JARVIS 通信10月上旬



10月10日(日)
 旧約も「エレミア記」に至ると、神とイスラエルの民との関係が一種の離れがたい因縁のように思えてくる。神にとってイスラエルの民は決して望ましいものではないのだが、一度、自らの民として選んだ以上、神もこの民を安易に見捨てることができない。旧約の神は全知全能なのではあるが、ただ一つイスラエルとの関係においてはその全知全能を生かすことができない。「神が・・・の心をかたくなにされた」という表現に見られるように、その気になればイスラエルの民の心を操作できたにもかかわらず、神はそれが出来ずに自らの民にただ怒りをつのらしている。この神自身の苦悩を見ていると、私はどうしても lain を思い起こしてしまう。彼女も世界を自由にやり直すことが出来たのだが、決してそうはしなかった。それは彼女が他者を求め、自分によって操作されない真の他者とのコミュニケーションを求めたからである。旧約の世界では、神にとってイスラエルの民が lain にとってのありすである。神でさえ他者を必要としているのだろうか? 少なくとも我々の立場で言えるのは、そのような神であるからこそ信仰の対象となりうるということだ。人の痛みに無関心な神を人は信じることは出来ないのだから。
 

10月9日(土)
 最近お金のことについていろいろ考えている。といっても、別にお金に困っているわけではない。社会における貨幣の役割について考えているのだ。地域通貨の話がきっかけで、通貨の歴史について梅園MLで諸先生方からお話を伺った。通貨の計量や保存、運搬機能などについては政経の教科書にも載っているが、考えれば考えるほど奥が深い。歴史的に注目すべきは、貨幣がコミュニケーションの領域の広がりに従って普及し、価値の尺度として機能したことである。何らかの共通の尺度のないところでは、確かにコミュニケーションは成り立たない。現代の貨幣は一人歩きが激しくて、<労働ー効用>から離れて社会を泳いでいる。これを元に戻そうとするのが地域通貨のねらいだが、現代のコミュニケーションの領域がえらく広がっている以上、価値の共通の尺度は依然として必要である。
 実は、私は現在お金をほとんど使わないただ飯の生活を続けている(正確には飯代、部屋代等は先払いをしているが、1年近くの生活費としてはかなり安い額である)。定期的に払わなくてはならないのは電話代とAOLの料金くらいだろうか。今日はたまたま食堂が午後休みだったので、買い置きの食料を食べたが、たまに買い物に連れていってもらう以外は金を使わない。これも私がここから動かないせいだろう。
 

10月8日(金)
 どうも昨日の電話会社からの電話は料金に関するものではないらしい。取りあえず、安心する。なぜかこの日はは疲れが出て夕方に床につく。ドイツ語の勉強も明日に持ち越しとなる。疲れた時に寝れるのは良いことである。
 

10月7日(木)
 今日何とか旧約の「イザヤ書」を読みあげる。ここでは苦難の歴史の後来るべき「贖い」の理想が語られている。それは共存の理想と言うことが出来るかもしれない。私は今、旧約と平行してマックス・ウェーバーの「古代ユダヤ教(岩波文庫)」を読んでいるのだが、これによるとイスラエルの神はもともと戦いの神であり、荒々しい大王の性格を持つものであって、契約の遵守を要求しても、自然の摂理や人間の倫理的要求には無関心であるとのことである。ユダヤーキリストーイスラム教の伝統において社会的規範に対する要求が強いにもかかわらず、インドや中国の宗教に見られる自然哲学の側面が弱いのはこのためであろう。「イザヤ書」にいたってようやく普遍的秩序の理想の上で社会を論じる所に至った感じがする。このような信仰においては世界の秩序の安定性よりも、その秩序の無規定性、すなわち秩序そのものに理由付けが出来ないことに関心が払われる。まさに世界は神の意のままなのである。
 それはともかく、今日、夕方になって電話会社から電話がかかった。英語が通じないので向こうから切られてしまったのだが、電話代の払込のことかもしれない。いちおう確認の上、電話代を払ったのだが、行き違いがあったのかもしれない。明日、エドワードさんに確認してもらおうとも思うが、電話が切られるかも知れないので、あらかじめ通告しときます。
 

10月6日(水)
 珍しく昨日 Tyler まで遠出をしたので多少疲れが出ているようである。時間があると勉強をしすぎるという公務員時代の癖もあるので、なかなかゆっくり休む気にならない。ここにいると実際、自分がどれだけ英語ができるようになったのか分からないところがある。確かに前よりは聞き取りができるようにはなっているが、自由自在には程遠い。話す内容や体調によって状況が変わるのだ。正直、日本は遠からずお金の増刷による「踏み倒しインフレ」が始まるだろうから、いつでも日本を出て行けるようにはとは思っている。アメリカ経済も実は危ないのだが、インターネットの流れに乗って経済的「効用」を創出している間はもつだろう。アメリカがだめでも、英語が使えると便利なのは確かである。
 

10月5日(火)
 朝のMangram さんの授業では原始仏教の話に入っているのだが、案外、私はここに弱い。「四諦説」とかの基本的な知識が非常にあやふやなのである。いずれ調べなおさねばなるまい。また、はじめて仏教に触れるクリスチャンにとってこの教えは当然のごとく消極的、否定的に思われるところがある。授業でも質問が出たが、何とか聖書の文句を引用しつつ説明に努める。その後の Wellmon さんnの授業ではゴジラの英語版(一番最初のもの)のはじめの部分を見せる。英語なので反応は良い。ただ、見せる時間が短かった。
 それはともかく、夕方になって Kirk ご夫妻の紹介で前任者の古井伊知郎さんに会い、Tyler で一緒に食事をする。古井さんとは Kirik さんの前なので互いに日本語が使えずあまり話せなかった。アメリカで日本人どうし英語で話すのも不思議なものである。ちなみに電子メールのアドレスだけは聞いておいた。古井さんは Wellmon さんのところに泊まると言う事なので彼のうちに行ったら、中国の人がいた。ここまで来るとまさにアメリカである。共通語としての英語の偉大さに感嘆する一方、 Wellmon さんとスペイン語で話をする。Mrs.Kirk さんはスペイン語の先生だから車の中でもスペイン語で話す。やっぱりテキサスなのか?
 

10月4日(月)
 いやー、今日はキシャちゃんの乗りがとてもよかった。ようやく数字に入ったのだが、こちらが教えないうちに11以上の数を理解してしまった。「キシャ」のカタカナ表記の他に、漢字でどう書くのかと聞かれたので、取りあえず漢字はないが「貴者(noble person)」を当てることが出来るといったら、えらく喜んで「貴者」の漢字まで覚えてしまった。たいしたものである。ちなみに、数字を教えたときに、「ヘイハチ」という名前を知っていたので、「また、ゲームかいな」と聞いたら「ヨシミツ」という名前も出てくるゲームがあるそうである。
 ところで、今日は授業が2つあるので英和対照の新約聖書を持っていた。自分の好きな個所を英語で読んでもらって、そのあと私が日本語で読む形を取ったのだが、スタッサーさんご一家の3人をはじめ、キシャちゃんも即座に自分の知っている章句を開いてくれたのには驚いた。アメリカ人がみんな熱心に教会に通っているわけではないのだが、この国にキリスト教が根づいているのをもろに感じる。日本にあっては、「みんなが教会やお寺に通っているわけではない」のレベルではなく「ほとんど教会やお寺に通っていない」のレベルなのである。ここでも旧約の場合、「創世記」どまりの人が多いようだが、聖書の話を聞く機会は多いから、それなりに聖書の話は共通の話題になる。さしあたり、日本の場合は「信長ー秀吉ー家康」の話、もしくは幕末の話がポピュラーだが、これは歴史の話で、神話とは言いにくい。宗教がコミュニケーションの基盤を日本では果たしていないのである。
 

10月3日(日)
 何となく最近、鬱々の状態が続いている。原発事故のせいもあるが、ドイツ語のテキストに選んだカフカの「変身」の影響もあるかもしれない。さすがにこの作品を読みつづけていると精神衛生上よくないので、現在のドイツ語のテキストはフロイトの「処女のタブー」である。だが、これも内容が過激の上に、19世紀のドイツ語の悪弊が出ている。翻訳しても分からない悪文ーこれはたぶん古典ラテン語の影響だろうがーの上に、訳文が原文の順序に沿っていない、つまり関係代名詞節を前に持ってきて訳しているので、知らない単語の特定に相当に戸惑う。とにかく気晴らしをしたいのだが、外に出るところもなし、しんどいところではある。一時、止まっていたかに見えたゲゼルや梅園のMLも息を吹き返したが、たくさんのメールは私にとっては結構負担である。何しろ私にとって文章は常に(これも含めて)ある程度、練り上げてから書くからだ。いずれにしても今月半ばを過ぎれば一段落だろう。
 

10月2日(土)
 しばらく電話線が開通した反動でインターネットをしまくっていたのだが、多少疲れが出てきた。そのほかにも旧約の音読、ドイツ語の勉強などカレッジの仕事以外にもいろいろ勉強を抱え込んでいるからだ。それにしても9月の梅園MLの盛り上がりはすごかった。ゲゼル研究会の森野さんを中心にメールが飛び交ったのだが、この状況については三浦梅園研究所のHP[価原−その先駆的経済思想をを探求する−] の後半を見ていただきたい。
 ところで、別にこのMLに限らないのだが、日本では宗教ネタで話が通じることが極めて少ない。こちらだとクリスチャン系のカレッジのこともあり、はるかに話が通じやすい。実は、このMLでも宗教ネタをもっと使いたかったのだが、あまり使えなかった。私よりも上の世代は政治の時代に属していたから宗教に無縁だし、下の世代はアニメファンの謎解きに見られるように聖書のネタでさえ物知りの餌食にしてしまう始末である。私がエヴァについて常々感じる日本人の<歴史ー物語>に対する弱さはここから来ているのであり、恐らく今回の原発事故を<歴史ー物語>の観点から見れる人などはそう多くはないのではないだろうか? この事故についていろいろ情報を聞いていると、また個人の不始末のレベルで済まされて、人間そのものの限界が問われない危険がある。その点、Mac快適講座の yos さんは鋭い。私は8月29日の<Jarvis 通信>で原発ネタに触れたのだが、そのきっかけがこのHPの Diary にあることを見破られたかもしれない。
 

10月1日(金)
 いやまあ、日本が大変である。原発事故の詳しい情報が入ってくるにつれて、日本に帰るのが怖くなった。ここでしっかり勉強して外国に逃げても大丈夫くらいにしておかねばならぬとさえ思う。とにかく、無関心のままズルズル国を危うくする国民の巻き添えは食いたくないのである。というわけで、今日は朝から気分がいまいちであった。けれども、不安だったキシャちゃんが元気に授業に来てくれて、いやがらずに補習を受けてくれるということなのでホッとした。日本語を教える機会はいまいちであるが、得意?の哲学であちこちの授業などに顔を出せるのは幸いである。やはり Jarvis の人たちにとっても私のような異分子はいい刺激になるのかもしれない。
 それはそうと、最近入ったゲゼルのメーリングリストがちょっと止まっている。このゲゼルというのは経済学者の名前で、最近ゲゼルに関心のある人々が資本主義の暴走を押さえるべく地域通貨の導入を試みている。このMLもこういう人たちの運営しているMLである。関心のある方はある方はゲゼル研究会のHPがあるのでそちらを見てくださいませ。私は今のところROM(読んでるだけ)を決め込んでいますが・・。
 
 

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