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167:イスラム教


   「イスラムは日本を変えるか?」 H.A.ムガール   文芸社
 

 この本の題名は「イスラムは日本を変えるか?」となっていますが、別に日本が将来イスラムの国になって救われると予言している本ではありません。ここで言う「イスラム」とはそれぞれの国に伝統として根づきながらも普遍性を持つ文化の代名詞のように考えればいいと思います。最近ではグローバル化が進んで、どこの国の生活も似たようなものになってきました。自動車やコンピューターのような工業製品は言うに及ばず、服装や音楽などの生活文化も近代化によって共通するところが多くなりました。けれども、それぞれの国には伝統的に息づいている精神というものがあり、それはさまざまな形を取りながらもその底に普遍的なものを持っています。近代化によって表面的な生活は世界中で同じようなものになりつつありますが、人生を導く精神のようなものはそれぞれの国独自の歴史と伝統を帯びています。

 著者であるムガールさんはパキスタン出身の方で福岡は博多でペルシャ絨毯の店を開いている方です。たまたま、パキスタンで日本語の先生が暇そうだったのを目にして日本語をやるようになったそうですが、今では日本人の妻を持ち5人の子供を育てるお父さんでもあります。ムガールさんは伝統的なイスラムの伝統を生きる人間の一人として、日本人に常に暖かい眼差しをむけながらも、イスラムの人たちがイスラムの教えを核にして生きているように、日本にも何らかの精神的な核があるべきだと考えています。

 日本人はイスラムに限らず宗教というと何かドグマのように考え、時には洗脳されるのではないかと思っている人もいるようです。新興宗教や一部のカルトの影響もあるのでしょう。しかし、世界的に見て何らかの宗教的な精神を支柱として持つ国の方が大部分です。イスラムの国々は言うに及ばず、アメリカ合衆国もキリスト教の精神を地盤に建国された国です。ムガールさんがはじめてこの日本の特殊な宗教事情を感じたのは法廷通訳をした時のことだそうです。イスラムの国々ではコーランに向かって、アメリカでは聖書に向かって宣誓するのですが、日本では特にそのような宗教的経典に向かって宣誓することはしません。日本ではただ「良心に従う」ことを宣誓するのです。

 ムガールさんはこの「良心」とは何かに関心を寄せます。「良心」といっても人それぞれですが、世界の多くの宗教はこの「良心」の基準を高めるためのものでなかったかと考えます。現在では宗教だけではその目的を達せられない部分もありますが、「真愛 [PURE LOVE] 」によって 良心の基準がこれからも高まっていくのではないかとムガールさんは問い掛けます。

 私はこの「良心」についてかかれた部分を読んで、カントの倫理学を思い起こしました。カントも人間の内面にある良心が人を導く倫理的な基準と考えました。ドイツの哲学、特にその神秘思想には自己の内面に神、もしくは神の導きを見い出す思想があるのですが、カントをはじめとするドイツ理想主義哲学の学者たちにも同じような傾向が見られます。家族や国家などの社会は人間の作ったものですが、肝心の人間自身のこの良心がしっかりしていなくてはこれらの社会も歪んできます。かつてのドイツの哲学者たちは、ヘーゲルの精神の現象学のようにカントの立場を踏まえつつ、人倫の問題、国家・社会のあり方の問題へと意識を推し進めました。ムガールさんも同じように、個人から家族、そして社会へと関心の目を広げていきます。

  個人の運命がよい方向に変われば家庭が良い方向に変わります。
  家族が変われば一族(ファミリー)が良い方向に変わります。
  一族(ファミリー)が変われば社会が良い方向に変わります。
  社会が変われば国が良い方向に変わります。
  国が変われば世界が良い方向に変わります。
  世界が変われば地球が良い方向に変わります。
  そして地球が平和になればみなが幸せになれるのです。
  私はそう信じています。
        (「イスラムは日本を変えるか?」132P)

すべての起点は個人にあり、まずは家族を省みることが必要と言えるでしょうか。仏教の聖典であるダンマパダ(法句経)にも次のような一節があります。

   意(おもい)は諸法(すべて)にさき立ち
   諸法(すべて)は意(おもい)に成る
   意(おもい)こそは諸法(すべて)を統(す)ぶ
    (友松圓諦訳 「法句経」第一章・第二章)

「良心」を世界を創りだす心の核とするならば、イスラムとはそれを育む良き心の導きというところでしょうか。

 ところで、ムガールさんのこの本を読んでいると、イスラムの家庭教育の一端が良くわかります。この本の中ではたくさんの宗教的な寓話が紹介されていますが、その多くはムガールさんのご両親がムガールさんに聞かせたものです。イスラムに限らず、世界には多くの宗教的寓話があり、よく親が子供を育てる時に話し聞かせることがあります。これは法話や説教などでよくたとえ話が使われるからだと思います。私も以前いたテキサスのカレッジがクリスチャン系だったので、多くの寓話を宗教の時間を通して耳にする機会がありました。子供に対してどう接したら良いかわからない親が日本には多いようですが、日本ではこのような寓話やたとえ話がどれだけ残っているでしょうか。ムガールさんはこれらの寓話を通じて、イスラムの心をやさしく私たちに語りかけてきます。この本では「良心」の問題から教育の問題、そして現在の諸国間の問題へと話が広がっていきますが、この宗教的な寓話の伝統に培われた語りはとても分りやすく説得力のあるものです。

 社会レベルの話題においてムガールさんは常に民族の多様性を念頭において話題を進めています。よく文明の進歩に伴うグローバリズムの観点から民族や宗教の個別性に否定的な意見を耳にすることがあります。世界は一つになったのだから、民族や宗教などの古い伝統はもはや自由な個人の活動の障壁に過ぎないというわけです。リバタリアニズムの立場などはその最も典型ですが、ムガールさんは国際交流を推し進めながらも、決してこのような立場に組するわけではありません。むしろ、イスラムの伝統を持つパキスタン人として、日本固有の文化や伝統を尊重する立場をとります。民族や宗教の個性が世界の国際性を支えているのだという考えなのです。これは自国の伝統文化をあまり意識しなくなった今の日本人が真に耳を傾けるべき忠言だと思います。今の日本では国際化というとすぐ英語のことが頭に浮かびます。しかし、英語は国際交流のための道具に過ぎません。いかに相手の立場を理解しコミュニケーションするかを考えた時、自国の文化を知らなければ相手の文化を理解するきっかけを得られず、結局は表面的な言葉のやり取りに終始するでしょう。

 ムガールさんはこの真のグローバル化の切り札として「国際結婚」を提唱します。結婚となれば言葉の問題も大きいのですが、より以上に自己の中に息づく文化をどれだけ相手のために生かし、同時に相手の中に生きている伝統を自分の中に受け入れるかが問われてきます。良き個人の運命は良き家族を導きますが、国際結婚は最も基本的な人間関係のレベルで良き運命の交わりと、良き家族を社会の基礎とする始まりとなるかもしれません。私も現在独身ですが、国際結婚も視野に入れて将来を考えています。

 最後になりましたが、ムガールさんはこの本で国際都市としての福岡の可能性について語っていますので、それについてコメントしましょう。「福岡をアジアの都に!」というわけですが、私も九州人の一人としてその可能性に大いに期待しています。同じ日本にいても、九州人の顔はかなり近隣のアジア諸国の人たちの顔に近いところがあります。また、福岡は伝統的に近隣諸国との交流を持ってきたところです。ロシアも視野に入れるならば、非常に良い位置にあるといえるのではないでしょうか。しかし、問題もあります。それは福岡の大学に本格的な外国語学部がないことです。国際交流のイベントは結構多いようですが、本当にアジアの交流拠点になるためにはそれなりの基礎的な施設も必要です。単に外国語を学ぶ外国語学部というのではなく、哲学や歴史などの他の多くの基礎的学問と連携した形での外国語や国際関係を学ぶ場が必要なのです。幸い私のいる大分県の別府には立命館アジア太平洋大学がすでに開校しています。九州を一つの地域と考えて福岡を中心としたより広い国際交流のネットワークが出来ないものかと考えます。

 というのも、九州レベルでは、現在、福岡への経済や政治の一極集中が懸念されているからです。一極集中というと東京のことが思い浮かびますが、地方ではそれぞれのレベルで一極集中の問題を抱えています。九州でしたら福岡への一極集中ですし、大分県では大分市への一極集中というところでしょうか。また、先日、宮崎に行きましたが、宮崎ではシーガイヤの倒産以後、多くの問題を抱えているようです。大分も同様で、2001年には大分にもワールドカップが来ますが、大分県だけではワールドカップ以後のスタジアムの運営には無理があります(このことについては[必殺読書人318] での「日本合衆国への道」のコメントを参照してください)。まさに東九州は裏九州として負債にあえぐ危険をはらんでいます。また、上に紹介した立命館アジア太平洋大学ついても学部数が少なく、文学部や理学部などの基礎的学問を探求する場がありません。インターネットなどの技術を使って学術文化のネットワークを九州全体、出来れば瀬戸内地域にも広げることが福岡がアジアの都になるためのバックボーンになるのではないでしょうか。
 

追伸: ムガールさんは下記URLでホームページを開設しています。お仕事のペルシャ絨毯の話題の他、国際交流やイスラムのことなど盛りたくさんの話題が紹介されています。

http://www2.gol.com/users/mughal/

 
 
 

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