議なことに、ドイツ語やスペイン語も調子が良い。よく外国にまで勉強に来ているのにその国の言葉が上達しないという話があるが、まわりが日本人ばかりなら、それも当然である。やはりその国に馴染む気持ちがないと外国語は出来ないようだ。
 

9月9日(木)
 Wellmon さんの授業で「将軍」のドラマを見る。島田陽子がまだ若い時のやつである。ついでに、うちから送ってもらったVTRをみる。Wellmon さんが「lain」のアニメをちらっと見つつ、日本のアニメは良いと言っていた。きっと岩倉玲音のキャラがかわいいからだろう。しかし、これは日本アニメ史上最も難解ななアニメであり、しかもこのアニメを見たアメリカ人はそういないはずである。
 ところで、キシャちゃんとは別の正課のもうひとつの授業にお客の登録が1人あったとのことで、行ってみたのだが、結局また空振りであった。只今、確認中である。
 

9月8日(水)
 正課の偉く跳んだねーちゃんはキシャちゃんと言うのだが、ほとんど小学生を相手に授業をしているようなものである。素直ではあるが、授業も終わりくらいになるとよだきそうであった。しかし、水曜日の正課外の授業がつぶれたのでキシャちゃん頼りになってしまった。授業は、ま、それなりなのだが、部屋のことで少し問題があった。今夜は電気が使えないのでタルプレイさんのところで泊まってくれとのことである。結局、夕方に電気がつながったのでタルプレイさんのお世話にならずに済んだが、そばにいたねーちゃんに「ついてねー」という日本語を教える羽目になる。帰り際に宗教学担当の Mangram さんとお話をする。日本の仏教や神道について教える機会があるので協力することにする。
 それはともかく、部屋に戻ったら電話がつながっていた。ついにインターネット開通である。うれしくて3時間以上もインターネットをしてしまった。早速、家にメールを送り、HPの更新を行う。ただ、AOLのサーバを通じてはOECからのメール送信は出来ないようである。受信は可能なのだが、いまいち残念である。
 

9月7日(火)
 今日久しぶりにエドワードさんが来ていたので、電話の相談をする。電話の型式の話?を聞かれた上に、話が二転三転し、しかも授業変更の話まで絡んだものだから、脳みそがフリーズする。結局、明日調べるとのことで決着するが、また英語に自信をなくす。
 それはともかく、絶望と思われていた正課の授業の生徒が見つかる。たった一人だが偉く跳んだねーちゃんである。シバラス(授業の予定)を見ながらよだきそう(面倒そう)であったが、あんたに合わせるからと言って(もちろん英語で)適当にのせる。授業は明日からであるが、どこまでついてくるかはいまいち不安。
 今日の夜の授業は月曜に変更。何やら時間が短くなたので、シバラスを少し変更しなくてはならないだろう。それからエドワードさんご紹介の分は明日からである。ようやく授業の形は決まったので、あとはインターネットだけである。もうこちらに来てから、そろそろ1ヵ月である。
 

9月6日(月)
 月曜の午前中に授業が入ったというので、8時半に学校へ行くが、人気がない。家に帰って調べてみると Labors day で祭日だった。幸いに食堂は開いている。遠くアフリカから来ている留学生もいるからだ。
 それはともかく、おかげで旧約の「ルツ記」まで音読が進む。その前の「士師記」を読んでいるとき気づいたのだが、この「ルツ記」の主人公ルツはイスラエルに敵対していたモアブ人なのである。このモアブの女性がメインになって、更にはイスラエルの英雄ダビデのご先祖様になるところが旧約の世界の妙である。「ヨシュア記」では民族浄化の対象となっていたモアブ人たちも、「士師記」では共存(「共生」ではない)の対象となり、「ルツ記」では、例外的ながらも、「同化」の対象となる。ここに古代のコミュニケーションの広がりを確実に見ることが出来る。民族レベルの贖いはイエス以降になるが、その光はすでにここにある。
 旧約の神はイスラエルの民と共に変化する。彼らはその変化を自らの神への不服従のせいにするが、その不服従ですら歴史の一過程である。『在りて在るもの』の彼らへの命令は、事実としての歴史そのものが彼らに課したものである。
 

9月5日(日)
 今日は特に何もなかった。土日は実家に帰っている学生が多いので、食堂も空いている。しかし、それだけレパートリーも少ない。なぜかおでんが食べたくなった。昼間は暑いが、ここに来た時ほどではない。日本人は外国で生活すると味噌汁がほしくなるらしいが、私はそうでもない。ラーメンがないのは痛いところだが、ここではインスタントラーメンが馬鹿安なので、それも問題ない。食堂の食事はバイキング方式なので量に問題はないが、高級感は全くない。しかし、内容的には結構充実している。ここは食料が安い。「きんぎょ注意報(セーラームーンの以前にやってたアニメ、これを知っているあなたは通です)」の田中山のようなただ飯の日々がつづく。
 

9月4日(土)
 ついに旧約聖書も「ヨシュア記」を読み終わる。1/4以上読んだというところか。この「ヨシュア記」はかなり問題のある部分で、ユダヤ人が目的のカナンの地を得るために、原住民を虐殺したことが記されている個所である。彼らにとっては神の名のもとで正当化される所だが、日本人には納得できないだろう。当時の状況からして、ユダヤ人の行為は歴史的必然であるが、何らかの形で贖いが求められるところである。聖書では人の過ちが幾度も記されものの、後に互いに赦し合うことでそれが贖われている。だが、私見であるが、「ヨシュア記」の虐殺の贖いは少なくとも旧約の世界ではなされていないように思う。現実にそれを行ったのは、ムスリムであったのではないか。よく「コーランか剣か」と呼ばれるマホメッドの戦いだが、実はこれは征服と征服された人々への赦しの過程であった。それ故にイスラムは民族を超えた世界宗教になったのである。
 「出エジプト」から「士師記」までの旧約の歴史はユダヤ民族確立の歴史である。それ故に排他的な民族主義の色彩が強く出ている。不幸にも、彼らの聖典が旧約聖書として世界に広がったために、この民族主義が他民族の反感を買うことになってしまった。民族の成立は歴史の一過程だが、ユダヤ人に限らず人類はまだ贖いを以ってこの段階を踏み越えることが出来ていないように思える。
 

9月3日(金)
 いちおう頼んでおいて正解だった。私の英語力では大学のサーバーアドレスがどうなったかを正確に聞き取れなかったが、担当のフルトンさんに学生用のコンピュータールームを教えてもらい、インターネットで再び資料収集が出来るようになった。電子メールもローマ字ながら送ることが出来た。「らんま」のネタを若干収集する。
 幸運にも、その時ムニールさんに会って、タイラーにいる日本人を紹介してもらえることとなった。なぜか皆さん九州人のようである。九州人は結構外に出たがるのだろうか?それはともかく、ここにいる日本人は皆テキサス弁に翻弄されているようである。タイラーにいる日本の人たちは医学部出身だから英語も出来るのだが、たいていの人が自信を失うそうだ。私などは初めてのアメリカだから、ネイティヴの英語は分からないものとはじめからあきらめていたが、確かに聞き易い英語をしゃべる人とそうでない人の差が激しい。正直、ジョンソンさんの英語はものすごく聞きにくい。'Just a miute!' が 'jasmine' に聞こえるほどである。
 そのせいか、なぜかスペイン語を使うことが多い。今日も美人にスペイン語で話し掛けられた。スペイン語圏から来ている学生も結構いるようだ。Wellmon さんと食堂でスペイン語で話しているので、結構まわりに知られててしまった。スペイン語は知っている語彙数は英語より少ないが、はるかにテキサス英語よりは聞き取りやすい。
 大体平凡な会話ほど聞きにくいものはない。外国語は形式から覚えるので、形式から外れやすい会話は結構難しいのだ。思うに、少しでも外国語を学んだこと名のある人の英語はそうでない人の英語よりも聞きやすいようである。

9月2日(木)
 どうも正課のほうは絶望的であるが、月曜日の午前中に授業の注文が入る。人数は不明。時間も不明なので、日本語の授業というよりも日本の紹介授業になるかもしれない。火曜日に来ていただいたご一家のの紹介かもしれない。
 ところで、どうもエドワードさんのところでご不幸があったようだ。昨日の授業の出席者がエドワードさんの娘さんとその彼氏だったので、やはりという感じである。また、なぜかタルプレイさんも松葉杖をついていた。先週ずーとご病気だったようである。
 また、家のほうから手紙が2通届いていた。連絡をとりたかったのだが、学校の電話ではコーリングカードが使えないことが判明した。ジョンソンさんに頼んで、電子メールを使えるようにとお願いする。明日、担当のベーカーさんに話をするそうだが、なかなか難しいだろう。本来ならば、すでに家の電話がつながっているはずなのだが、つながらない。すでに2回ほど外から電話をしてもらっているのだが、電話機は沈黙したままである。
 それはともかく、ここ数日 Wellmon さんにつかまっている。今日も彼の授業に付き合った。彼の日本紹介の授業を見ていると、日本に個人主義が見られないというのがアメリカ人共通の感想のようである。何でみんな真剣に塾に行くのか、どうして日本人はそんなに忙しいのかは日本人にとっても謎であろう。いちおう、WHY & WHY のコーナーでも取り上げるが、社会そのものが脅迫神経症に冒されていると考えるのが妥当である。このことについては、すでに「The People without Law」の中である程度解明済みのところでもある。
 それにしても Wellmon さんはタフな人である。昼食で馬鹿食いするのに、なぜやせているのかと思いきや、暇なときはジョギングをしまくっていたのである。やはり、ただものではない。
 

9月1日(水)
 今日もお客がこない。正課の授業は絶望的である。更に、エドワードさんのお情けで来ていただくはずの非正課の方もお客がこない。かなりやばい。しかし、もっとやばいことがあった。超小型ながら、サソリ(らしきもの)が部屋にいたのである。殺虫剤を買っておいて良かった。これはかなり強力で私の気分も悪くなったが、サソリも一発でのびてしまった。やはりテキサスである。ここは田舎なので、犯罪の心配はあまりないが、よく考えたら西部劇の世界なのである(いちおう南部だが)。ドアの下にはほんの小さいながらも隙間がある。恐らくここから入ったのであろう。9月になるとここでも時折雨が降るので、入ってくるのが小型のコオロギとは限らなくなる。昨日は小型のムカデを発見した。
 と、かたがた騒いでみても、お客がこないのもやはり痛い。今日はエドワードさんも来ていないので、電話の話が進まない。インターネットが出来ないのはやはりストレスがたまる。
 
 

[ことばのこと]