JARVIS 通信9月下旬



9月30日(木)
 今日は久しぶりに早寝早起きが出来たので、朝から調子が良かった。英語はいまいちながらも Mangram さんの授業、次のWellmon さんの授業に気分よく参加できた。それはともかく、Wellmon さんの授業で気づいたのだが、日本人はどれだけ自分たちの神話について知っているだろうか? 欧米では天地開闢の神話は聖書の創世記と相場が決まっているのだが、日本では「古事記」の神話ということになるだろう。しかし、この神話に出てくるイザナギ、イザナミ、大国主、天照大神あたりの名前は知っているにしても、外国人に我々は日本の神話を説明できるだろうか? 聖書の場合は、神学・哲学の問題もあって、あらゆる方面から解釈が施されている。しかし、日本の場合、理論に弱いところもあって、神話を昔話のレベルに放置したきらいもある。日本人としては「古事記」の神話だけを日本神話と出来ない、すなわち東日本の人々にとっては征服者の神話だという問題もあるのだが、いずれにしても日本人は物語を今まで軽視してきたところがある。これは日本文化を考える意味で重要なポイントになるだろう。
 それはともかく、朝 Wellmon さんに「日本の原発事故があったなー(もちろん英語)」と言われてびっくりした。よく寝ていたので、知らなかったのである。どうも日本の官僚システムのほころびが表に出たような事故だが、私に言わせると、これはいずれは起きるべき事故であった。私にとって恐ろしいのはこの事故よりも、政府の役人や官僚たちが半減期がエラク長い放射性物質を将来数百年にも渡って管理できると仮定したところである。こいつらは歴史を知らなすぎる。徳川時代の太平でさえ300年続いていないのに、こんな危ない物質とつき合える安定した社会状況など長く続くはずはないのだ。官僚システムにしてもしかりである。<歴史ー物語>にうとい日本人の一面が見て取れる。
 

9月29日(水)
 いや、キシャちゃんには苦労する。今日も用事があって授業に出られないと言ってきた。それはそれでいいのだが、その分補習の回数が増えてしまう。これから授業についてきてくれるか不安である。一方、食堂で夕食を取っていたら日本語を習いたいのだがとおっしゃる奇特な学生さんが話し掛けてきた。3・4人組みで一緒でとのようである、個人的にはOK!!なのだが、場所の問題等もあるので、いちおう事務の方と相談してくださいとお答えする。いまいち本気に出来ないのだが、もしそうなら嬉しいかぎりである。東アジア史の授業が効いたのかもしれない。
 どうも最近、睡眠のリズムがおかしい上に、勉強やインターネットのし過ぎでお疲れ気味である。日本にいたときは針灸でしのいでいたのだが、ここには当然それはない。機会があったら東洋医学も紹介したいところだ。はっきり言って、英語に窮しなければ話すネタには困らないのである。別に日本語だけを教えることもない。
 

9月28日(火)
 今日はいまいち英語の乗りが悪かった。故に、Mangram さんの話もいまいち聞き取れなかった。ただ、日本の宗教事情について書いて英文を見せると関心を持ってくれた。英文のチェックもしていただけるとのことである。それはともかく、続く Wellmon さんの授業で日本の教育問題について話すことになる。英語はいまいちであったが、オウム事件やいじめの問題などを何とか説明することが出来た。Wellmon さんは日本ではマジョリティが神であると私の話を要約していたが、まさにそこが問題なのである。日本では自らの規範を変える支えを個人が持たない。アメリカならキリスト教がこの役割をするのだろうが、日本では個人が多数に向かって自己の意見を通す拠り所がないのだ。多くの若者たちは、現在のシステムに疑問を持ちつつも自己主張が悪であるかのように思いこんでいるので、安易な解決方法を提示してくれるオウムのようなカルト集団に惹かれるのである。学生の方から「WHY!?」と日本人はなぜ自分たちの状況に問い返しをしないのかという質問が出たが、そのような質問がはばかられるほどこの国の人々は他者からの孤立を恐れているのだ。人間関係についても話が及んだが、沈黙と言う圧力を持つマジョリティの前では、なかなか仲間はずれにされた友達に話し掛けることは出来ない。[A/B・C・D・E・F] と黒板に書いて、Aが仲間はずれにされたとき、たとえBがAと話をしたくても、理念による信念や信仰の支えを待たない限りは [/] の壁をBが乗り越えることは難しいと説明したのだが、うまく理解してもらえたようだ。さすがに Wellmon さんはこのネタが Lain につながっていることを正確に見ぬいていた。いずれにしても、もう少し英語が流暢だったらと思う。とにかく、話す内容が結構難しいからである。
 

9月27日(月)
 助かった! キシャちゃん復活である。今日のキシャちゃんは元気よく、先週の授業のこともよく覚えていてくれた。ただ、休みが重なったんで補習の必要が出てきた。エドワードさんが後からキシャちゃんに連絡を取ってくれた。いずれにしても、今回の危機は逃れた。一方、午前中の Statser一家の授業の方はいまいちであった。先週教えたことが頭に入っていない。恐ろしく進むのに時間がかかりそうだ。ま、別に今のところ日本語が必要なわけでなし、日本に関心を持ってもらえればいいので、それはそれでいいのだが、子供たちを飽きさせずに授業を進めるのは難しい。取りあえず、「うる星やつら」の英語版を貸してみる。現実のところ、未だに多くのアメリカ人は中国・韓国・日本の区別がつかないようである。地図で東アジアの国々を指差して教えてみる。どうも沖縄やフィリピンなど米軍基地があるところには馴染みがあるようである。
 ここでの授業はアジアでの授業と違って、日本語学習の動機づけが難しい。台湾などでは文法はうちでやるから、授業では実践を主にしてくれという要望も出るらしいが、ここではまずそれはありえない。まず、ひらがなをなかなか覚えてくれない。別に一度に覚える必要はないのだが、これを覚えないと日本語の基礎的な発音が身につかない。無理が言えないので、黒板に書いたものを書き写してもらったり、逆に黒板に習いたてのフレーズを書いてもらったりして、実践を通して覚えてもらうにしている。
 

9月26日(日)
 梅園MLで知った LietaerさんのインタビューHPをようやく読む時間ができた。彼を紹介された時点からもともと心理学から経済学の貨幣理論に転向した人と聞いていたので、何となく怪しいと思っていたのだが、やっぱりそうであった。実に、私と同じ発想で社会を考察しているのである。私のつたない英語力でも彼の論理の手筋が手に取るように分かる。どうも Lietaerさんはユングの勉強をされていたようだが、ユングの元型論を持ち出すあたり、ただ者ではないと思う。私も「The people without Law (3)」でユングの《内向型ー外向型》の概念区分を用いているし、さらに「文化と文明とについて(3)」で《母性原理ー父性原理》の概念区分を用いている。ユング自身、図式的思考を心理学に導入し、偶然にもマンダラ図式に行きついたということを聞いたことがある。Lietaerさんが道教の陰陽図や梅園の玄語図に関心を持つのもうなずける。
 Lietaerさんは今、地域通貨を現実のものにするために研究を進めているようだが、当然この研究は経済学の領域で収まるものではない。社会学の問題に発展するのは明らかだ。その際、私が考えている分散型コミュニケーションのシステムモデルと集約型コミュニケーションのモデルとの問題に行きつくのは必然であろう。だが、その前に経済学者には考えてもらわねばならない課題がある。それは《効用ー労働》の概念である。経済学は実証科学であるために計測困難な「効用」の問題を等閑に付してきた。だが、この問題は「労働」の問題と共に経済学を他の学問とリンクさせるためのキー概念である。人々が何を効用と見なし、そのためどのような形で労働をするかは社会のあり方を規定する文化の問題でもある。「効用」についてはス数量化は不可能であっても、大体の傾向性をつかむ事は出来る。現に近代経済学は限界効用の概念を前提としているのだから。
 彼の理論とその現実化は貨幣の理論を図とし、社会・歴史理論を地とすることによって展開するだろう。だが、いずれにしても皮肉なのは新しい経済学の理論が経済学の専門家から出てこないということだ。
 

9月25日(土)
 旧約もようやく「ヨブ記」を越え「詩篇」にはいる。「ヨブ記」より前は神と民族との関係が歴史の形で綴られてきたが、ここからは神と個人とのかかわりが中心となる。歴史の中で個人は常に民族と国との動きに翻弄される。いかに神に対して正しくとも、その国の王に信仰がなければその人も歴史の犠牲者となってしまう。いわば切られ役に過ぎないのだ。だが、「ヨブ記」以降ではこの個人に「贖い」の光が当てられる。驚くべきことに、ヨブはあれだけの苦しみの中でも決して神との関係を絶とうとはしない。むしろその関係を深めようとする。また、友人は神を呪うヨブに向かって、社会的正義の立場から彼を非難するが、この浅はかな非難でさえ、神と人、そして人々のかかわりをより深くして行く。ここでは神を呪い神に絶望しても、他の神を頼むという選択義はついに現れない。まさに「在りて在るもの」として神が神たる所以である。

9月24日(金)
 やばい! キシャちゃんが来ない!! ショックである。これで正課の方はまた相当に危うくなった。ま、やる気があれば当初から授業に出ているわなという感じである。いずれにしても只今、確認中である。こうなったら、あらゆる授業に相乗りし可能な限り日本を宣伝するしかない。歴史や宗教の授業などではこれも可能であろう。インターンの名目は observation(視察)となっているので、必ずしも授業をする必要はないとも思うのだが、授業に出ない限りにはお話にならない。ちなみに、授業に出ると英語が上達する(当然ではあるが)。
 というわけであるが、日本の台風はどうだったのだろうか? こっちは相変わらず快晴が続いている。
 

9月23日(木)
 午前中は初冬、午後は初夏の天気である。とにかく、午前中はずーと寒かった。Mangram さんの授業があるので、朝8時にカレッジに出たのだが、昼まで寒い状態が続いた。
 ところで、Mangram さんの今日の授業だが、偉く乗っていた。インド教における救いがテーマなので、輪廻とか解脱とか梵我一如などがテーマなのだが、前回と違ってメモもなく力強い調子で話が進んで行った。キリスト教との比較などの点でも面白いところである。その後の、東アジア史の授業だが、今回は出番があまりなかった。とにかくこの時間が一番寒かった。長袖を着て来れば良かったと思った次第である。
 その後、エドワードさんに確認の上、電話代を支払う手続きをする。生まれて初めて小切手の使うこととなる。公務員時代の伝票の簡単したものとの感があるが、この手の仕事はやはりよだきい(面倒な)ものである。

9月22日(水)
 困った、キシャちゃんが来ない。ショックである。前の授業では偉い暑さによだきそう(面倒そう)であったが、正課の方はキシャちゃん頼りなので、ここで日本語を放棄されると困るのである。東アジア史の授業や世界の宗教の時間など、チームティーチングの形で協力できる授業はあるのだが、本命は日本語なのでこれを失うわけに行かない。とにもかくにも、キシャちゃんの復活を願うところである。
 ところで、家から送ってもらったドイツ語の本を紐解いてみる。分からん!! この前、インターネットのドイツ語を読んだときはやさしいと感じたのだが、やはり文学や古いタイプのドイツ語はむずかしい。第一、単語を忘れている。ドイツ語は単語のカバー率(1000語の単語で何パーセントの単語が理解できるかの率)が低いので、多くの単語を覚えなくては行けないし、覚えた単語も結構いろんな形に化けるので難しいのである。取りあえず、単語帳を作っているが、これで何とか読めるかという感じである。ドイツ語でのメールのやり取りにはしばらく時間がかかりそうである。

9月21日(火)
 今日は珍しく8時前にカレッジに行って、Mangram さんの「世界の宗教」のクラスに出る。朝早かったので、途中眠たくなったが、何とか話の大枠はつかむことが出来た。今日のテーマはインド教であったが多神教の性格について具体的な祭礼と共に語られる。
 次は、いよいよ「東アジア史」の授業である。生徒が一人しかいなかったのでがっくりするが、それでも何とか最後の30分間 Wellmon さんの解説つきで日本の社会問題について話をする。その後、Nicole ちゃん(彼女は何故か別個に個人教授を受けているのだが)に詳しく日本の問題について語る。朝から英語と向き合っていると、結構話が通じるものである。
 最近、睡眠時間のリズムが狂っているので、午後は爆睡する。大分から長袖の服が届いていた。今日は偉く涼しい(寒い)天候だったが、これで安心だ。
 それはともかく、旧約の方も「ヨブ記」に突入する。これで半分以上読んだことになるが、まだ先は長い。昨日実家から届いた荷物の中にマックスウェーバーの「古代ユダヤ教」が入っていたので少し読んでみる。梅園MLもあるので結構忙しい。そー言えば、インターンシップの方にも報告を書かないといけませんね。
 
 

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