文化と文明とについて(1)


 ー50年の空白ー

 昭和16年5月、九鬼周造没。昭和20年6月、西田幾太郎没。同年8月戸坂潤没。享年46歳。同じく同 年9月、三木清没。享年49歳。翌、昭和21年1月、河上肇没。その他、学徒出陣のため多くの無名の若者たちの命が失わ れる。


 太平洋戦争で日本は焼け野原になったとよく言われる。しかし、今日、否、すでに数十年前から日本はすでに焼け野原で はなく、多くの建物が立ち並び、経済大国となって久しい。わが国は現実には、多くの人々の予想を裏切り、良くも悪くも 戦前以上の国際的影響力を持つ国となってしまった。少なくとも、経済的繁栄という文明の観点からするならば、すでに戦 後は過去のものである。しかし、上に掲げた人々の名を思ってみるならば、戦争の痛手は決して過去のものではない。思想 もしくは哲学の分野において、戦争をはさんで亡くなったこれらの人々に匹敵するだけの人物が今日どれだけいるであろう か?

 文化という観点からするならば、戦後はまだ続いている。昭和16年から21年までの間、上に掲げた分野の人々以外に も日本の文化を担っていた多くの人々が亡くなった。昭和17年には萩原朔太郎、与謝野晶子、北原白秋、中島敦が、翌 18年には島崎藤村が亡くなっている。文学者は思想家よりも感受性が鋭かったのか、戦争の本格化と共に特に詩的な才能 を持っている人々が次々とこの世を去っている。戦争によって最初に犠牲を被るのは何よりも文化を担っていた、ある意味 で不器用で、内向的ともいえる人々である。西田幾多郎が日本の近代思想の第一世代であるとするならば、三木清や戸坂潤 はその第二世代であり、おそらく第三世代に属したであろう人々の多くはあの学徒の中にいたであろう。戦争は日本の文化 に3世代にわたって損失を与えたのである。

 このことは、その事の重大さにもかかわらず、実際には今までほとんど意識されることがなかった。それだけに日本の経 済発展はめざましく、またそれだけ人々はそのために働いていたのである。そんな中でその経済的発展が文化的進歩と見ら れていたようである。日本が本格的に高度経済成長を始め、冷蔵庫、テレビ、洗濯機が三種の神器と呼ばれていたころ、「 文化鍋」「文化住宅」という言葉に見られるように、人々は文明のもたらした便利なものに「文化的」という形容をつけて いたように思われる。この頃から今日に至るまで「文化」と「文明」とはほとんど区別なくこの国では使われてきた。「文 化の時代」とか「心の豊かさ」とかいう言葉を最近よく耳にするが、多くの場合、これらは経済発展の延長線上でしか考え られていない。そもそも「豊かである」という言葉は経済的産物の量を形容する言葉であって、「文化」や「心」に対して は間接的比喩としてしか用いることができないものなのである。

 私はこのような「文化」と「文明」とに対する曖昧な言葉使いに対して、これらを次のように区別して考える。すなわち、 文明とは人間が造り出した目に見える物質的なものに対して向けられる言葉であるが、文化とは人間の身につけた自らの行 動を律する目に見えない精神的なものに対して向けられる言葉である。従って、絵画や彫刻のように文化が目に見える形で 現れるにせよ、それが文化的なもの、つまり文化財と見なされるのはそれを生み出した精神が現れているからである。これ は最近の言葉でいえば「ハード」と「ソフト」との違いと言うことになるであろうが、それぞれ「文化」と「文明」という 言葉のつく固有名詞を考えて見ればこの違いはより明確になる。「○○文明」と言われるものの多くは「インダス文明」と か「古代文明」などのように、特定の時代の、しかも特定の人々の社会もしくはその経済的所産を指しており、その多くは すでに歴史の流れの中で過去のものとなっている。これに対して、「○○文化」と呼ばれるものは「イスラム文化」とか「 仏教文化」というように、たとえその誕生した時期や地域が特定されるにせよ、その時代や地域に制約されることなく、そ の多くは今日まで何らかの形で生きている。確かに文化と文明とは人間の歴史の中で一体となっており、文明なしの文化、 文化なしの文明などあり得ないのであるが、これらは決して同一のものではない。

 このことを示してくれているのが文字と人間とのかかわりである。文明を維持するために文字は不可欠であると言ってよ い。文明はいずれも多くの人々によって構成される社会を運営しなくてはならないのであり、文字による記録なしには決し て成り立たない。このことは現に事務所に山積みされている書類やファイルの山を考えれば理解されるだろう。その中には 数字でうずめられた売上計算書や契約書、そしてそれにまつわる資料や証拠書類などが見いだされる。しかし、一方、文化 にとっても文字は重要な意味を持つ。今日まで生き残り世界に影響を与え続けている民族の多くは文字によって記された聖 典を持っている。中国人にせよ、ユダヤ人にせよ、彼らが今日まで生きのび、その民族の枠を越えて世界史に影響を及ぼし 続けているのは彼らがこのような文化の核となる文字の記録を持っているからである。文字そのものはすでに滅びたインダ ス文明もマヤ文明も持っていた。しかし、文字で記された聖典を持ちそれを教育する制度を持っていたとは思われない。多 くの神話が今日まで伝えられてはいるが、それらは一度断絶し、間接的に今日に伝えられているにすぎない。このような聖 典を持つ民族は、たとえその聖典が聖典でなくなることがあったにしても、その文化的伝統は決して途絶えることはない。 ペルシャ民族はかつてゾロアスター教徒としてアベスターを聖典としていた。今日、彼らの多くはイスラム教徒であるが、 イスラム文化において彼らの貢献は決して小さくない。

 このように考えて見るならば、戦争による日本文化の損失がいかに大きなものであったかが理解されるだろう。戦争によ って日本の近代文化の流れは一度は断ち切られたのであり、戦後の文化は、間接的な影響があったにせよ、それ以前の文化 との直接的なつながりを欠いたまま一から出発しなくてはならなかったと言っても過言ではない。このことは戦後の日本に おいて文化的な世代の断絶を生み出した。もし私がここで述べてきたように文化が時代の流れに耐え、国境を越える普遍性 を持っているとするならば戦後において文化と呼ばれるべきものは「ウルトラマン」や「ゴジラ」などの特撮もの、「ガン ダム」や「うる星やつら」などのアニメということになるであろう。しかし、これらは戦前の文化の流れとは独立したもの であり、しかも戦後世代にだけ受け入れられてきたために、公の場では未だ文化とさえ見なされていない。私はここに日本 文化の50年の空白を感じる。

 日本の経済的繁栄は文明的な発展と言えるかもしれないが、まさにそのために文化と文明との相克をもたらした。国際化 の問題にせよ政治改革の問題にせよその背後にはこの文化の空白がある。私はこのような日本の文化の現実についていくつ かの視点からここで述べて見たいと思うが、ここで次のことをお断りしておきたい。今からここで書く内容は少なからず昨 年の夏公開された映画「パトレイバー 2」 (アニメーション) の影響を受けている。読者の多くはこの映画については知らないと 思うので、直接にはこれについては言及はしない。しかし、私の思想の源泉のひとつが日本で制作されたアニメーションで あることはいちおう念頭に置いていただきたい。

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