環境ホルモン汚染と「疎外」の論理


第1回


  環境ホルモン汚染、そのどこが恐ろしいのか?
 

 最近問題になっている環境ホルモン汚染ですが、これは今までの大気汚染や水 質汚濁などの公害とは根本的に異なった恐さを持っています。一般に、環境ホル モンは微量で広く種全体に影響を及ぼすために問題とされるのですが、それはホ ルモンが生き物にとって記号としての役割を持っているからです。ここが今まで の公害とは決定的に違うところです。今までの場合、汚染の度合はその汚染物質 の量と何らかの比例関係、もしくは相関関係をもっていました。しかし、環境ホ ルモン汚染は一度汚染として生物に影響を及ぼすと量は問題ではないのです。

 これは潰れた空きかんとネコを見て逃げるネズミをを例にとると分かりやすい かも知れません。前者の場合、空きかんの潰れる度合はそれを潰すときに加えた 力に比例します。これは空きかんを潰すのは人間であって、空きかん自身ではな いからです。これに対して、後者の場合、逃げるのはネズミ自身であってネコで はありません。ネズミはネコを見れば、ネコが気づこうが気づくまいが逃げよう とします。無論、ネコがネズミを追いかければその度合に従ってネズミも逃げる 速度を変えるでしょうが、逃げるのがネズミであることには変わりありません。 ここではネコの姿そのものがネズミに「逃げろ」という記号(サイン)になって いるのです。

 このことは空きかんが人間によって単に潰される、いわば受動的な対象にすぎ ないのに対し、ネズミが自ら危険を察知し逃げる能動的な主体であることを示し ています。ですから、環境ホルモンが生態系にとって危険なのは生態系を成立さ せている生物達がまさに生きているからだということができるでしょう。ここで はそれぞれが一定の意味連関の中で生きています。われわれ人間の社会もそうで すが、生態系の中ではそれぞれの生き物が一定の役割を持って、互いに意味(情 報)を交換しながらエネルギーや物質のやり取りをしています。私はこれを広い 意味でのコミュニケーションと考えていますが、環境ホルモン汚染はこのコミュ ニケーションそのものを汚染しているのです。
 

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