医療と哲学 0


  はじめに
 

 病気を直すということは一体どういうことなのか? このような基本的な問題 に答える ことはなかなか難しいものです。何故なら、この問いに答えるために は病気とは何か、 そもそも人はどうして病気になるのかという根本的な問題に 答えなくてはならないからです。医学には「病因論」という分野がありますが、 いまだに決定的な答えはないというのが正直な所でしょう。これは一見、抽象的 な問題のように思えますが、実際の医療行為においてもさまざまな影を落してい るのではないでしょうか? 患者を診る時に、その病気を特定の臓器の障害によ るものと診るのと、身体全体のバランスの失調によるものと診るのとではおのず と医療行為が違ってきますし、また同じ精神疾患の場合でも、“脳神経に異常が ある”と言うのと“心が病んでいる”と言うのとでは患者に対する対応が全く異 なってきます。

 長野先生の『鍼灸臨床わが三十年の軌跡』(以下『軌跡』と略)を読んだ時、 この本が単に三十年の臨床結果の羅列ではなく、上に述べた問いにかかわる根本 的医学観に基づいていることを強く感じました。その中には未だ特定の形を取っ てはいないものの、哲学というべきものがあり、その一方で実際に患者と向き合 っている者としての経験的重みが見て取れます。

 私はもともと哲学を専攻していた一介の地方公務員であり、前々から『軌跡』 についての感想文を書くことをお約束していたのですが、二年以上もそのことを なおざりにしてきました。今年 ('96)仕事による過労のために久し振りに先生の お世話になり、ようやく筆を走らせるようになった次第です。初めは感想文で済 ませるつもりでいたのですが、時間を置く間さまざまな考えが発展し、単なる感 想文ではなく先生の著作をきっかけに出来上がった東洋の医学思想についての哲 学的エッセイのようなものになってしまいました。そのために、実際の医療関係 の方々には多少分かりにくいものになったかもしれませんが、ご容赦いただきた いと思います。

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