文化と文明とについて(2)


 ー日本人と和の精神ー

「我、地に平和を与えんために来たと思う勿れ。我、汝等に告ぐ。然らず、むし ろ争いなり。今からのち、一家五人あらば三人は二人に、二人は三人に分れて争 わん。父は子に、子は父に。母は娘に、娘は母に。(新約聖書・ルカ伝 12: 15ー53)」


 日本人は自分たちを平和を愛する国民と思っている。殊に戦後はそうである。 そもそも「昭和」や「平成」などの元号も平和を意味する言葉であり、その中に は確かに平和を願う気持ちが込められていると言ってよいであろう。しかし、日 本人がどれだけ平和についての考えを持っているかは疑問である。確かに、日本 人は聖徳太子の「和を以て貴しとなす」の言葉のとおり争いごとを避け、人間関 係の調整に努力してきたことは間違いない。しかし、日本人にとって「和」とは 単に争いのないことを意味し、また「平和」とは単に戦争のないことを意味して きたのではないだろうか? もしそうであるのなら日本人が今日において常にそ の行動の規範とし目標としている「和」とか「平和」とか言う内容は単に消極的 な理想であって、積極的な意義を持っていないということになる。

 本来、「和」の精神は論語に出てくる次のような有名な文句にある。

 子日わく、君子は和して同ぜず。小人は同じて和せず。(論語 子路十三)

ここでは、「和」とは単なる他者への追随ではなく、他者との意見や立場の違い を越えた協力関係ということができるだろう。ペンギンブックの英訳では「和」 を [agree 合意する]と訳し、一方「同」を[echo 追従する] と訳しているが、 ここにも「和」が単に消極的な争いの否定ではなく、より積極的な対立の止揚で あることの意味合いがうかがえる。 これに対して、日本人の愛好する聖徳太子 の十七条憲法において「和」の思想は次のように語られている。

 一に曰く、和を以て貴しと為し、忤(さから)ふなきを宗と為せ。人皆な党あ り、亦達(さと)れる者少し。是を以て或は君父に順ならず、乍(たちまち)隣 里に違(たが)ふ。然るに上和き下睦びて、事を論ずるに諧(かな)へば、事理 自ら通ず、何事か成らざらん。

確かにここでは「事を論ずるに諧へば、即ち事理自ら通ず」と言われているよう に、言葉による合意[agreement] を求めているが、その前に「忤ふなき」ことを 要求している。この「忤ふ」という語は感情的に逆らうと言う意味であって、決 して反対意見を述べることを否定したものではない。しかし、ここでは論理の妥 当性よりも、論理を用いる人間の感情の問題に焦点が当てられているといえるだ ろう。このことは、続く次の条文を見るとよりはっきりする。

 十五に曰く、私に背きて公に向ふは、是れ臣の道なり。凡そ人、私あれば必ず恨 (うら)みあり、憾(うら)みあれば必ず同せず。同ぜざれば即ち私を以て公を 妨ぐ、憾み起れば即ち制に違(たが)ひ法を害す、故に初章に云く、上下和諧 と、其れ亦此の情(こころ)か。

このように聖徳太子の十七条憲法においては「和を以て貴しと為す」の思想は 「同を以て良しと為す」の思想となっており、すでに「和」と「同」との間に癒 着が生じている。

 実際、今日に至るまで日本人にとって「和」と「同」とは明確に区別されては いない。このことは現実に日本人が「同和問題」の言葉のように「和」と「同」 とを結びつけた語を用いていることからも明らかである。それ故、今まで日本人 は「和を以て同じくする」ことが人の道であり、人間どうしのコミュニケーショ ンは互いの反感を抑えることによって成り立つと考えていたことを示している。 ここで最も問題なのは、理想される和の状態が保たれ維持されるものだとしかみ なされていないことである。そもそも日本語の中では「和を乱す」という表現は よく用いられるが、「和をつくる」とか「和を築く」と言われることはない。従 って、実際には「和を以て貴しと為す」とはすでにある人間関係を維持すること であって、そのための努力であれば「和」であれ「同」であれ等しく貴いとされ ると見るに至ったと言うことができるだろう。このことは日本人のコミュニケー ションの領域が限られたものであり、地縁にせよ血縁にせよ、はたまた職縁にせ よ、コミュニケーションの安定が見知った人間どうしの人間関係の維持にあった ことを意味している。しかし、このような状態は今日では過去のものにすぎな い。それ故、今の日本人たちは自分たちが同じ日本人であることを神話化するよ うになった。つまり、同じ日本人である以上、同じ感性や考えを持つのであるか ら、「和を乱す」ことさえなければコミュニケーションの安定が得られると思い こもうとしたのである。しかし、このことが国際貢献の問題から教育問題に至る までさまざまな問題を引き起こしているのであり、「和」を維持しようとする過 度な努力は、時としてより多くの不和を生むことになりかねないのである。

 もし言葉や習慣を異にする他の民族と共に暮らさねばならなくなるなら、この ような和の精神はあまり役には立たないだろう。自分の見知らぬこのような人々 と和を築き維持するためにはより高い立場から自分たちのコミュニケーション基 盤を確立しなくてはならない。そのためには人間を超えたものによる理由づけが 必要である。単に「隣人と仲良くしよう」と和の理想を説いて見たところで、そ れが私やあなたの領域を越え、見知らぬ彼や彼女に対しても通じるものでないな らば、他者に対してどれだけの説得力があるであろうか? キリスト教やイスラ ム教などの一神教は世界の創造主たる神の権威によってこの基礎付けを試みたと 言えるであろう。人々は自分たちを越え世界そのものを成り立たしめている何か を意識することによって、初めて「事を論ずるに諧へば、即ち事理自ら通ず」所 以を知るのであり、感情的に「忤ふ」ことと「論ずるに諧ふ」こととの区別がで きるようになるのである。ここにおいて『私』と『隣人』とそれらを越えその両 者を成り立たしめている『神』とがコミュニケーションの3つの支えとなってお り、このことによって初めてその基盤が安定したと見ることができる。

 しかし、一神教の説くこのようなコミュニケーションのあり方は、従来からの 人間関係よりも神への信仰を優先させる点で、それまでの人々の意識とは明らか に異なったものであり、その確立のためには常識的な人々との対立は避けられな かった。冒頭に掲げた福音書の言葉は、この意味で、コミュニケーションの領域 の拡大に伴うそのあり方の変革の混乱を示したものと言えるであろう。「今から のち、一家五人あらば三人は二人に、二人は三人に分れて争わん。父は子に、子 は父に。母は娘に、娘は母に」という過激な言い回しはこの変革の中での世代間 の対立を象徴的に言い表したものと見ることができる。たとえ家族の絆を重んじ るにせよ、それはより広い他者とのコミュニケーションとのかかわりの中で位置 付け直されなくてはならず、もしそれができないのであるならば、和を守ろうと いう古い人々の努力にもかかわらず、それはコミュニケーションの混乱の中に崩 れ去ってしまうであろう。実に、このような時代にあって「和」そして「平和」 は積極的に見いだされなくてはならないものなのであり、そのためには、板一枚 をはさんで絶えず争いの波が押し寄せる大海の上に漂う小船のように、より高い 立場から常にコミュニケーションの一定の方向を指し示す羅針盤が求められるの である。

 ここでは一神教の立場からコミュニケーションの変革について述べてみたが、 先に引用した論語の文句にも見られるように、同様のことは仏教でも儒学でも行 われたと考えることができる。仏教の『慈悲』や儒学の『礼』などの思想は当時 のコミュニケーションの領域の拡大に伴うその危機を背景に説かれたものと言え るであろうし、聖徳太子もその十七条憲法の第二条で「篤く三宝(仏・法・僧) を敬え」と主張しているところを見ると、ある程度このことを意識していたよう に思える。しかし、日本人は今までどれだけこのようなコミュニケーションの危 機に遭遇し、その変革を体験したであろうか? 経済大国と呼ばれるようになっ た今日、我々は「国際化」という問題に悩んでいる。実は、この問題は非常に根 が深いのであって、一朝一夕に解決されるようなものではない。最近ではこの問 題をかなり文化とのかかわりで論じるようになってきたが、いまだ日本人の特殊 性の立場からを論じるようなものが多く、世界史的な観点から論及したものを見 ていない。明治時代以後、夏目漱石をはじめとした多くの文化人が直面した西欧 化の問題の背後にはこの国際化の問題があった。しかし、彼らの努力も戦争をは さんで立ち消えになった感がある。私は、この大きな問題について、更に人々の 生活の規範となった古典の考察を通して考えていくことにしよう。

[←戻る] [次へ→]

[人間界のこと]